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玄人仕事  作者: 千場 葉
#10 『プロフ・ワークス』
358/375

38.たわむれ


「よっ」


 ステラの隣に並び立ったむくつけき半裸の筋肉が、軽く右手を挙げた。


「『よっ』っじゃねぇよ! なんで来てんだ!」


 予想外なそいつの出現と、まったく似合わないフレンドリィな挨拶に思わずと声が張り上がる。


「失礼なやつだなぁ、昨日はあんなに親切に色々教えてやったというのに」

「あ、あぁ……?」


 見た目は昨日の通り。日本の古い鍛冶職人のような半裸に(はかま)、黒い短髪のいかめしい男。しかしどこか今の鍛冶の神には、薄気味悪いくらいに違和感があった。


「あれ? 神様なんか…… ちっちゃくなってないっスか?」

「おお、昨日一回吹っ飛んだからな。あのデカさだと体が透けちまうんだ」


 たしかに、クモの言う通り鍛冶の神は小さくなっていた。良一の倍あった身長は、長身のステラに対してかなり高い程度に収まっている。しかし、良一の感じる違和感はそこではない。


「おう、どうした良一。調子悪いのか? なんか拾い食いでもしたか? 子供は元気にしてなきゃ駄目――」

(なんじ)とか童子(わらし)とか言えよ!」


 気持ち悪かった、身の毛がよだつレベルで違うキャラだった。鍛冶の神はそんなこと言わない。


「おいおい、今時そんな堅苦しい言葉使うかよ。あんなもん仕事の時だけだ。普段の俺はかなり気のいい神様なんだぜ? それにもう俺とお前の仲じゃねぇか、はっはっは……!」

「ぐは……」


 かなり気持ち悪かった、肌が粟立(あわだ)つレベルで異次元キャラだった。鍛冶の神はそんなこと言わない。

 あまり触れたい感じではなく純粋にウザかったので、良一は救いを求めるように女神の方に上目遣いする。


「なぁステラ、なんでこいつがいる? まさかおれが昨日住み家を吹っ飛ばしたから、戻れなくなってんのか?」

「ううん、違うよ。ほら」


 「ほら」と言われ、指を差された方向へと良一とクモが首を伸ばす。


「……!」

「あれ? あの辺って……」


 遠目に見える森林の向こうに、木々から頭を出す赤茶けた岩山が見えた。そこはたしかに、昨日失われたはずのあの場所だった。

 不思議そうに目を凝らす良一たちの横から、違和感バリバリの重い声がかかる。


(やしろ)ならあの通りもう復旧している。神域では些細なことだ、気にするな。まぁその先の自然に関してはまだ二、三日はかかるだろうがな」


 目に見える通り、言葉通りな様子に唖然(あぜん)とするものの、疑う意味はないようだった。思えば昨日訪れた時も潰したはずの石像たちは蘇り、数日前に暴れた形跡も消えていた。


「……なんでもありだな」


 改めて思う神というもののでたらめさに、良一はため息まじりな呟きを漏らす。この世界に不釣り合いなステラの家と同様に、理論や理屈で考えても仕方のないことは山と有るようだった。


「まぁいい…… それで、おれに何か用か?」

「うむ?」

「社が元に戻っているっていうのに、おれを呼び出すわけでもなくここに来たんだろ。何か用があってのことじゃないのか?」

「ふむ……」


 実のところ、用があるのは良一の方だった。折りを見て、いや、今日明日にでも再び会う必要があった。渡りに船な状況ではあるのだが、それはステラのいる今ではない。

 そんな自分の考えはさておき、昨日の今日で自ら足を運んできた鍛冶の神、その思惑が気になった。


「私が呼んだの」

「へ?」

「一緒に遊ぼうと思って」

「へ?」


 しかし予想外なところからの答えと、意味不明な理由に良一が変な顔をする。ついでにクモも変な顔をしていた。


「えーとぉ、たしかこのへんのページだったかなぁ~」


 どこから取り出したのか、ステラは硬質な分厚い本をパラパラとめくり始める。硬質といってもハードカバーの本というわけではない。それは大判のソフトカバーにして、光沢の表紙を持つ重く贅沢な一冊。そして良一にとっても、多くの()()たちにとっても、ほぼ開く機会なく新品同様で役目を終える馴染みの一冊だった。


「ほら、ここ」


 お目当てのページを開いたステラが、良一に近づいてそこを指差す。開かれた本にはボールをラケットで打ち合う人々のイラストがフルカラーで描かれていた。


「この間読んでたら面白そうだったし、四人で遊べそうだからどうかなって思って」

「こんな教科書まで……」


 「体育実技」―― おそらくと作っている人たちや運んでいる業者の人たちにしか意味が無さそうな、需要が謎なその教科書。良一をして「オフサイドの意味を知る」くらいにしか用の無かったそれを、おそらくは全世界一喜々としてステラは開いていた。あ、おそらく二回使っちゃった。


