36.虚構
二柱の神の諍いは、他の神々によって抑えられた。
彼らは互いに地上での領土と神域を引き離され、その場は解決となった。
戯れであったはずの人間への指導。それが招いた初めての諍いは風聞として神族間を渡り、多くの神へと反省を誘った。「遊び」に夢中になり過ぎているのではないか、人間へと肩入れが過ぎるのではないか。諍いの余波は神と人間、その在り方を見直す機会を生んだ。
――しかしその裏、駆け巡った風聞は、「遊び」を拡張する発見をもたらす。
いつしか、地上には「戦い」が生まれるようになっていた。
人々は「戦」に興じ始めた神の導きのままに、戦いを行うようになった。
「面白い」と思ったのだ。
決して少なくない数の神が、戦の神の行動を、新たな「遊び」として受け入れた。
更なる刺激を求める―― それは人間のみに非ず、神々にも存在する思考だった。
長く続き、飽きが生じ始めていた神々にとって、戦の神がもたらした刺激は格別が過ぎた。
神の指導の元、戦渦を拡げていく人間たち――
勝った人間は喜び、負けた人間は悲しみのままに、死んでいった。
神々はどちらが勝つか負けるか、それを楽しんだ。
自らが育てた人間が勝つか負けるか、机上の駒を動かすように、そのスリルを楽しんだ。
だが、負けがこむと膿が溜まる。
物言いの出る戦いが起こると、膿が溜まる。
駒を動かすプレイヤー同士に、直接的な諍いが起こるようになるまでには、それほどの時を必要とはしなかった――
ステラという神がいた。
「人間」の誕生。神々をしての奇跡と呼ばれる生命の誕生に、大きく貢献した一柱でもある神だった。
しかしその誕生への関与にも関わらず、欲の薄いこの神は、人間が生まれた当初この「遊び」には参加していなかった。
参加を決めたのは、人に精巧な「心」が入れられた頃。多くの神々の間で人間への指導が流行り、新しい楽しみとしてどうかと、他の神に誘われたことがきっかけだった。
半ば神族同士のつきあい程度に参加し、遠慮がちに小さな島を一つ、領地として受け取った。
始めてみると、楽しいものだった。
人間は思っていたよりも賢く、出来なかったことを必死で覚え、時にはステラが考えもしなかったことを思いつく。
なにより心の器官のせいか「情」というものが神々よりも深く、それが言動の根底にあるところを彼女は気に入っていた。
ステラは他の神々のように、直接的に何かを教える、与えるということを行わないようにしていた。
その理由はステラがこの遊びに対して、つきあい程度にしか考えていなかったことにあるが、いつしかそれは自身の意志をもってその形となった。
――ヒトが人間として、彼らのみで築く世界はどんなふうになるのだろう……
純粋な、好奇心だった。
ステラは新しい発見のヒントや絶滅してしまわないための神託など、歩き始めた彼らへの最低限のものだけを与え、ただ彼らを見守るだけの存在となった。
ある日人間たちは、そんなステラを神殿を建てて崇拝した。
見守ってくれる、そんな存在。
人間を真に満たすものはそれだけの存在なのかもしれないと、ステラをよく知る神は言った。
二柱の神に始まった、神々の諍い――
その諍いは神々の世界をも巻き込んで、日々大きくなっていく。
戦渦にまみれていく地上。
血にまみれるコマたちの勢いは時を経て、ステラの領地にすらその手を伸ばしつつあった。
ステラを想う神々は会談を交わした。
彼らにはわかっていた。ステラがどれほどこの「遊び」を気に入っているか。
ステラがどのような目で、日々を過ごす人間たちを見ているか。
それを壊してしまうことが、どれだけステラを傷つけることになるだろうかを。
彼らはステラを呼び出し、大きな役目があると、ある神域への在留を請うた。
情勢に対し役目は妥当である。そう判断し受け入れたステラは、地上の人々を離れ、その地へと赴いたという。
そうしてステラという神は今でも――
小さな神域でただずっと、
果てない役目を続けている。
