14.福の音を求めて
「教えてくれ…… おれは、どうしたらいい……」
絞り出すような、震えた声が庭を伝う。
微笑みとともに腕を上げたステラは彼をベンチに手招きし、隣に座らせた。うつむいて地面を見る良一をよそに、ステラは今度は庭の隅、家屋と木々の間へと手を招く。
やがてそこからは、金色の小さな光が近寄ってきた。
「ありゃりゃ…… 見つかったっスか」
「お前……」
クモだった。ステラだけ、彼女だけになら出せそうだった想いの数々が、良一の中で身を竦ませる。しかしそんな怖じ気を、
「一緒に聞いてもらった方がいいわ。この子はあなたの支えになると、そう誓ったのだから」
ステラは見抜いた。いつもと同じく、これまでと変わらず、良一の心を透かすように。
「な、何か、聞いちゃマズいことなんスかね? 私ヒトじゃありませんしカタチ出来たのはついさっきっスけど、一応は坊ちゃんよりずっとずっと長く生きて? ますんで、なんかこう…… 触れちゃいけないようなもんのぶんべつ? ってのはあるつもりっス。よかったら聞くだけ聞かせて……」
気まずそうにクモは小さな指先を合わせる。良一はため息を一つ吐き、
「わかった…… 聞いてくれ」
自らを語る―― 誰かに縋る覚悟を決めた。
「おれはこの世界の人間じゃない、おれは――」
全ての始まりとなった、あの三ヶ月。その凄絶な日々を、良一は打ち明けていった。
二つの季節を越えて今もまざまざと残る、悲嘆と憤慨、恐怖にまみれた忌まわしい記憶。筆舌尽くしきれない記憶の波を、良一は整理仕切れないままに、それでも淡々と語り続けた。
自らに起こった重大な出来事。長く長く感じた日々は語ってみれば短く、どこか他人事で、空虚だった。その感覚は以前弟に明かした時にも感じたことで、それは『彼女』のことを加えて話した今も、さほどに変わらなかった。
重大なはずが、空虚。その伝えきれないもどかしさと、空虚に想い、想うことで軽くなる心が許せず、複雑な感情が胸を交差する。
星々と真白い月が見守る異世界の庭。やがて良一の始まりの一幕が、終わりを迎えた――
「……これで、その時の『病気』は終いだ。おれはその世界から解放され、それからはもう、ただの一度も戻されてはいない」
良一は右足のポケットを探り、この話をするため、部屋を出るときに用意しておいた財布を取り出す。二つ折りの財布、開かれた小銭入れの中には、小さなお守り袋が詰められていた。
「戻ったおれの世界では、その世界にいたのと同じ、三ヶ月の時間が過ぎていた」
お守り袋の口を緩め、良一の指が中を探る――
「三ヶ月と引き替えに、手に残ったものは…… これだけだ」
引き抜かれた指先には、青銅色の指輪があった。プレートに二本の朝顔のような紋様が描かれた、華美さの無い、ひどくシンプルな指輪。
それは『彼女』が手にしていた、たった一つのあの世界の残滓。そして、たしかにあったはずのあの日々の、たった一つの証明だった。
差し出された指輪を、ステラが手に取る。
「そう…… これが、その子の指輪なのね……」
受け取ったステラは、月に透かすようにして指輪を見る。まだ十五の少年には不釣り合いな重苦しい話。語る負担に疲れた良一は「ああ」とだけ返し、力無くうつむいた。
「あの…… 坊ちゃん……」
良一が話している間、茶化す様子もなくただ静かに聞いていたクモが、遠慮がちに近寄る。
「坊ちゃんは、その子のこと…… 恨んでるっスか……?」
顔を上げ、良一はクモと目を合わす。良一は呆気に取られたような、何を聞かれているのかわからないという表情をしていた。
「あ、いえ…… ほら…… 追い出される瞬間、口汚く、わけもわからないくらいに怒声を浴びせたって……」
再びうつむいた良一はそのまま少し黙ったあと、ぽつりぽつりと、芯の無い声で答える。
「……わからない。でも多分…… いや、どうなんだろう…… わからない……」
「そう…… っスか……」
クモがそれ以上を問い詰めることはなかった。本当にわからないのだろう。項垂れた良一の言葉には、そう思わせるだけの混乱の色が現われていた。
「リョウちゃん、そのあとは?」
「あと……?」
指輪を見ていたステラが、良一を振り向いていた。
「大変な想いをして、自分の世界に帰って、そのあとは?」
「そのあと……」
良一は想いを巡らす。この先を誰かに語ったことは無い。どう話すか、何から話すか、頭を整理する必要があった。ステラに聞きたいこともここにある。
良一はしばらく押し黙ったあと、やがて口を開いた。
「……おれの世界でのおれは、行方不明として扱われていた。丸三ヶ月、突然にいなくなったおれは、もうおれの世界では受け入れられない人間になっていた」
「受け入れられないって、どうしてっスか?」
「おれの住む場所はひどく平和で、おれの歳くらいの子供が勝手に三ヶ月もいなくなるなんてことはまずない。そもそも誰であっても、行方不明になるってことが普通のことじゃないんだ。子供には学校があって、大人には会社があって…… あの異世界と同じだ。人を利用してるやつらが、人を管理している。三ヶ月も管理から外れた人間は、もう普通の目では見られないんだ」
「誰か…… あのムカツク軍人のおっさんみたいに怖い野郎がそうしてくるっスか?」
「いや……」
当時のことが、帰ったばかりの頃が、良一の頭に蘇る。
「全部だ…… 誰もかもが、人間であるはずの誰もかもが、おれをおかしいやつだと思っている」
