33.Gott würfelt nicht
横薙ぎに振られる槌と、大振りされた良一の拳がかち合う――
槌と拳。力を試し合うように互いのエモノを狙って放たれた一撃は、赤と紫の閃光を伴って大気を震わせた。
互いぶつけあったエモノを前に、低いうなり声をあげて相手を押し合う。人智を超えた力の衝突に、体格の差はさしたる意味をなさなかった。体より解放される力は相手を探らんと緩急をつけ合い、拮抗を見せる。
先に動きを見せたのは、良一。
「らぁっ!」「っ!」
力を緩め、押される力を利用し、身を沈ませながら放った回し蹴りが鍛冶の神を狙う。巨体に見合わない速度で飛びすさる鍛冶の神―― そこに良一の魔力弾が連射された。
十発、二十発。炸裂音と共に紫の爆煙が上がり、あっという間にその姿が包まれていく。
「くらえっ!」
駄目押しとばかりに良一は、煙の中へと一回り大きな魔力弾を放つも―― その光弾は、煙をすり抜ける。
「……っ!」
咄嗟に足元へと魔力を流し、良一は前方へと高く跳んだ。同時、良一の立っていた場所へと真上から鍛冶の神が降った。
落とされる槌の一撃に弾け飛ぶ岩盤。逃れ、空中にて身を翻した良一は―― ニヤリと笑って、宙を下からすくうように右手を上げる。
寸前に地面へと送りこんだ魔力が起動し、鍛冶の神を中心に紫色の大爆発を引き起こした。
巻き起こる煙と砂埃を見やりつつ、良一は宙を降りる。
「……だろうな。そんなに簡単じゃねぇか」
ずしり、ずしりと、爆発に抉られた地中から、煙ごしにシルエットが現れる。片手に槌を携え、煙を割って現れたその巨体からはダメージはうかがえなかった。
良一は好戦的な笑みはそのままに、眼光鋭く身構える。
『ぼ、坊ちゃん…… どうなんスか……? か、勝てそうなんスかね?』
「さぁな」
『さぁな? さぁなって…… えぇっ!?』
そんな短いやりとりに呼応するかのように、鍛冶の神は良一と同じような笑みを作り、手招きをする。
誘いの通り、良一は地を蹴って飛び込む。互いの接敵から、激しい乱打の応酬が始まった。
その鈍重な見た目を裏切るように乱れ飛ぶ槌。かいくぐり、違い過ぎる身長差をものともせずに打撃を見舞う良一。詰められる間合いを、槌の柄や蹴りで弾き返す鍛冶の神。
リズムも呼吸も不確かな、幾重にも交じり合う攻防の中――
――届かねぇか……!
良一は、『神』という存在の高みに歯噛みした。
「っ……! くぅおっ……!?」
ほんのわずかな体勢の歪み。前のめりに重心が傾いた瞬間に、槌は良一を打ち上げていた。
胸部を目がけた一撃を咄嗟に両腕でかばうも、小さな良一の体は撃たれた砲弾のように空中を吹き飛んでいく。
あわや背中から岩壁に激突―― する寸前に、魔力にて制動をかけたその体は宙に留まる。
良一を吹き飛ばした鍛冶の神は、フルスイングの体勢のままに―― その身をもう一周させた。
「……!?」
回転する巨体から手放された槌が、猛スピードで壁際の良一に迫る。
槌は超高速が過ぎる縦回転に燃え上がり、炎の車輪と化す。
「ちぃぃっ……!」
それを良一は、急加速して左へとかわす。炎の車輪は止まることなく岩壁を突き破り、轟音とともに洞窟に新たな道を作っていった。
「くそっ、無茶苦茶だな……!」
かわしきれず、右腕に燃え移った炎を振り払いながら、良一は悪態を吐く。
きわどいところだった。弾き返すことやガードはおろか、あと少しでも回避の判断が遅れていれば、回転の生み出す空気に呑み込まれていただろう。
「良い気概だ童子よ。だが、まだこの程度では何一つと与えてやれんな」
「わぁってるよ…… 黙ってろ」
数十メートルと離れた位置にして、それでもはっきりと届く重い声。良一は右腕に緑色の魔力を這わせ、焼けた皮膚を癒やす。
『ちょっと坊ちゃん…… ひょっとして今結構にヤバいんじゃ……』
戦い始め早々に手傷を負った良一の様子に、体の内側からクモがささやくも――
「舌噛むぜ」『わわっ!』
良一はかまうことなく、仁王立ちする巨体へと中空を突っ切っていく。
迎え撃つ鍛冶の神は、再びその腕に槌を生み出した。
二合、三合、四合――
