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玄人仕事  作者: 千場 葉
#3 『コンサルティング・スノー』
34/375

3.遠き日の雪原


 集落とは呼べど、コークススに住んでいる人数は百にも上る。ダテの住む国でのちょっとした町よりは賑わっていて、人も家屋も多く、土地としてもそれなりの広さがあった。

 そんな中、古いながらも一際大きな一軒の家が建っている。

 ストマール達が住むような他の民家と同じく、木造に茅葺かやぶきの屋根を持った造りの家ではあるのだが、会合や非常時に集まれる場所を想定して造られたのか、遠目にもわかるくらいに有力者の住処であることが明らかだった。

 初めてストマールからここへの使いを頼まれた時も、ダテに対して彼が出した案内は「一番でかい家に行け」というわかりやすいものだった。


「こんにちはー」


 インターホンなどはもちろんあるはずもないので、大きな声で呼びかける。一度目は反応無し、二度目でぱたぱたと誰かがこちらに近づいてくる音が中から聞こえた。


「はいー、あっ……」

「やぁ、スリリサさんいる?」


 木戸を開けて、若い娘が顔を出した。ニフェルシアだ。


「ああ、はい、おばあちゃんですね、どうぞ、上がってください」

「はい」


 彼女はにこやかに答えると、ダテを招いて案内してくれた。

 中に通されたダテは何度見てもその天井の高さに感心し、思わず上を見上げてしまう。ストマールの家よりもいくらも高い。こういった文化のこういった文明の場所でこそ、いつも驚かされるのは建築の技術だった。

 中は広いとは言っても、入り口の土間と繋がる集会用の居間がほとんどの面積を占めているようで、奥へ入ってみると他には三、四室程度の部屋が仕切られているだけ。ダテはそのうちの一室、大きな火鉢のある部屋へと通された。

 そこに、目的の人物はいた。


「おお、ダテ坊、先程ぶりじゃ。何しにきた?」


 顔を見るなり相好を崩すと、スリリサはダテに手を合わせた。出会った人に拝むようにして手を合わせるのはこの地方の古い挨拶だそうで、若者にはあまり見られない習慣だった。


「いや、近くまでよったんで改めて酒のお礼でも言っとこうかなって……」


 言いながらダテは、やられたからにはということで同じように手を合わせる。


「ほほほ…… この集落にはおらん礼儀正しい坊じゃなぁ」

「あはは…… 坊やって歳じゃないですけどね」


 スリリサは怒らせると怖いと評判の老婆なのだが、ここへ来てからというものダテは不思議なくらいに甘やかしてもらっていた。ダテ自身は何か裏があるのかと勘ぐっていたこともあったが、どうやらそうでもないようで、飾り気の無いダテの容姿や人当たりに対する好みの問題のようだった。


「で、ほんとはなんじゃ? 暇になったんでバァちゃんとお茶でもしに来たか?」

「あ…… はい、暇で。バレバレみたいですね……」

「ふぉっほっほ、歳が歳なもんでのう…… なーんとなく考えとることはわかるわ」


 ニフェルシアがお茶を入れてきた。


「どうぞ」

「ああ、ありがと」


 あったかいお茶だった。ここでは酒の方が多い気がするので清涼なそれは妙に心地いい。


「ダテ坊はいつもうまそうに飲むのう。そんなにうまいかい?」

「ええ…… ここのお茶は俺の故郷のお茶に近いみたいです。心地いいというか」


 ここで出されるお茶はダテの知識からすれば色も味もほうじ茶に近かった。独特の甘みがあり、豆を炒ったかのような香ばしさがある。少し違う点とすれば飲んだ後にさっぱりとした苦味があることだ。この僅かな苦味がもう一口と口に含んだ瞬間の甘みを引き立て、飲んでいて飽きない。