「そんな……! 坊ちゃんのせいじゃないっしょう! 坊ちゃんを呼んだのはあっちの世界の人達で――」
憤慨するクモの言葉に、ステラが割り込む。
「不思議なことが無い世界…… なのね?」
透き通る落ち着いた声に良一が顔を上げ、クモが振り返る。彼女は遠く、夜空を見ていた。
「おそらくはもう、魔法や呪い、神や予言者、そういったものが重要だとは判断されなくなった世界なのでしょう。人々が高度な文明を築き、理解の及ばない力に頼る必要がなくなった。あったはずの力は無かったことにされ、憶えている者も、本当の記録すらも残されていない」
月明かり照らすその横顔を、良一は素直に美しいと思った。それはまさに彼女が言う通り、良一の世界には無い不思議なこと。理解の及ばない幻想―― 神々しいという感覚だと、良一には思えた。
「ねぇ、リョウちゃん。お家の方には、誰か話した?」
「あ、ああ……」
振り向いたステラから、良一は目を逸らした。なんだかひどく自分が薄汚れているように感じて、そうしてしまった。
「ちょっと色々あって…… 弟にだけは、話した……」
「他のご家族は?」
「……してない。『病気』のこともそうだけど…… おれにしかわからない、説明のしようがないことなんだ。三ヶ月もいなくなって、帰ってきてそんなわけのわからないことを言いだしたら…… それこそおれは頭のおかしいやつになってしまう……」
「そう……」
それは『現実』へと戻って来た良一にとっての、最たる苦悩だった。
どこで何をしてきたか。自身の家族に対してさえも、何一つと答える術が見当たらず、黙り込むよりなかった。救いは察しのいい弟と両親が、深く追及しようとはしなかったこと。普段通りにとはいかなくても、自分に閉じこもり続ける良一に対して、時を待つように放っておいてくれたことだった。
唯一散々に責め立ててきた姉とは深い溝が出来てしまったが、姉を悪くは思えなかった。自分の存在があるせいで、マスコミから、地元の知り合いから、世間から、奇異の目で見られ続けるのだ。立場が逆だったらと思うと、良一には何も言い返せなかった。
「……誰に何を言われても、おれはだんまりを決め込んだ。それしかおれにはやりようがなかった。からかってくるやつらもいたし、殴りかかってくる教師もいた。だが別に、そんなことはなんてことはなかった。おれからしてみりゃどいつもこいつも小指一本で殺せるような連中だ。痛めつけられようがなじられようが、あの世界に比べれば生温い。でも――」
ぐっと良一は手を、痛みを堪えるように握りしめる。
「おれは…… 戻りたかった……! あの生温い世界の人間達に…… ただの『伊達良一』に戻りたかった……! あんな『病気』のことは全て忘れて、高校生になって、そっから大人になって……! おれの『現実』に戻りたかった……!」
だから、耐えた。誰に何を言われようと思われようと、例え今は一時家族と溝が出来ていようと、全ては時間の問題。いずれ自分も周囲も、何もかもを忘れて普通に戻る日がやってくる。
そんな一念で良一は、周囲の不審にさらされようと学校に通い、当然にあるはずの将来―― 受験や進学に向けて、これまで通りの生活を自らに課し続けた。ともすれば自棄に走りそうな心を常に律し、例え周りから、その様が生ける屍のように見えていると気づいていようとも。
例えそれが、それこそが、現実逃避であることに気づいていようとも――
「でも…… でもだ……! それは……!」
「叶わなかったのね?」
先を差し挟んだステラへと、良一は頭を上げる。そして悔しそうに顔を歪ませると、また、項垂れた。
「叶わなかったって…… どういうことっスか? そんなに坊ちゃんの世界は、冷たい人ばっかりなんスか……?」
「リョウちゃんは今、この世界にいるの。考えてみて?」
「え……? あ…… あぁっ!」
遅れて事態に気づいたクモが、忙しく羽をはためかせる。
「『病気』が…… 続いてるんスな……! じゃあ今も、元の世界からはいなくなって……!」
「ああ…… いない。ここで、五回目だ…… おれは何度も何度も、勝手に別の世界に飛ばされてる」
「でも…… なんで? そんなに別の世界って、しょうかんってのが流行って……」
ステラがゆっくりと、首を横に振る。
「私はリョウちゃんをここに呼んだりなんてしていないわ。おそらく、他の場所でもそう。最初の世界で行われた召還の儀というものでさえも、それはただのきっかけ…… 辻褄合わせのようなものに過ぎないと思う」
「ほぇ……?」
内容を呑み込めず、クモが首を傾げた。そしてそれは良一も同じで――
「辻褄…… 合わせ?」
知らずステラの横顔を、注視していた。
「ええ、召還の儀は本物なのかもしれないけれど、それを人々が執り行うように促したのは、人々自身では無いと思うわ」
「何を言って…… じゃあ、誰がおれを――」
ステラの顔が、良一へと向く。良一の視線に琥珀の瞳が交差し、言葉が遮られる――
「『世界』よ」
良一の目が、見開かれた。
息を止めた良一に、ステラの手がのびる。彼女の手は優しく彼の頭を、頬を撫で、その心をほぐした。
「ちゃんと聞いててね、リョウちゃん。私に話せることは全部話してあげる。でも知ったあとでどうするかは、リョウちゃんにしか決められない。それでもい~い?」
撫でていた手が、離れて行く。良一は――
「ああ、聞かせてくれ」
力強く、言葉を求めた。




