28.神、視点
『世界』の在り方は、途方も無い自分勝手――
以前神に聞かされた話は、良一が憤りを覚えるに充分なものだった。
問うことによって与えられた世界の理。それはまさに人の手には余る物事であり、中に組み込まれたものにとっては、知るべきことではなかったのかもしれない。根深く歯痒い憤りの中に、そんな後悔さえもを良一は抱いた。
憤り、後悔、その全てが消えたわけではない。それは今も変わらず、彼の腹に渦巻く。
しかし今の良一は―― 『世界』にある種の共感を抱き、彼らを一段と深く知った良一は―― 大きな変化を見い出していた。
――『そういうものである』と、受け入れること。
変わりようのない、変えられようのないことを、受け入れることにより生まれた達観とも言える視点。
変えられないもの、変えられるもの、譲れないものを見極め、事象を俯瞰して見つめられる―― そんな視点を持つことが出来るようになっていた。
その視点は残酷に、そして明確に事実関係を彼に映し出した。
この世界に自らが迎えられたことは、たしかに『彼女』のおかげだったのかもしれない。この場所で良一はステラに出会い、自らの境遇を掴み、長く続いた不協和を寛解することが出来た。
だが、それは決して、『世界』が行ったことではない。
伊達良一という個人に対し心優しく道を示す、そんな理由で彼を呼ぶ『世界』などは有り得るはずがないのだ。『世界』の関心は、良一の脳がそうであったように、自らの理想とする在り方にしかない。
真偽の定かではない指輪の加護は、どちらにせよもう役目を終え、過去のものになった。ならば今ここに良一がいる意味は、『世界』の身勝手に他ならない。
そして『世界』が憂う個人的な脅威は、確実にこの世界のどこかにあるのだ――
「問題は、この世界にいる生き物…… って言っていいのかよくわからないが、とにかく自分で動く連中ってのがおれ達以外に存在しないってところだ」
気づけば数週間と過ごしてきたこの世界。見慣れた真昼の草原を良一は歩む。
「私達って言うと~…… 坊ちゃんと私と、ステラ様っスか?」
「あとはお前を作った、あの鍛冶の神とかいうやつくらいか」
足元には白石のまばらに続く石畳。初日に辿ったステラの家へと続く石畳を、今はクモと共に逆に歩む。
「……坊ちゃん、それなんでわかるんスか?」
「魔法ってやつだが…… お前、そのへんのこと―― ここにはおれ達しかいないってことは知らなかったのか?」
「はぁ、初めて知った…… というよりは、初めて気づいたって感じっスかね。言われてみれば、私の知ってる坊ちゃんの世界の常識から考えればおかしなことっスね」
「そうか……」
石畳が途切れ、この世界でのスタート地点に良一は立っていた。
立ち止まり、空を見上げる。相変わらず空に太陽は無く、主の無い眩しい陽光だけが、彼の頬に熱を与えた。
「クモ、前に言った…… おれの半年前の話は、まだ覚えてるな?」
「……そりゃあ、まぁ」
「……あの世界でのおれは、『勇者』だった。形はどうあれ、『魔王』を倒すために呼ばれた『勇者』だった」
空を見上げたまま、顔は合わせない。過去への思いは今はよく、誰かの感傷の表情を見たいわけでもない。
「その話からすると、ちょっとおかしく思わないか?」
「はい?」
「自分勝手で人なんて見てない、わざわざおれ達一人一人のことなんかは考えない。それが『世界』だっておれは言ったし、ステラも言った」
「……ん?」
中空に腕と足を組み、しばし考えこむような仕草を見せるクモ。
「……あっ! しっかり見てるっス! 『勇者』とか『魔王』とか! 『世界』さんったら人間のことしっかり見てるし、考えてるじゃないっスか!」
「ああ、見てるんだ。『世界』は人を見ている、間違いなくな」
「どういうことっス……? ステラ様が坊ちゃんに嘘をつくなんて思えないんスけど……」
「ステラは嘘をついてないさ、もちろんおれもな」
良一は草むらへと歩むと、彼の世界でのススキに似た、細長い植物を二本引き抜いた。それを一本ずつ両手に持ち、クモへと振り返る。
「おれは『勇者』として、『魔王』を倒すために呼ばれた」
左手に『勇者』、右手に『魔王』。そして良一は、左手の草を捨てる。
「あの世界の場合、『世界』は『魔王』を見ていたってことだ」
「坊ちゃんじゃなくて…… 『魔王』っスか……?」
「ああ、おれはあとから呼ばれたからな。なら『世界』がずっと見ていたのは、『魔王』っていう個人になる。『魔王』自身か、そいつの関わる何かをどうにかしたくて、『世界』はおれを呼んだんだ」
「なるほど…… そう言われてみれば、たしかにそうっスな」
右手に揺れる『魔王』にクモがうなずくのを見届け、良一は『魔王』を捨てた。
「『世界』はいちいち人のことを見たり、考えたりはしない。だが、個人は見るんだ。その『世界』にとって重要な人物…… 例えば世界を変えてしまうような特別なやつだけはな」
「あ……」
「ここに間違いは無いはずだ。事実おれはあとの世界でも、そうやって『世界』が見ている特別なやつら…… そういうやつらに関わって、ゲームクリアを重ねてきたんだからな」
そこまで話してしまえば、クモにも彼の言わんとすることが伝わっていた。得られた要領に、トンボのような羽が忙しなく動く。
「じゃ、じゃあこの世界…… 私達しかいないってことは……!」
「まだ何もわからないが可能性はある。『世界』は何かを、おれを使って誰かを変えたがっているのかもしれない。それは世界を変えるような重要な存在で、おれが現れるより前からここにいる存在――」
そこに真っ先に思い浮かぶ存在は、一つしかない。
「……ステラ様!?」
「ああ……」
良一は視線を石畳の向こう、家のある方向へと向ける。
そこには始まりの日と同じ、印象だけが変わった光景が広がっていた。
「そ、それって…… ステラ様に言った方がいいんじゃ……」
「……まだ何もわからないって言っただろ。ステラとは何も関係無くて、これから起こることか、まだ見えていない問題におれが必要なのかもしれない。言うには早すぎる」
あるいは、ステラであればすでに気づいているのかもしれない―― その言葉を良一は呑み込んだ。
「わ、わかったっス…… それをこれから、たしかめるんスな?」
「ああ、ステラには言うなよ。こうして『世界』の思う通りに解決に動き出した以上、言ってしまうことが『禁則』になりかねない。そうなったら、おれは『世界』に追い出されてアウトだ」
「ん、んぐ…… 『禁則』、そんなのあったっスな……」
良一が『世界』の意に沿わないこと―― 『禁則』。
その言葉に身を固くするクモの表情に合わさるように、良一も思わずと右手を握り締めていた。
かつて優位な『選択』であったはずのそれが、今は彼らにとっての禁忌。その事実をおかしいと思うような思考を、この時の彼らは持ち合わせなかった。
「……じゃあ、始めるぞ」
良一の身体が、ふわりと魔力に乗って宙に浮く。
「まずはどうするんスか? 坊ちゃん」
「この世界を見る、なんか考えるのはそこからだ」
「あい!」
空に昇っていく良一に、一つ敬礼を見せたクモが続く。
彼らの視点が、この世界の全貌へと迫っていった――