 好みはあれど、この味であればひょっとすると彼の国でも、緑茶に並ぶランクの品になっていたのではないだろうかという逸品だった。


「むか~しはお茶も名産じゃったんじゃ、今では雪にまみれて茶葉も探しづらくなっちまって、まともに探せるのもわしぐらいになってもうたが」

「へぇ、そりゃ惜しいですね」


 気軽に買えるのなら持って帰りたいくらいのお茶だった。それは彼の中ではご法度の一つではあるのだが。


「心配せんでよか、シアには採り方も教えとるから、わしがおらんくなっても朝晩シアが煎れてくれよるわ」

「おばあちゃん……!」


 老人の冗談にムキになってニフェルシアが反応した。本当にそうしてくれるのなら結構な贅沢だが、ダテとしては笑って誤魔化す他無い。


「は、はは…… と、そうだそうだ……!」

「ほぇ?」

「スリリサさん、ここって昔は雪がなかったんですか?」


 ダテは誤魔化しついでとばかりに、本題に入ってみる。


「おお、誰ぞ言っとったか?」


 どう反応するか、勝負どころと睨んでいたダテだったが案外反応は普通だった。スリリサからは特別に警戒するような様子は見られない。


「ストマールさんがそこでちらっと。そんなことあるのかなって気になっちゃって」

「おばあちゃんだけじゃなくてお爺さん達もそんなことをよく言ってました。私もちょっと信じられないですけど」


 ダテの言葉についで、ニフェルシアも会話に入ってきた。思わず彼女の表情をうかがうダテだったが、目が合った瞬間に顔を背けられてしまった。


「ふむ…… このコークススの集落はベブサートという地方の中にあるんじゃが……」

「べぶさーと?」


 コークススという集落の名称はよく聞いていたが、それは初めて聞く単語だった。


「この辺りの平野一帯を示す地名です。地域としては人の足でも頑張れば歩ききれるくらいでそう広くはないんですよ?」

「へぇ…… 見渡す限り真っ白だけど大雪原ってわけじゃないのか……」


 ダテはニフェルシアの言葉に自分の頭の中を改める。彼の今までの見識では、馬車か犬ぞりでもないと出られないくらいの雪の一帯が広がっていた。何せここに来てからは山から地平線にまで伸びる白以外の風景を見ていない。無理も無い誤解だった。


「大雪原、そう思うじゃろ? じゃがわしらの古い言葉ではベブサートの『草原』は草原という意味なんじゃ」

「……?」

「へぇ、ブサートって草原だったんだ……」


 少し当惑しているダテの横で、ニフェルシアが得心したように言った。


「ほっほ、お前さんの世代には昔の言葉なんて細かく教えてないからの、一つ勉強になったかい?」

「うわぁ…… 当たり前に使ってる地名なのに知らなかったのってちょっと恥ずかしいかも……」


 二人の会話を拾い集め、ダテは結論に達した。


『ベブサートの『草原』は草原という意味なんじゃ』

『ベブサートの『ブサート』は草原という意味なんじゃ』


 ――これは伊達の持つ「翻訳」魔法の欠点である。


 伊達は異なる言語の地域において「翻訳」の『魔法』を行使している。

 これは最早常態化しており、本人にも完全に消すことは出来ないものだが、その仕組みは「話し手自身の意思、及び言語情報を読み取り、その言語を受け手の知る言語に変換して伝える」というものである。

 つまり、彼の用いている翻訳はただの言語の変換ではなく、話し手の癖や方言、伝えたい感情など、会話にとって重要な部分である曖昧なもの、ニュアンスをも翻訳出来てしまう高機能なものだ。


 だが、やはり翻訳は翻訳、欠点と呼べるものはいくつかは存在する。

 代表的なものを挙げれば第一に「口のズレ」。言葉は変換されても本人が本人の言語で喋る以上はカンマ数秒であれ話し終わりの口にズレが生じ、話し途中には口を閉じた撥音はつおんや単純な母音の発音などで口の形に齟齬そごが生じる。これは使用を秘匿しておきたい場合に、相手の洞察力次第では簡単に看破される類の欠点だ。


 そして第二に今回、今回だけにあらず度々起こってしまう伊達が最も感じる欠点が「直訳」である。この魔法は構造として「意思を汲み取る魔法」と「言語情報の変換魔法」という元は別々のものを合わせて作られている。

 そのために翻訳をかける際、今回のように「説明しよう」として発言した単語に対してまでも処理の過程で「変換」がかかってしまい、それが単体で意味のある、本人が単語として意味を深く知る固有名詞だった場合には奇妙な直訳になってしまうという構造上の問題点を抱えていた。その不便さはもちろん、伊達から伝える場合でも同じである。

 例えば、スリリサが言葉の意味などを意識せずに『ベブサート』と発音する場合、「地名を言おうとしている」という単純な意思が「言語の変換」のプロセスに「ケース:固有名詞」として作用し、変換機能を停止させ『ベブサート』は固有名詞として問題無く相手に伝わる。

 だが、『ブサート』の意味を深く知る彼女が単語の説明のために『ブサート』と発した場合、魔法は「言葉の意味を説明しよう」という意思を読み取り、地名の時と等しく「言語の変換」プロセスに変換を停止させようと試みるものの、「言語の変換」プロセス側には停止命令と同時に『草原』という彼女の意識する意味が断続的に流れ込んでしまい、結果として「『草原』は『草原』という意味だ」として出力されてしまう。

 これは意識の差による障害であり、意識や単語の理解の深化によっては固有名詞であっても前述のような誤訳は発生する。二つの異なる魔法が連携し、別々の処理を行っているために弾き出される、拭いきれない不具合という重大な欠点なのである。


