4.雪崩の刻
それから二日の時が流れ、ストマールが決めた三日間の休みは終わった。
二日の間も伊達は集落を歩きまわり、人々の仕事を手伝ってみたり、スリリサの家にあがりこんで歓談してみたりと、とにかく人と会うことを重点的にした情報収集を行ったが、一日目のようなこれといった情報は得られなかった。
今は時を待つ以外にないのかもしれない。伊達はそう思い始めていた。
「おう、ダテ」
小屋の外、ストマールと落ち合う。
「出かけるぞ、いいか?」
「あ、はい」
「今期ラスト三日だ。いい獲物が採れるように祈ろう」
「はい」
休み明け初日、早朝の空には薄暗い雲がかかっていた。
~~
集落から狩場までのそう遠くない雪路を歩く。
集落の囲いを抜け、しばらく経った頃になってダテは今日の違和感に気づいた。
「あれ? 軽い……?」
僅かな違いではあるのだが、背中に背負っている狩り用の道具袋が軽くなっていた。前を歩いているストマールも、よく見れば今日は弓を背負っていない。
妙に思いながら辺りを見回してみると、いつもならそろそろと合流してくるはずの他の狩人達の姿が見られなかった。
「ストマールさん、他の人は?」
ダテは今の状況がわからず、説明を求めた。
ストマールは振り返ることもなく答えた。
「今日からは俺達だけだ。食糧事情はもう充分なんでな、この三日は希少品を狙う」
「希少品?」
「とにかく高く売れるやつだ。手当たり次第に採ればいいってもんじゃない…… 返って人数が邪魔になる」
ストマールは道々、この場所で採れる希少なものについていくつか教えてくれた。
山菜、キノコ、茶葉、それに鉱石――
採りにくい場所にあるものや、見ることの珍しいもの、見分けるが難しいもの、それぞれに高いだけの理由があった。
普段の狩りとはまた別の難しさがあり、言わば繊細さの求められる狩りだった。
「それって…… 俺で大丈夫なんですか?」
ダテが当然の疑問を口にする。
「俺の見立てではお前は集落一の目を持っている。遠くを見る目じゃなく、色彩を見分けられる目だ」
「色彩を……」
「目の感覚は人種もあるが育ってきた環境の影響が大きい。お前はきっと色の数や名前の多い場所で育ってきたんだろう」
思い当たることはあった。自分はこれまで自然や人工物だけになく、デジタルの色まで目にしてきた。自然色を主体に見て生きている彼らとは、そもそもの感覚が違うのかもしれない。
ストマールがなんらかの学識に基づいて話しているわけではないことはわかるが、感覚として理解しているのだろうその事柄には、妙に腑に落ちる部分があった。
「あんまり自信ないなぁ~……」
「謙遜はしなくていい、そうでなければこんな白一面の風景から動かないウサギなんぞまず見つけられんさ」
先ほど腑に落ちたはずの内容がふっとんでいった。ストマールからすれば何もおかしなことを言っているつもりはないのだろうが、彼は残念ながら誤解をしているようだった。
経験による想像の及ばない内容には、経験を積んでも感覚や理解は得られない。
誤解はわかったが、ダテは何も言わずにおいた。
「信じてもらえるならやってみましょうか」
「ああ、頼んだぞ」
そろそろと、いつもの狩場にさしかかる。
――その時、奥地から異様な咆哮が轟いた。
「今のは……?」
ここに来て半月、初めて耳にする凶暴な叫び声だった。
「なんだ……? 何が吠えた……?」
珍しく彼がうろたえている。ストマールにもわからないらしい。
「一旦引き返しますか?」
「いや…… 狩人としての判断ならばそれは正しいのだろうが…… それはできない」
「なぜです?」
「距離として、遠くない…… 人里を襲う何かならば集落の人間として無視しておけない。確認くらいはしておく必要がある……」
彼はこれまで狩人として、「生還しなければ意味がない」という利益を追う者としてのスタイルをダテに見せてきていた。収穫が薄かろうが陽が陰れば撤退を指示し、獲物を追って危険な場所へと踏み込もうとする仲間は厳しくいさめた。例え気の荒い仲間に臆病だの回りくどいだのとののしられようとも。ダテをしても少し慎重が過ぎるのではと思うほどだった。
