10.其の代より紡がれし銘
「ううぅうらっ……! しゃあああぁっ!」
良一が上方に向けて放った拳から、赤黒いレーザーのような魔力が飛ぶ。
石像の胴体に炸裂した魔力は、その体を粉々に砕き散らせた。
「……はぁっ、はぁっ、ざま…… みろ……!」
石像が持っていた巨大な青竜刀らしき武器がこぼれ落ち、床に突き刺さる。その轟音の中、良一が石畳へと膝をついた。
「やったねリョウちゃん!」
「ぉぅょ……」
走り寄り、ぐっと両手で握り拳を作って喜ぶステラに、良一は乾いた笑いを返すよりなかった。
動いた石像達は全十二体。それが決まり事のように、最初に襲いかかった三体から、一体、また一体と数分間隔で新たに投入されてくるという、古き良き昔のゲームのような長期戦だった。
大きな怪我こそ負わなかったものの体力を使い果たし、疲労困憊といった良一。ぐぅの音も出ないとはこのことかと、彼は頭の片隅に思った。
『凄まじき童子よ…… まさに悪鬼のような戦いぶりであった』
ぐったりとする良一に、あの重いテレパスが下りる。散々な展開に『どうも』と思念だけで返しつつ、残ったわずかな魔力で良一は地道な回復魔法を練った。
『何者だ、童子…… その禍々しき力、如何にして身につけた……?』
力―― 良一の脳裏に、赤い軍服の背中が過ぎる――
「……うるせぇ、望んで身につけたってもんじゃねぇ」
肩で息をしつつ、良一は掠れた声で呟いた。
『……なるほど。暗黒の魔力を、『心』のもたらす『怒り』で鍛錬したか。面白い形よ』
頭に響く声に何も応えず、良一は歯噛みした。
いつの間にか現れるようになった赤黒い暗黒の魔力。何を言われているかは理解出来ずとも、何か確信を突かれたようで歯痒く、面白いと言われたことが不愉快だった。
「リョウちゃん、よく頑張ったね」
そっと、頭を撫でてくるステラの手。
「……ああ」
良一は下を向いたまま、それだけを答えてそっぽを向いた。
「それじゃあ――」
跪いたままの良一を残し、ステラが石版の方へと歩き、祭壇へと呼びかける。
「お力を、受け取りますね」
「……え?」
誰もいない洞窟。さも当然のように、声の主がそこにいるかのように声をかけたステラに、良一が頭を上げた。
恐れる様子も、畏まる様子も無く、普段通り立ち続けるステラの背。やがて――
『いいよ』
明らかにトーンの違う、ただのおっさんっぽい思念が良一の脳内に届いた。
思わず膝を崩しそうになった良一のもとに、ステラが戻ってくる。
「リョウちゃん良かったね、くれるって」
「あ、ああ…… 今あいつ、全然キャラ変わって――」
どうしても突っ込まざるを得なかった良一に、言葉途中で異変が起こった。
良一の体―― その全身が、体の内側から現れた白い光に覆われていく。
「なんだ……? この光……」
意味のわからない奇妙な光、しかしその力の波動には覚えがあった。そのエネルギーの感覚は、かつて経験した『試練』と呼ばれる場にあったもの。そして、今は失った力である『壁』に感じたもの。
動揺する良一に身を寄せ、彼を起き上がらせたステラが静かに囁く。
「リョウちゃん。リョウちゃんが思う、一番凄そうな『武器』をイメージしてみて」
「武器……?」
「それはリョウちゃんが扱うのに得意なもので、リョウちゃんの生まれた場所、住む世界、故郷に由来するものほどいいわ」
――今、なんて……
はっきりと聞こえた、自身の語らずにいた事実を突く言葉。
「……っ」
良一は首を振り、右手を前に『武器』をイメージして拳を握った。目を閉じ、更にイメージを固めていく。閉じた瞼の裏、白い輝きが手に集まっていくのがわかった。そして――
「まぁ……!」
『うむ…… 出来たか……』