「ステラに依頼された役目は、鍛冶の神―― 我の神域に赴き、誰も近づけるなというものだ。有事の際、我のもとに武具を求める者が現れるのは恒例だからな。他の神族がそれを禁ずるために出向くこと自体はおかしな話ではない。やつからすれば、断る道理もなかったのだろう」
そこまで話し終えた鍛冶の神は、袴に手を射し込むと煙管を取り出し、詰めた草を吸い始めた。着火の様子もなく立ちはじめた煙が、その巨躯の黒髪に昇る。
「だがやつも、それが作り事であることには気づいていたのだろう。だからこそ、叢雲、お前が在る」
「ほぇ?」
「役目は誰も近づけるなだ。どこから迷い込んだともわからぬ童子を、我の前に連れた」
「あ……」
「大戦の予兆があるのならばいざしらず、当時の神族間にそれほどの動乱はなかった。誰かが役目を担うには早過ぎる。それに…… そのような任、ステラのような神が適しているとは誰も思わぬ」
語ることを終えたと言うように、背を向けて煙をふかし続ける鍛冶の神。
良一は途中から項垂れていた頭を持ち上げ、その背に訊いた。
「なぁ…… そいつらは、その…… ステラが見ていた人間たちは、どうなったんだ?」
見守られていた人々。今の自分のようにではなくとも、たしかに見守られていたはずの人々。そんな彼らの行く末を、良一は案じてしまう。
「わからぬ。我は当時よりここを出たことはない。今の話もステラをこの神域に受け入れる際、やつと親しい神族連中から聞かされただけだ。その後長く経つが…… 連中からはなんらの交信も無いな」
「長くって…… どのくらいっスか?」
「……童子に合わせて言うなら、八万四千二百七十五日というところか。どうであれ、やつが見ていた頃の人間は誰一人と地上にはおるまい」
良一は八万を四百で割り―― その数字を理解した。
それは人間にとっては、誰の思い出すらも現実から失われているだろう年月だった。
「ステラはその間…… 一度もここを?」
「出てはおらんし、「遊び」に関する話もしたことはないな。我は「遊び」に参加していなかったゆえ、当然といえば当然だが」
「そうか……」
大きな背中ごしに、煙管から煙が昇ってゆく。その背景の水色は、この世界何度目かの夕暮れに向けた濃さに変わっていた。
良一は再びうつむき、想いの中に無言になる。合わせるようにクモも口を閉じた。
静寂の中、冷えた空気を感じ始めた頃、鍛冶の神が煙管を前方へと伸ばした。
「美しい、世界であろう?」
「……?」
煙管の向けられた方向へと、良一は目をやる。
良一の放った技によって拓かれた大地の先、一段と濃い空色の向こう、地平線へと落ちていく光が世界をオレンジ色に染め上げていく。
その光景に見入った良一を見るとも無く、鍛冶の神は再び煙管を点火させた。
「この神域は、かつてこのような姿ではなかった。我の社があり、他は全て汝が吹き飛ばした洞窟のような場所だった。やつがただの一度も出ることなく、その所在が影響を与え続けた結果だ。この変わりようでは、もう我の神域とは呼べなくなってしまったが…… 我はこの景観を気に入っている」
鍛冶の神は煙管をゆっくりと吸い込むと、ため息の交じる様子で吐き出し、
「だがどうしてこうも…… 空虚に感じるのだろうな……」
そう言って、中心の無い斜陽を眺め続けた――
すっかりと夜が満ちた空を良一は泳ぐ。
やけに白い月の光と、輝き始めた星々。眼下に広がる真っ暗な自然の向こうには、ぽつりと不自然にして優しい、文明の明かり。
窓から漏れるその明かりに向かい、良一は飛んだ。
玄関の前には、見知った人影が見える。
幼少の頃、夢中になって暗くまで遊び過ぎた時のような、そんな既視感が頭を過ぎった。
高度を落とし、空に身を支える魔力を切り、良一は庭へと降り立つ。
そして良一は、唐突に落ちてきた良一に少し驚いたという風な彼女と顔を合わせ、片手を額にやると――
「ただいま」
と、ばつが悪そうに前髪を掻いた。
「……おかえりなさい」
咎めの言葉も、非難の表情もそこにはなく。
ただ、喜びと安心に満ちた笑顔を見せるステラに――
良一はぐっと右手を握り締めると――
この世界の『仕事』を、完遂させる覚悟を決めた。




