16.御心
「くあっ……!?」
良一は握られていた手を振りほどき、目を覆ってうつむく。
「ど、どうしたっスか坊ちゃん! 今更照れくさくなったっスか!?」
「違うわアホっ!」
目眩にも似た意識を失いかける感覚。頭を過ぎった地獄のような光景を振り払おうと、良一は首を振る。それはステラと目を合わせて、ほんの数瞬に起こったことだった。
「……やはり視れない」
「……?」
恐る恐ると見返したステラの表情は、幾分硬いものだった。光を帯びていた琥珀の瞳が、元の色へと戻っていく。
「ごめんねリョウちゃん。わかっていたことだったんだけど試させてもらったわ。でもやっぱり無理ね…… 私には、原因を突き止めることは出来ないみたい」
「何を…… やったんだ……?」
「これまでと、これから。リョウちゃんの辿ってきた過去と、辿り着く未来を視ようとしたの」
「何……?」
過去と未来を視る。それは魔法を知り、操ることが出来る良一にとっても信じがたい話だった。だが相手がステラ―― 「神」であるせいか、疑念が頭をもたげることはなかった。
「……おれの過去や未来? それは今までの話と、何か関係があるのか?」
「リョウちゃんの特殊性が生まれた、その原因が知りたかったの。それがきっと、『世界』があなたを求める理由だから」
「……!」
この場で語られてきた内容と、今のステラの言葉がかみ合い、良一の背に冷たいものが走っていく。
「『世界』が…… 求める…… それじゃあおれは、本当に『世界』ってやつの意思で……」
「そう、呼ばれている。計算し、あなたが必要だと結論を出し、時に人々やあらゆる出来事を操作し、辻褄を合わせ、あなたを自らの体内に呼び寄せている」
良一は思わずと口を開け、固まってしまった。
意志を持ち、意思を使って動く『世界』。正しいことはわからない、たしかにステラはそう言った。だが良一には、それが決して的外れな話ではないとわかっている。
歩んできた複数の『世界』、突如として放り出される見知らぬ地。そこにいつも作為は感じられなかったか、不自然な出来過ぎはなかったか―― 考えるほどに、背筋が凍る。
「……なんで、おれなんだ……? 『世界』は、なんでおれを……?」
震えを抑え込み、なんとか声を出した良一にステラは首を振った。
「理由はあなたが特別だから、それ以外には考えられない。あなたが『病気』と呼んでいるそれは、本来起こりえないことだから」
「……?」
「『世界』を生き物として考えてみて? 私はこの『世界』の一部だけど、リョウちゃんは、リョウちゃんの『世界』の一部なの。リョウちゃんの体の中に、突然に別の誰かの一部が紛れこむようなことがあるかしら?」
「あ……」
「そいつぁ…… キモいっていうか…… グロいっスな……」
世界があり、異世界がある。複数の世界があるということは、それぞれがどのような形であれ、独立して存在しているということ。別個の生き物と考えればたしかに不自然。ステラの言わんとすることを良一は理解した。
「だから本来は起こらないの。『世界』は様々で、全てが同じ理で成り立っているところばかりじゃないでしょうけれど…… リョウちゃんのような他の『世界』の一部を、好き勝手に呼び寄せるようなことは出来ないでしょうし、それはリョウちゃんの『世界』が許さないと思うわ」
「おれの『世界』…… か」
ひどく現実離れした異世界と、現実の基準となっている自らの世界。異様な要素の何一つもなかったはずの自らの世界を、良一は今更に同じ『世界』の一つなのだと思った。
「でも、じゃあなんでおれは……」
「本来起こりえないことが起こるようになったのには、何か原因があるのだとは思う。だからあなたの過去を視ようとしたのだけど…… 私には出来ないみたい。神として過去や未来を視ることが出来るのは、この『世界』の生命だけだから」
「そうか……」
ステラが無理だと言うのなら、無理なのだろう。少し寂しそうな表情を見せる彼女を、良一は責める気にはなれなかった。
「坊ちゃん、なんか心当たりないんスか? 『病気』になるちょっと前とか、変な場所に行ったとかうちゅーじんにさらわれたとか」
「……無いな、無いと思う」
思い返してみても、特別なことは何も無い。もとより測れないものは全てがオカルト、それが良一の世界だ。
「ステラ、何か考えられることは? あの世界には召還の儀ってのがあった。何か異世界に関わる、そんな魔法は無いのか?」
「……私の知る限りは、無いわ。私は神であり『世界』のシステム。世界の理に逆らうような、そんな力は備えられていない。あるとすれば…… きっとそれは人の中ね」
「人の……?」
「人は『世界』の理を知らない高度な知能を持った生き物。『世界』の一部でありながら『世界』を認識せず、畏れない。だから人の中になら、そのような魔法が生まれてもおかしくはない。人の中に、『世界』の理を知った誰かがいたのなら」
『世界』の理を知る―― 自分の世界にそのような人間がいるのだろうか。良一は考えてみるが、思い浮かぶことはなかった。魔法すらも無い世界、誰にそのようなことが出来るというのか。
「ただ一つ…… 私にわかるのは、リョウちゃんの『病気』は先天性のものだということね」
「先天性……?」
「ほぇ? せんてー?」
先天性―― 生まれ持ったもの。その簡単な注釈を聞いたクモが、「ほうほう」と頷いていた。
「仮にリョウちゃんの『病気』が誰かにつけられたものだとすれば、それはきっと体の表面に異質なものとして現われているでしょうし、解析して解除することも出来ると思う。でもリョウちゃんの体からはそんな力は感じない。考えにくいことだけど…… 世界の理を超えた変異、そう解釈することもできるわね」
それはきっと不自然で、有り得ることでは無いのだろう。ステラの口ぶりはそれを示唆していた。
「あれ? でもせんせんてーだとすると、ちょっとおかしくないスか?」
「なぁに?」
首を傾げるステラに、良一が口を開く。同じ疑問だと、奇妙な確信があった。
「……おれは十五になるまで異世界には行っていない。夢を見ていたつもりで行っていたのかもしれないが、行方不明になったことはない」
「あ、そうそう、それっス」
良一が「夢」を『病気』だとはっきり理解したのは、まだ今年のことだった。気づかなかっただけで行っていた、その可能性も薄かった。それは彼を育てた両親と、一緒に住む姉弟が明らかにしている。もっと小さな頃にいなくなった騒ぎがあったとすれば、自分もそれを知っていただろう。
「それはきっと、リョウちゃんが成長したからよ。その特殊性も体も、どちらも育って準備が整ったのね。そして『世界』が…… あの『世界』がリョウちゃんを見つけた」
ステラは良一の顔を改めるように見、穏やかな笑みを口元に浮かべる。
そして――
「あなたに救いを、求めるために」
『世界』の御心を、語り始めた。