目を開けた良一の手には、一振りの剣―― 柄から刃に至るまで全てが真白に輝く、羽のように軽い、一本の刀が握られていた。
――この刀は……
握る良一は思わず魅入り、たった一本の刀に震えを覚える。
かつて握っていた『聖剣』、そんなものとは比べものにもならない凄まじい力。在るというだけでその場を支配してしまいそうな、その存在感を肌身に感じていた。
『素晴らしい…… 真白き朧月の如く、美しき刀よ』
言葉を失う良一に、思念が降った。
『其に銘を与えよう、汝の名は――』
洞窟を出た良一は、重い足を引きずるような気分でステラの後を歩む。
岩山の麓から森へ、森から湖のほとりへ。高みから傾き始める太陽―― の姿は無いが、良一はステラのローブを照らす陽光の雰囲気から、今を十五時過ぎと見当していた。
ゴーレムとの運動から、よくわからない洞窟での一悶着。随分と長い散歩になったなと、変わらず桃色の髪を揺らす、軽い足取りの背中を見ながらそう思っていた。
そんな彼の右手には、峰を肩に預けて持った真白い剣――
「リョウちゃん、ちょっと休憩して行きましょうか」
振り返って言ったステラが、湖面の側の一画を指差す。そこには座るに丁度いい形で、切り株が二つ並んでいた。
別段、休息が必要なわけではない。どうせ休むなら、あの家のソファーの方がいい。そう思いつつも良一は、「ああ」と答えていた。
光を反射する湖面と、その揺らめき。遠く山岳や、森や草原を抜けて吹く風。そういったものが体の疲れと相まって、どこか本当に小さな頃、クタクタになった遠足や遊びの帰り道のような、名残惜しさにも似た想いを抱かせていた。
まだもう少し、今日を、今を―― そんな小さな想い。
二人切り株に腰掛けるまでの間に、良一がその想いを自覚することはなかった。
「はい、リョウちゃん」
「おう」
麦茶が注がれた黄色い水筒の蓋を、良一は左手で受け取る。今日結構な量を飲んだはずの麦茶は、どう考えてもその水筒の量を超えているような気もする。だが、それはもう今更どうでもよかった。
熱くなっていた体を冷ましていく感覚、豊かでのどかな風景の中で、それを飲むという感覚。それだけがたしかなら、それでいいと思えた。
「ふぅ…… ちょっとこれ、どうにかならねぇかな……」
「ん?」
ぽんっぽんっと、良一は自らの肩に、右手に持った剣の峰を当てた。
「貰っといてなんだが、ずっと抜き身っていうのもどうなんだ…… 鞘くらいセットでくれてもいいのに」
ほとんど重さを感じない、重い声の主より受け取ったらしい剣。それがどれほどの業物であるのか、異世界の聖剣を扱っていた良一にはわかっていた。
それだけに、平静を装いつつも内心落ち着かない。
何か事故が起こればと、過去の記憶がざわめくのだ――
「大丈夫、その剣は何も切らないから」
「……え?」
湖面を吹く風、桃色の前髪を軽く梳きながら、ステラは言う。
「刃に指を当てて、そのまま動かしても怪我一つしない。持ち主が使いたいと思わなければ、その力を振るうことはない。あの方が作られる武器は、本物の名器なの」
「そんな馬鹿な……」
良一は試しに軽く、指先を刃先に当ててみる。
感覚的には「斬る」動作を入れなくても、「落とす」だけで斬れるはずの刀―― しかしその刀身の刃は、尖った見た目に反し、確かにただの鉄の塊のような触りだった。
不思議そうに刀身を見つめる良一に、ステラが少し身を傾ける。
「ねぇリョウちゃん。その剣ってどういう剣なの?」
「え……? どういうって……」
「イメージしたんでしょ? ちゃんとその通りになった?」
ステラと目を合わせ、刀身を見、良一は頭を掻く。