槌と拳。炎と光弾。赤と紫の力が飛び交い、ぶつかり合う。
鍛冶の神が良一を押しやれば、良一の鋭い攻撃が鍛冶の神を突く。良一が鍛冶の神を打ち据えれば、鍛冶の神が良一を振り払う。高揚に笑みを浮かべ殴り合う巨神と悪鬼の戦いは、遠目に見れば一進一退のものに見えた。
だが――
「ちっ、てめぇに急所とかはねぇのかよ!」
「無いな。戦いに適した形をしているだけだ」
神と人。その差ははっきりと現れ始めていた。
人の体の臓器が、心肺が、脳機能が、リズムも呼吸も不確かな過集中に疲弊していく。対し生物ではない神は、その身全てが一つの道具。複雑な生命維持の機構を必要としない、言動を体現するためだけの物体に過ぎない。
疲れも痛みも知ることのないその体は、他の生物を遙かに超越した武器だった。
「ふんっ!」「っ……!」
良一の頭を狙い、真横に振り抜かれる槌。それを屈んでくぐり、そのまま反撃へと飛び込む良一を―― 巨体の突撃がはじき飛ばす。
胸元に肩を当てられ、息が詰まった良一をめがけ、容赦の無い槌の振り抜きが襲いかかった。
「がああっ……!?」
強烈な槌の一撃に、数分前の再現のように大きく吹き飛んでいく良一。
「終いだ」
またもや良一をかち上げたフルスイングの体勢―― から、鍛冶の神は凄まじい速度で地を駈け、相手を壁面へと沈めんがために追撃へと空を飛ぶ。
スピードを殺しきれず、背中から岩壁へと突っ込もうとする良一。槌を振り上げ、宙を滑る鍛冶の神。
鍛冶の神の眼前―― 良一の眼光が、ギラリと強まる。
「……ぬっ!?」
慣性のままに叩き付けられた良一の体に弾け飛ぶ岩壁。瓦礫と砂埃が舞い散ると同時、前に突きだした良一の両手から三本の「円錐」が発射された。握り拳程度の大きさの紫に輝く「円錐」は、鍛冶の神の胴と胸に突き刺さり、風穴を開けた――
「へっ……! なめんなっ!」
壁面にめり込んだままに吼える良一、その両手から巨大な紫色のレーザーが放たれた。直撃を喰った鍛冶の神の体が、良一と対角線上の壁面へと真っ直ぐに吹き飛んでいく。
地響きと轟音。レーザーが洞窟を突き破り、鍛冶の神を遠ざけていく。それと共に、壁へと張り付いていた良一の体が地に落ちた。
「はぁっ…… はぁっ……! くっそ……!」
地にへばりつきそうな体を、なんとか両腕で押し上げる良一に、クモの声が響く。
『や、やったんスか? やったんスか……!?』
息も絶え絶えに、面倒くさそうに良一は答える。
「殺るつもりでやったが…… 生き物じゃねぇからな……」
両膝をつき、片足ずつ踵で地面を踏みしめ、両腕はだらりと、良一は立ち上がる。
今しがた鍛冶の神を吹き飛ばした、巨大な魔力のレーザー。それよりも遙かに大きな魔力量で高圧縮した三本の「円錐」は、たしかにその巨体を貫いた。
しかし、そこに意味がないことはわかっている。
自在に生み出せるらしき槌と同じく、その体は神の力によって創られているだけのものなのだ。
『まだ…… だな』
「……!?」
どこからともなく、あの重い声が洞窟を震わせ全身を打った。
『まだ足りん。この程度ではまだ、何も教えてはやれんな』
洞窟の中心部―― 石畳の上に炎の渦が舞い上がる。その中心から、肩に槌を提げた鍛冶の神が姿を見せた。
「ちっ……!」
良一は忌々しげに舌打ちする。予想通り、その身には傷一つついてはいなかった。
「童子よ、ひとつ聞きたい」
「……?」
提げていた槌を片手で石畳につき、鍛冶の神が目を合わせる。
「わずかに見ぬうちに、何があった? 人はそれほどに短命ではなかろう。その身は童子のままだ、我が長く眠り過ぎたわけではあるまい」
表情のない問いかけに、良一は怪訝な顔で返す。
「……何が言いたい、わかりやすく言え」
「ふむ」と腕を組んだ鍛冶の神は、しばしの思考を見せる。そして――
「なぜそこまで弱くなった。そこに疑問があるのだ」
「……!?」『へっ?』
――弱くなった。
告げられたその一言に、良一は、
「遊んでいるわけでもあるまい。それで全力だというのなら、汝は確実に弱くなった」
自らの敗戦を予感せずにはいられなかった――
