21.木霊
桃色の長い後ろ髪を揺らし、昨日と同じようにステラが野を歩く。
弾むようなリズムで、今にも鼻歌を聴かせそうなその背中は、これまで見てきた彼女のらしさそのものだった。
――昨日の夜は夢だったのかな……
そんなはずはないが、そう思えてしまう。
ただの相談の答えを超えた、ある種託宣のようにも感じた昨夜の言葉一つ一つ。その言葉も、彼女自身にも、静謐で厳か―― 今にして思えば幻想的にも感じる、神秘性のようなものがあったように思う。
だが今の彼女は、『ステラ』だ。
得体が知れないのに警戒出来なくて、穏やかなのに陽気さが勝っていて、一方的で押しつけがましいまでの世話をなぜか受け入れてしまいたくなる、いつものステラだ。
――神様…… か……
楽しげなその足取りに、良一は自らの無知を知る。
魔王にも出会った。魔物も見た。人間や、人間とは呼びたくない多くのヒトビトと交わってきた。そして今や、どこにカテゴライズしていいのかわからない『自分』という生き物を、ゼロ距離にぶらさげている。
だが、『神様』とはなんなんだろう。生き物ではない存在とは、どういうものなんだろう。概念の違う身を持った、その考え方や心はどうあるのだろう。ふと抱いたそんな思いが、良一に無知を気づかせた。
――いや、一緒か。誰も何も、変わらない……
神様であるステラ。彼女のことをわかりきることはない。しかしそれは何も特別なことじゃなかった。ヒトであれ動物であれ、決してわかりきることはないのだ。そして、自分のことでさえも。
これから先、生きる限り出会っていくであろう数々の異世界達。ならばきっとそれらも、わかりきることもなければ、未知ばかりの道程になっていくのだろう。
「……? あれ、そういや…… ムラクモは?」
午前に勉強を見てもらっている間、床やソファーにだらだらと寝そべったり、茶々を入れてきたりしていた金色のあれ。当然とついてきていそうなそいつの姿が見当たらないことに、良一は今更に首を振る。また知らない間に自身の中にいるのかとも思ったが、なんの返答もないあたり違うらしい。
奇妙に思う良一の前、足を止めたステラが振り返った。
「うん、この辺りでいいかな」
振り返ったステラの視線は良一を越え、辿ってきた道の向こうにあった。つられるように良一も背を向く。そこには当然といえば当然ながら、まばらに立つ木々と共に、ステラの家が小さく見えていた。
「リョウちゃん、はい、これ」
「……?」
はいと言われて差し出された物。ステラの手には「?」と印字された二十センチくらいの木箱が乗っていた。
「なんだよ、これ……」
訝しげな顔をして受け取った良一は、右手で立方体をくるくると見回す。
「今日はリョウちゃんに、ちょっとマジックショーをやってもらおうかなって」
「はぁ?」
いきなり手渡された「?」な木箱。日本でごく普通に育った少年としては、何より真っ先に「叩けば菌類が飛び出してくるアレ」を想像してしまうが、言われてみれば手品の道具のようにも思える。
「意味がわからないんだが…… マジック? おれがやるのか? ステラじゃなくて……」
「うん、私はお客さん」
楽しそうにうなずくステラに、良一はため息とともに首を振る。
重さからして、中身は空らしい「?」木箱。おそらくはこの中から、何かを出すようなことをしろと言っているのだろう。だがそんな手品のやり方は知らないし、やらされる意味もわからなかった。
ひょっとすれば何か、数学なり理科なりの一節をわかりやすく教えるために思いつき、やりはじめたことなのかもしれない。そう思いつつ、良一は、
「すまん、パスだ」
「ほぁっ!?」
明後日の方向へと、「?」木箱に放物線を描かせた。
ひょーんと草むらに向かって飛んでいく「?」な木箱が、ぴたりと空中で停止する。
「もー、ちゃんとやり方教えてあげるから、面倒がらないの」
困ったような顔をするステラの指先が、木箱に向けられていた。宙に浮かんだ木箱が、彼女の手の動きに合わせて良一の目の前に戻る。
「やり方も何も、魔法が当たり前の世界で手品なんて意味あんのかよ……」
箱の中から何かが出るのと今の物体浮遊、驚かれるのはどちらだろう。考えてみてバカバカしくも思いながら、良一はふよふよ浮かぶ木箱をひったくるように手に取った。
「で? 何すればいい? ハトでも出すのか?」
「出せるの?」
「いや、おれに聞かれても―― ……すまん」
「……?」
軽口のつもりで口に出して、少し気まずくなる。この世界にはヒトはおろか、動物すらもいなかった。洞窟で出会った重たい声の主はいたが、最近現われた自分や昨日生まれたばかりのクモを除けば、元のこの世界にはステラ以外に動く者の姿は無い。
それはこの世界に辿りつき、最も異様に思ってきたことで、直感的に触れてはいけないことのようにも思っていた。
「……まぁいいや、どうすりゃいいんだ? 中はカラみたいだが」
そんな個人的な思いを誤魔化すように、良一は木箱をいじる。四角い下箱の上から蓋を被せた蓋身式型の木箱。蓋を取ってみると、やはり中身は何も無かった。なんとなくな手品のセオリーとして、蓋か底に仕掛けがあるのかと見てみるが、一目でわかるような仕掛けは無い。
「んーとね、クモちゃん」
「ムラクモ? あいつがどうした?」
「蓋を閉じて、目をつぶって、おいでーって念じてみて?」
良一がジト目になる。
「……イヤとかどう?」
「どうって言われても…… あの子お家で待ってると思うし、昨日その箱がんばって作ってたし……」
色々な方向でネタバレ全開だった。
ずっと二人で過ごしていただけに気づかなかったが、ステラを相手に何かを言い含めておくというようなことは出来ないのかもしれない。神様なのにというか、神様だけにというか、彼女は結構に天然なのかもしれなかった。
「さ、早く早く」
「うーん……」
わくわくといった様子の楽しそうなステラを横目に、仕方無しという体で良一は「?」木箱を見る。十中八九どころか十割と何が起こるか結果は見えているのだが、種の部分はわからない。
「念じる…… ねぇ……」
まぁいいかと良一は目を閉じる。そもそもステラやクモを相手に、種がどうこう仕掛けがどうこうは今更考える意味すら無いと思われた。
今は言われるままに、良一は念じてみる。
――『来い』
その瞬間、頭の中心から極小さな電流が走ったような感覚があった。そして、
「ん……?」
かたかたと震え始める「?」木箱。その蓋が跳び上がるように持ち上がった――
「ひゃっはー! 大・脱・しゅーっつ!」
なんということだろうか、何も入っていなかったはずの「?」木箱から、両手で蓋を掲げた金髪の妖精が姿を見せた!
「わー」と歓声を上げながら手を叩くステラ。これには流石の良一もびっくり仰天――
「え? あ、ちょっ…… 坊ちゃん何を……」
するはずもなく、チベットスナギツネのような表情で蓋をぐりぐりと閉めていく。
乾いた表情のままに、閉じた箱は右腕に掲げられ―― 一瞬にして放物線を描いて消えた。物体消失マジックである。
「あらー」
すっ飛んでいった木箱の方向へと、困ったような声を漏らすステラ。打たれたゴルフボールのような速さで消えたというのに、ステラは目がいいんだなと良一は思う。
そして、遙か遠くの山から、「こーん」という木の弾ける山彦――
「のどかだなぁ……」
昨夜からのストレスが少しだけ解消された良一は、ステラから黄色い水筒を受け取り、麦茶で喉を潤した。