「どう? リョウちゃん、これ出来る?」

「どうって言われてもな……」


 開かれているものがものだけに、良一は難色を示す。良一にも子供ながらに「自身が伊達良一である」という自負がある。元々縁がなかった上に、凶悪な世界で生きてきた自身にとって、健全と言われるスポーツなどは柄ではないのだ。

 だが――


「だいたいはわかるが…… おれはテニスなんてやったことないぞ? 細かいことまではわからん」

「だいじょうぶだいじょうぶ、みんなで遊ぶだけだから、ね?」


 今だけは、いいかと思った。

 受験には関係の無い体育の教科書。それはきっとステラが自分に合わせ、「戦い」じゃない「運動」を探そうとしてくれていたのだと、そう思えた。


「そ・れ・じゃ・あ♪」


 ステラは教科書を空にひゅっと消すと、踊るような足取りで良一から離れる。そしてその場でくるくると回り始めると―― 光に包まれ一瞬にして、その姿を変えた。


「おぅおっ!?」


 ぽかんと口を開ける良一のとなり、真っ先にクモが歓声を上げた。いつもの白いローブは真っ白なシャツとミニスカートという、見た瞬間にそれとわかるテニスウェアに早変わりしていた。


「ぅおおんっ! ぉぉう!」


 重ねがけするように、クモが気持ち悪い感じで歓声をもう一声―― とりあえず良一は白い目でそいつを見ておいた。


「どうどう? リョウちゃん、これで合ってる?」


 片手を腰に、少し前に屈むようにしてピンクのサンバイザーをくいっとやりながらステラが聞いた。

 白いローブ以外にも、普段は落ち着いた装いばかりだったはずのステラ。良一はそんな、始めて見る活動的な恰好のステラに思わずと――


「歳考えようぜ、ステラ」

「ひどーい!」


 やっちゃった感じのオカンを見るような目でそう言っておいた。もちろん、そんな感覚は多少あれども相手がステラなだけにそこまでではないのだが。


「ほう、随分と身軽そうな恰好になるのだな。競い合う遊びと聞いたが、殺伐(さつばつ)としたものではないようだ」


 いつの間にか良一たちの輪に近寄っていた鍛冶の神が、感想を漏らした。


「そうですよ。人間の、それも子供たちもやる遊びですもの。きっと楽しいですよ」

「ふむ、そうかそうか。興味深いな」


 ステラの答えにしきりにうなずく鍛冶の神―― が、その視線は明らかにチラチラとステラのふとももの辺りに動いており、とりあえず良一はこちらにも白い目を送っておいた。


「ではステラよ、すまぬが情報をくれるか。その遊びが載っていたという、さっきの本の情報でいい」

「わかりました。では――」

「……?」


 ステラの体がわずかに白く発光し、遅れて鍛冶の神の体が発光する。ほんの数秒の後、神たちの発光は収まり、鍛冶の神がうなずく。


「ふむ…… なるほど、理解した」

「はぁ? 理解した……? 今のでか?」


 そのやりとりに良一は小首を傾げる。


「神族同士の情報の共有に言葉は不要だ。今やお前より詳しいかもな」


 そう言って鍛冶の神は背中を向けると、片腕を空に掲げ、叩き付けるように腕を水平まで振り下ろす――


「うぉっ……!?」「わわっ……!」


 雷鳴のような爆音が鳴り響き、局地的な地震が辺りを襲った。


「よし、これで始められよう」


 足元のぐらつきをなんとか堪えた良一が、鍛冶の神に目を向ける。その向こうには、そこだけ平坦になった丘が広がっていた。


「……もう何度も思ったが、無茶苦茶だな」

「見事な『コート』だろう?」


 どうだと言わんばかりにニヤリと笑ってみせる鍛冶の神。知らないはずの専門用語まで口にするあたり、共有したという情報に間違いは無いらしかった。

 もはやいちいち驚くのにも飽きを感じ始めた良一。彼がぼーっと平地を眺めているうちに、ステラとクモの手によって杭が立ち、ネットが張られ、即席のコートが出来上がっていく。

 遠目に見るステラたちは楽しそうで、やるとは言ってないものの、今更断るには難しい雰囲気だった。気乗りはしないがそれも今更で、つきあってみてもいいかという思いも少なからずある。

 そんな中途半端な思いのままに、良一は今一度、どうしても心に納得しかねることを訊いておく。


「で…… アンタほんとにやんのか?」


 良一のとなり、腕を組んで仁王立ちする半裸の筋肉。(いか)つい顔でコートの方を凝視するその神にジト目を向ける。


「やるに決まっているが?」


 こともなげに、あっさりと返る返事。


「……まじか?」

「どうした? 俺はテニスするぞ?」


 良一は無言で顔を背けた。

 どう考えても円盤投げかパンクラティオン以外似合わなそうな、筋肉の山。その口から放たれる「テニス」という単語が、良一の中のイメージとかけ離れすぎていて腹に落とせなかった。


「ふむ…… 四名となるとダブルスだな。おまえは初めてやるようだからルールは簡単にするとして、ペアはどうする? 叢雲(むらくも)がいる側にハンディキャップをつけるか? ダブルフォルトを無しにするという案もあるが――」


 ――コイツナニイッテンノ?


