2.根雪の記録
ニフェルシア達が場を後にした事を機会に、伊達は木箱から立ち上がる。
もともとが少し頭を整理するために、一人になろうと入っただけの裏路地だった。ずっとここにいても仕方が無い。
「さてと……」
伊達はかねてより、そろそろと狩りの無い自由な一日が欲しいと思っていた。天候により狩りが中止になった日はあったが、それではただの休みにしかならない。
集落が平常に機能していて住む人々と何気ない会話が出来、生活を見られる。そんな一日を待っていたのである。
陽光が差せどもちらちらと止まぬ雪の中、小気味良い足音を鳴らしながら歩を進める。
「ねぇ大将、今までってただ狩りのお手伝いしてただけに見えたんですけど……」
「そうだよ」
ダテの歩く横を、金色はふよふよと浮いている。羽はそれほど動いてはいない、どうやらそれで浮力を得ているわけではないようだった。
「あれ? ほんとにそうなんですか?」
「来たばっかでかぎ回ってたらさすがに怪しまれるだろ、ある程度信用されないと動くに動けんさ。こんな場所で人里から放り出されたら死ぬぞ」
「ん~…… 大将なら大丈夫そうですが」
話しながら、裏路地と通りの境に至る。
うかがってみると、まばらにではあるが集落の人々が歩いたり、談笑したりしている様子が見えた。
「ほれ、もう消えてろ、人前に出れん」
「え~」
これで終わりとばかりに伊達はシッシッと手の甲を振る。文句を言いながらも、金色は掻き消えた。
クモを退散させ、一人になったダテはあちらこちらに回りながら、見知った人間からよく知らない人間まで、あいさつと簡単な会話を続けていった。
二週間と前にここへやってきたダテにとっては、狭い集落とはいえまだ話したことのない人間は多かった。だが、いつの間にやら有名になっていたのか向こうがこちらを知らないということは無く、それほど会話に困ることはなかった。
知らぬことを教わったり楽しく会話したりで悪くはない一時だったが、生憎とダテの求めるものは切欠すら出てくることはなく、彼の午前はただの楽しい徒労に過ぎて行った。
いつしか日が高くなり、今日の昼はどうしようかと考えながら歩いていると、彼はこの集落で一番見知った顔に出会った。
「よう、暇そうだな」
「ストマールさん」
彼を拾い、一緒に住まわせてくれている恩人にして狩人達のリーダー、ストマールである。狩り以外で外を出歩くことさえ珍しいのだが、今日の彼は何やらダテがまだ知らない仕事をしているようだった。集落の共用倉庫を開け、中から様々な荷物を引っ張り出して広げている。
ダテは興味を持って、何をやっているのかを聞いてみることにした。
「ああ、獲物の毛皮やらなんやら、とりあえずすぐ売れる分の仕分けをな」
彼の足元に敷かれた布をよく見ると、最近捕まえた動物の毛皮や角、雪で凍らせた肉などが転がっている。
「売る? 売りに行くんですか?」
「行く分もあるし、買い付けに来る分もある。また随分と買い叩かれるんだろうが、とりあえずは金を作らないとな」
「金ですか……」
「なんだ?」
「いや、自給自足っぽかったから…… なんかちょっと意外かなと」
ここに来て初めての金の話題だった。当然にして当然あって然るべきものなのだが、これまで通貨すら見ずに過ごしてきたせいか、そのリアルな単語には奇妙な場違いさを感じた。損も得も考えず、自らを拾って仲間として扱ってくれた彼が言うからこそ、そう感じたのかもしれない。厳しいようでいて、取引という言葉が似合わない男気のようなものが彼にはあった。
「昨日もメシの時に言ってたろ、俺達には燃料が必要なんだ。それ以外にも、薬や、柑橘類…… ここで補えないものは多い。まぁ、だからこそ叩かれるんだが」
「雪国ってのはやっぱり大変ですねぇ……」
人がいて、この場所が集落であることからすれば、わかる話だった。
集団が生きていくにはその一団だけでは難しい。特にこういった生きていくことにさえ障害のある場所ではなおさらに、ある程度以上の外との交流が必要なのだろう。
ダテは自らの経験からも、そのさじ加減の難しさを理解出来た。
「まぁな…… スリリサの婆さんが若い頃、その頃の夏には雪なんざどこにもなかったらしいが……」
ストマールは自らの苦心をぼやくように、目を遠く、一面に広がる白さに向けて言った。
何気なく言ったその一言が、ダテの瞳に僅かな輝きをもたらす。
「えっ? それって…… たった四、五十年前くらいの話じゃないですか?」
「そうなるか…… 俺がガキの頃にはもうこうだったから俺も半信半疑っちゃそうなんだが…… あのくらいの歳の人はだいたいそう言ってたもんだ」
ストマールから得られる情報はそこまでだった。彼が生まれるより前の話、写真も無いこの場所では前世代の人間達が話す口伝でしかない話。語れるほどの内容は持たないと彼は言った。
だが、ダテが求めて歩いたのはまさにこういう情報だった。
ストマールと別れたダテは次に向かうべき場所へと歩きだした。
~~
「よぉ、ダテ、どっか行くのか?」
途中、ヨークに出会った。彼は何をしている様子でもなく、手製の葉巻をくゆらせながら道に立っていた。
「ああ、いえ、スリリサさんの家に」
ダテは別段隠すようなことでもないので素直に答えた。
ストマールとの会話から導き出された、新たな目的地である。
「おお? バァさん家か? また手伝いかい?」
「酒のお礼です、こういうのはちゃんと言っとこうと」
「ほ~、真面目だね~」
ヨークは感心した様子で、葉巻を口に含み、煙を吐いた。
目的地と目的は別でダテはこちらには誤魔化しを用いたが、気づかれる様子はなかった。
「スリリサさんは家に?」
「おう、いたよいた、ついさっきシアちゃんにちょっかい出してブン殴られて帰ってきたとこさ」
「なにやってんすかアンタ……」
煙で気づかなかったが、よく見るとヨークの頬の辺りに痣がある。やったのはスリリサだろうが、明らかに平手ではなく「拳」の跡だった。
「いや~、シアちゃんかわいいんだけどなぁ~、バァさんの生きてるうちは手ぇ出せそうもないかな~」
言いながらヨークは頬をさすっていた。ニヤケてはいるがこれは痛そうだなとダテは思った。
「生きているうちですか…… 俺の見る限り二十年は先になりそうですね」
とりあえず、遠まわしに諦めを促しておく。
「ん、むぅ…… 二十年かぁ…… そんなに待ってちゃシアちゃんもおばちゃんになっちまうな…… いや、待てよ、そんときは俺も爺さんなわけだし趣味嗜好も……」
適当に言った内容だったが、何やらヨークは真剣に悩みだした。
ダテはなんとなく、ああ、こいつは本筋には関係ないな、などと思っていた。
続き二、三、軽口を交わし、ヨークに挨拶を言って別れる。こういう手合いはどこにでもいるが、気が楽になる。自らピエロを演じているような男をダテは嫌いではなかった。
ヨークと別れて数分もせず、ダテは目的の場所へとたどり着き、その庭先へと入った。