「……どうかな? 見たことないし…… なんとなく、おれの世界―― おれの生まれた場所の伝説の剣っていうと、こんな感じなのかな、としか……」
「伝説の剣…… どんな伝説なの?」
微笑みとともに、興味深そうに尋ねてくるステラ。良一は眉根を寄せ、頭を巡らせながら切り株を立った。
「はっきりとは知らないけど…… おれの国が何千年か昔、神様が治めてた国だったって頃、八つの頭を持った巨大な蛇の魔物が暴れてたらしいんだ」
「神様が…… 治めていた……」
良一は陽光に煌めく刀身を見ながら、ステラに背を向けて数歩と歩く。
「その魔物を一人のおっさんが―― いや、そいつも神様なのかな? よくわかんねぇけど、とにかく倒した。そん時に蛇の尻尾からドロップしたのがこの剣なんだそうだ。……?」
言葉を句切り振り返った良一は、ステラの様子に軽く瞼を上げる。
「どうした? 歩き過ぎて疲れたか?」
「あ、ううん。それで? その剣は、どういう剣だったの?」
「……? まぁ、そうだな……」
今確かに、俯いていた。そう見えたが変わらない微笑みに押され、良一は知っている限りを思い出そうとする。
「どういう剣だったのか、っていうのは実際のところよくわからない。何千年前の伝説だからな。一応今も残っているらしいが、海に沈んだって話もある。本当のところは、その何千年を受け継いできた人達にしかわからないんだろう」
「何千年を受け継ぐ……? そんなに長い間?」
ステラに驚かれ、良一は刀身を見ながらに思う。たしかに本当だとすれば、驚く以外に無い数字だと。
「ああ、おれの国は歴史だけは長いらしい」
人一人の寿命の何十倍、その間を伝え続けられてきた、決して本物を見ることの叶わない一振りの剣。
これは勝手な、自身のイメージの産物の形。だがさっきの声の主が、ステラのように不思議なことが出来る相手だとすれば、ひょっとすると本当にこの剣は―― そんな考えが過ぎり、良一は苦笑した。
「あと、おれが知っていることは…… こいつが昔の人を、火事から救ったって話くらいだ」
「火事?」
良一は後ろを向くと―― 二、三と剣を横凪に振った。
斬るという意思。それを乗せた剣は、ステラの言う通り背の高い草達を扇状に、根元近くから刈り取った。
「……火のついた草に囲まれて身動き出来なくなった持ち主を、こいつが勝手に周り全部刈り取って助けてくれたらしい。そんでついた名前の一つが、『草那藝の太刀』」
ぱらぱらと、宙に浮いた草が地に落ちる。初めて扱ったとは思えない手の馴染みに、幾分の高揚を感じた。
「いいお話ね…… 持つ人を守ってくれる武器だなんて。リョウちゃんもきっと守ってもらえるわ」
「へっ、自分の身くらい自分で守れるさ。それによ――」
おどけて良一は剣を持ち上げ、再び数回と振るう。
「ただのお話だ。剣だ勇者だ、伝説なんてほんとはつまらないもんさ。その昔話だって、ほんとの所は誰かがこいつを、草刈りに使ってたってだけなんじゃないか?」
冗談混じりに、剣を空に泳がせていく。手に重み無く、空気の抵抗さえも重み無く、切り裂いて泳ぐ真白い剣――
『失礼な! 私めが伝承をなんと心得ますか!』
その刀身が―― いきなりに抵抗力を持って垂直に立った。
「な…… に……? ……!?」
唐突に頭に響いた、子供のような怒鳴り声。
驚いた良一の手をするりとすり抜け、剣が宙を飛ぶ。
陽光に身をさらした剣は、真白い輝きに金を交え、
強烈な光を放った――
「くっ……!」
腕を前に、目を覆った良一。
そして光は止み――
光の中より、小さな金色の妖精が現れる――
――『其に銘を与えよう、汝の名は』
その剣は良一の中、イメージのそのままに。
――『叢雲』
その名を灯した。