だが、そんな彼でも踏み込むことが、踏み込まねばならないことがあるのだと、ダテは思った。
「……そうですね」
「お前はどうする? 今日は狩りは中止だ。帰ってもらっても……」
答えは決まっていた。
「いや、行きます。狩場での単独行動を厳しく禁止しているのはストマールさんでしょう?」
「……ありがとう」
二人は慎重に、雪の中を掻き分けていった。
~~
咆哮の主を求め、事態の調査に入る。
天候が崩れだし、雪は激しさを増してきていた。
雪は積もってはいるが『夏山』の時期の狩り場は雪の量が少なく、新雪を踏み歩いてもそれほどに足を取られることはない。一年の内のほんの一月と半分ほど、彼らの狩猟期間は雪の浅くなったこの間を見計らい、日々の獲物の様子を見ながら行われる。
そんな時期には珍しい、ダテにとってはここに来て初めての猛吹雪になろうとしていた。
長引くようなら撤退も止むを得ないだろうと二人は思っていたが、異変はすぐに見受けられた。
「なぜだ……?」
「どうしたんです?」
「動物がいる……」
「……!」
普段と変わらず、狩場の中で何匹かの動物に出くわす。
ダテの知る限り、「ウサギ」や「鹿」と呼ばれている動物だ。
「あいつらは用心深い…… あの咆哮を聞いて身を隠さないわけが……」
と、その時、一匹の動物がこちらに気づいた。
「……! 向かってくる……!」
ダテはその動物の様子をいち早く察知した。
「ストマールさん! あれは普通じゃない! 攻撃を!」
「何……!?」
もはや狩りなどではなく、狩る者と狩られる者のルールなどここにはなかった。
「ウサギ」らしかったそいつは、迫りながら猟犬ほどに巨大化し、頭部から角を生やしていく。
先端を向けて突撃してくるその「ウサギ」におののきつつも、ストマールは雪を蹴ってそれを回避した。
「なんだこいつは……!」
それはいつもの獲物から、何か別の生き物へと変貌を遂げていた。
振り替えってストマールを睨む草食であるはずのそいつからは、明確に目の前の者を喰らおうという意思が見える。
「魔物だ……」
「魔物!?」
ダテの呟きにストマールが鸚鵡返しする。しかし、ダテは答えず、それに向けて腰からナイフを抜き、振りかざした。
~~
「終わったか……」
謎の生物達は死滅した。
ダテがナイフで一撃のもとに「ウサギ」を倒したことを皮切りに、辺りの「ウサギ」は集団でダテに向かって攻撃を開始した。ダテの窮地に背中から手斧を取るストマールだったが、ダテは「ウサギ」達の猛攻を巧に回避し、反撃を加えていった。
その様を半ば棒立ちで見るストマールに対し、ダテが一声鋭く警告を発すると、彼は降りかかる災厄にいち早く反応し、襲い掛かった「シカ」に対して手斧の一撃を見舞った。
変貌を遂げて襲い掛かった「ウサギ」「シカ」「トリ」。「トリ」に対しては苦戦を強いられたが、幸いにしてダテがナイフを投げ失うことで決着し、数分の時を経て彼らは沈黙した。
「こいつはいったいなんなんだ……! 何がどうなってやがる……!」
雪の上に座り込み、息を荒げ、ストマールは激昂するように吼えた。
「大丈夫ですか? ストマールさん……」
「あ、ああ…… 別にどこをやられたってわけでもない……」
ダテの声が落ち着いていたことに救いを得たのか、彼は少し平静を取り戻す。
ダテはさっと彼の体を見回すが、言葉の通り怪我を負っている様子はなかった。
「やはり、戻りますか? 今奥へと入るのは危険かと……」
「そういうわけには、いかんだろ……」
ストマールの肉体的、精神的な疲労を鑑みて、帰ることを提案するダテだったが、彼は膝を一打ちして立ち上がり、先へ行くことを促した。
「さっきの咆哮は距離からしてこいつじゃない。そいつの正体を確かめなければ……」
「でもまたさっきみたいなのが現れたら……」
「あの程度なら問題無い、駆除しながら進む」
ストマールは先へ歩いた。小さくなっていく屈強な背中にダテは呟いた。
「はぁ…… 意固地だなぁ……」
ダテは道具袋を漁り、予備のナイフを腰に下げると彼の足跡を追いかけた。