 流暢(りゅうちょう)に語られれば語られるほどに、ただのテニス用語が別のものに聞こえ、良一は白目を剥いた。


「……童子よ」

「……?」


 砕け過ぎた雰囲気の中、不意に真摯(しんし)さが影を落とす。


「汝の判断は、間違ってはいなかったようだ」


 体勢を変えることなく、ステラたちに視線を送り続ける鍛冶の神。その静かな声色に、良一は神を見上げた。


「正直を言えば、汝のことがわからずにいた。なぜステラの過去を知りたいのか、知ってどうするのか…… そして、汝自身が何者なのかもな」


 「あ……」と一言漏らし、良一は頭を掻く。


「すまん…… そういえば、そうか…… 強引過ぎたな……」


 どれだけ盲目的になっていたのかと、今更な気まずさが身を()でる。自分勝手に聞き出すことばかりに必死で、自分のことは何一つと語っていない。

 それはフェアではないと思えた。


「おれのことは…… 聞いたか? ステラに……」

「いや、この領域の主として一応のことは尋ねはしたが、やつは軽々しく他者の内情などは語らん。『世界』の意向によりここを訪れている…… 我が聞けたのは、その程度のことだ」

「そうか…… また、今度話す。近いうちに」


 フェアかそうでないか。良一の中、そんなものは絶えてしまって久しい。徹底的にアンフェアだった世界を生きて、今も『世界』というアンフェアに囚われている。

 それでも、この巨人との間にはフェアを築きたいと思った。

 楽しげにコートに踊るステラの姿。それを見守る鍛冶の神の表情を見ていると、そう思えた。


「……そうだな、強引といえば、その言葉が相応しい。汝は強引が過ぎた。何を考えたにせよ、神に喧嘩を売るなど浅はかが過ぎる。汝ほどの力を持った者であればこそ、力量の見えぬ相手にとる選択ではなかったであろう。なぜそこまでことを()く必要があったのか、我はそこがひっかかっていたのだ」


 ステラを見据える鍛冶の神の目元が、真剣みを帯びる。


「汝は、急がねばならなかった」

「……!」

「そして、急ぐという判断は間違いではなかった」


 クモにも伝えていない、良一の真意。半ば予感からきていただけのその真意を、鍛冶の神は揺るぎないものにする。


「これ以上時をかけてはならん、(まど)えば道を失うこととなる…… ステラも、そして、汝もな」


 全てを語りはしない。だが、それで充分だった。

 鍛冶の神は今、自らと同じものを感じているのだと、良一には伝わった。しかし――


「……そうか、()()()か」

「ああ、汝…… おまえもだ」


 鍛冶の神の予見は、良一の先をいっていた。そしてそれを口にされ、否定することはできなかった。


 ――先に、進まなければ……


 改めて良一は覚悟をたしかにする。右の手のひらを見つめ、ぐっと握る。

 その様子に、鍛冶の神は静かなうなずきを見せた。


「ふたりともー! コートできたから! やるよー!」


 準備が出来たらしいステラが手を振り、間延びした声をかける。


「おぅけぇい!」

「おっさん……!?」


 誘われるようにでででっと駆け出す鍛冶の神。ぎょっとしながらもあとを追い始める良一――


「よーし勝負だ良一! 我ら神々に勝ってみせろ!」

「てめぇ! 勝手にチーム決めようとしてんじゃねぇよ! あと(つち)を出すな! ラケットだろうが!」


 それはステラの誘いで始まった、奇妙な異世界での、神たちと過ごす賑やかな一日――


「クモちゃんはそのままやるの? 大きくならない?」

「それだとステラ様のにせものっぽいっスからねー」


 束の間の安息日、そして、()()の安息日――


「ふははははっ! 良一よ! 『ヘブンズスマッシュ』を使うことを許可してやろう!」

「触れちゃいけねぇところに触れたなこの野郎! ブチ殺してやる!」


 その一日を、決して忘れてしまわないように――


 ――良一はこの世界での今日を、全力で楽しもうと思った。




 事態は、最後の局面へと歩む。


 少年が選んだ初めての『仕事』――


 その成否の時が訪れようとしていた。


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