『よ、弱く……? え? なんか…… 体調悪いっスか……?』
良一の中にいるクモからは、彼の表情はうかがえない。だが、伝わるものがあった。答えを返せない口先、そして微妙な体のこわばり。
そこに垣間みる感覚が、良一の動揺を知らせていた。
「弱く…… だと? 体に穴開けられといて何言ってやがる……」
強がり、それもクモには伝わる。
遠く差し向かう鍛冶の神にも、それは見通されていた。
「……童子よ、あの激しくも研ぎ澄まされた赤く黒い力はどこへいったのだ?」
「……っ!?」
「今のその身からは、際立った暗黒の魔力以外を感じない。それも、ただ得意であるからと前面に押し出しているだけにしか思えん。その暗黒の力すらも…… 翳りが見えていると汝で自覚しつつあるのではないか?」
良一の返答は、歯噛みと忌々しげに漏れる嘆息だけだった。
「ふむ……」
小さなうなずき。良一へと視線を向けていた鍛冶の神は、槌を拾い上げると、彼に背を向ける。
「なるほどな…… 理解がいった。では、ここまでだ」
「なに……?」
「汝には、すでに叢雲をくれてやった。それ以上を求めるのであれば、それ以上の力を示してもらわねばならん。それに…… 今求められているものは、刀一本程度の話ではないからな」
言い置いて、鍛冶の神は祭壇へと歩き出す。その足取りは淡々としていて、興が冷めたかのようだった。
実力は看破した、すでに勝敗は決した。そうとでも言いたげな、人の形をとった神の背中。
良一は疲労を振り払い、喪失しかけた戦意を揺り起こし、その背に追いすがろうと足を踏み出す。
「っ…… 待ちやが――」
「殺すぞ」
目の前全ての色が一瞬にして反転した、そう錯覚する。振り返った鍛冶の神の目に、良一は呼吸を失っていた。
静かで重く、心臓や肺―― 存在そのものを握られたかのような、明白な殺意。
「それでいい」
気づけば良一は、片膝を落としていた。
「あの力…… 失えたのであれば、二度と追いかけぬことだ。それを喜びと知れ」
鍛冶の神は、再び歩き出す。
「その方が、やつも喜ぶことだろう」
その背が、遠ざかっていく。
やつ―― それがステラを差していることは、良一には言われずともわかる。
なぜなら彼女こそが、良一を弱くしたその神だから。
赤黒い力は、与えられた悪意と、絶望と、復讐心が生んだ、暗く燃えたぎる怒りの象徴。
この世界で彼女と過ごし、献身的な想いに解きほぐされてきた良一には、もうその力を呼び起こすことはできなくなっていた。
「くっ…… っ……!」
今必要であるというのに、出せない。彼女のために必要であるというのに、彼女のおかげで、もう失われている。
――なんでだ…… なんでおれは、また大事な場面でおれじゃない……
復讐心に歪んでいた良一ならば、今ステラのために戦えた。
復讐心に歪んでいない良一ならば、あの時彼女のために剣を止められた。
今と過去、二人の良一の無念が同調し―― 無力感が身を苛む。
遠く、社への階段を上っていく神。
良一は自らのまぶたに肩に、以前と同じ重さを感じ始め――
「そっちに行っちゃダメっス!」
「……!?」
目を見開く。
顔を上げた良一の前には、体から抜け出たクモの姿があった。
「お前……」
「今の坊ちゃんはフッカツしかかってるんっしょ!? ちゃんとしたあの子との記憶を取り戻して、再び立ち上がれそうになってるんっしょ!?」
目の前で叫ぶクモの表情は、必死さと真剣さに満ちたものだった。
「だったら…… 後退りはナシっス! 今は前進あるのみっス!」
出会ってまだ十日程度。なのにその発破をかける様子は、まるで自分のことのように本気で、家族や親友に祈るかのように誠実で――
――『そっちにいっちゃダメだ!』
再び重く閉ざされそうになる良一の心を留めるに、充分なものだった。
「だが…… やりようがない。今のおれじゃ、あいつを認めさせるような力は……」
「それは、やってみないとわかんねぇっスよ」
「……?」
そして、圧倒的な力の前、万策尽きたはずのこの窮地。
「二人で、なんとかしましょう?」
新たな賽が、良一の手に滑り込んだ。