 先に挙げた二つ意外にも欠点は多く、『物盗りか?』『鳥だけに?』など言葉遊びになっているものや、いわゆるコトワザなども基本的には通じないし、そもそも相手の世界に存在しないものに関しては訳されず、そのままの発音で表に出る事になる。また、その世界でもマイナーとされている使用者の少ない言語などは情報不足として翻訳されないことも多い。


 伊達は他にも言葉の通じない相手に対する会話手段として『思念通話』というテレパシーのような能力を有しているが、それに比べればかなり効率の劣る手段と言えるだろう。

 ただ、相手に警戒心を抱かせない。その優秀な一点においてこの「翻訳」魔法は伊達にとって欠かせないものであり、常態化させるまでの地位を得ているのである。


 自らの当惑を克服し、スリリサの言った意味を理解出来たダテは、『ベブサート』という地名の意味について思った。『ブサート』は草原、では――


「……? 『ベ』ってなんです?」

「『ベ』は…… なんじゃったかいの?」


 スリリサは頭を捻るが、(つい)ぞ答えは出てこなかった。



~~



「ほう…… 草原ねぇ……」

「結局『ベ』の意味がわかんなかったけど……」


 その日の暮れ、夕食を囲みながらストマールと雑談する。

 今日はウサギではなく鹿だったが、例によって晩餐は鍋だった。


「ま、百年以上前の言葉なんだ…… バァさんも日常使ってるわけでもないしド忘れもするさ。かく言う俺も、ここの名前の意味くらいしか知らないしな」


 言ってストマールは鹿肉を頬張る。椀と口から激しく漏れ出す蒸気が食欲を沸き立たせる。


「そういうもんなのかな……」


 言いながら、ダテはユラルモルトをあおった。焼酎が欲しいが、昨日貰った酒はもう空になってしまっていた。今更ながらヨークに飲まれた分が少し惜しくなる。

 ストマールは椀を空にし、酒で口の中を洗うと杯を手に、ゆったりとした体で言った。


「草原ねぇ…… にわかに信じがたいが、あったのかもしれんなぁ……」

「たった五十年前のことですから、ひょっとしたらまたいつか草原になるのかもしれませんね」


 ダテは自分の椀に鍋をよそうと、手を伸ばしてストマールの椀を受け取り、そちらにも入れて彼に渡した。シャキシャキとした野菜がそろそろと鍋に溶け、出汁になりつつ出汁を染み込ませている。


「夢のような話だが…… 有り難いのかどうかよくわからんな」


 言ってストマールが杯を箸に持ち替え、椀をかっこむ。


「……? なんでです? 夏だけでも雪がなくなるならすごしやすそうですけど……」


 酒樽を引き寄せ、空いた自分とダテの分の杯にユラルモルトを注ぐ彼の様子には、夢のようだと評した話題に対し浮ついた様子は見られない。


「生活の様式が変わっちまうだろ? 俺達狩人の中には用済みになるやつが出るかもしれん。狩り主体の生計だったのが、別で補えるようになればな」

「あ~、それは…… あるかも」


 ストマールの言葉にダテはここ半月の間に知り合った狩人達を思い浮かべていた。

 今日の昼間に見たストマールの仕事ぶりや狩りでのリーダーシップを見る限り、生活が変わっても彼が集落であぶれるということはないだろうと思う。ヨークのようなひょうひょうとした、柔軟な男にも問題の無い話だろう。ああいった手前はいかなる環境でも折れそうで折れない、いわゆる特異な強靭さがあるものだ。

 だが、他の狩人達はどうだったか。やはり中には無口で、仕事は出来るがコミュニケーションが得意ではない者や、そもそもが特定の罠以外の技術を持たない者、今や技術で追い抜かれ、長年の経験のみを買われて参加している老人などもいた。

 彼らのような人間は集落には住み辛くなるだろう。そして、リーダーとして彼らをまとめているストマールにしても、彼らの今後を差配してやることには心痛を避けずにはいられないだろう。


「夏に狩りをし、秋に交易、冬は加工、春に稼ぐ…… 全部が変わっちまうんだ。多少の面倒は起こるだろうな」

「変わらないほうがいい、ですか?」


 それは世話になった者達への、純粋な心配だった。

 彼には常に、責任を抱えられないだけの責任感がつきまとう。


「いや、そうなったらそうなったでまた生き方を考えればいいだけの話なんだがな、なるならなるで俺の潰しが利くうちになって欲しいもんだ」


 やけに固い表情をするダテに気づいたストマールは、誤魔化すように笑いながら言った。そして、気を取り直せと言わんばかりにダテの椀に鹿肉を山盛りにするのだった。


 季節は真夏、根雪は今日も民家の灯りを受け、橙に輝いていた。


長い設定説明が入ってしまいましたね……

ここまで読んでくださってありがとうございます。

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