9.赦されたもの、許されないもの
きらきらと揺れる湖面のほとりを、今度は本当に鼻歌を聴かせながらステラが歩く。その後姿を良一は、怪訝とした表情のままで追っていた。
――作ってもらう……? 剣を……?
輝くような笑みで、これぞ名案とばかりに言い放ったステラ。その言葉の意味を、良一はまったくといって腹に落とすことが出来ずにいた。
戦い難さについてステラに語ったことは事実。かつて使っていた剣のように、振るっても壊れないだろう剣が手元に無いことは、些細であれ時に良一の苛立ちではあった。
だが、この世界。こうして大自然の風景だけを見ていれば、在ってもさほど不自然には思えない『剣』という武器。しかしそれもあの家で過ごした五日間。『現代的』な家の存在を知っていれば、どこかに在ることが不釣り合いな、ひどく歪な物にしか思えない。
使いどころのない道具。それこそ、力を持て余した『現実』での自分のように。
そして、それ以前に――
――この世界…… 他に人がいるのか……?
『作ってもらう』、ステラは確かにそう言った。ならばこの世界には『ステラ以外がいる』、そう彼女は明言したということになる。だが良一は、はっきりと理解―― 知覚していた。
この世界には、ステラ以外はいない。
それどころか、動物や魔物すらもいない。
一つ目の異世界で良一は、多くの魔法を身につけさせられ、身につけた。そこで得たものの中に『魔力感知』という、生物の持つエネルギーを探る戦略魔法があった。
周囲に自身の魔力を薄く放射状に放ち、その跳ね返りで対象を計る、イルカやコウモリの超音波のような魔法。抱いた目的のため、自ら精度を研磨したこの魔法は良一の中でも練度、確度が高く、数百キロにも及ぶ超広範囲への索敵を可能としていた。
大きな魔力を持つ者は、まず見つけることが出来る。魔法に親しみの無い、魔力の薄い人間や動物であっても、かける力次第では発見可能。それ以下の小動物や昆虫であれば捉えられないこともあるが、彼の目の届く範囲、近隣であれば探り当てられる。
昨日、この世界で『魔力感知』を用いた彼は、その事実に気づいていた。
この世界からは土中のモグラの反応も、空を飛ぶ鳥の反応も無い。あるのはただステラと、植物達が放つノイズのような反応―― 魔力のようで魔力とも言い難い、奇妙なタイプのエネルギー反応だけだった。
湖のほとりを過ぎ、森の中へと入る。
鬱蒼とした木々の奥、足場が森の草地から土へと変わっていく――
数十分の道程の後、足を止めたステラが振り返った。
「着いたー」
相も変わらない、見る者に移すような楽しそうな笑顔。
「洞…… 窟……?」
森の奥、拓けた場所にその岩山はあった。見上げれば数十メートルはありそうな断崖絶壁。赤茶けた岩山の麓らしき場所に、良一達は来ていた。
目の前には自然が作り出したのだろう、岩のトンネルがある。
「さ、行きましょう? この中よ」
「あ、ああ……」
宙に捧げたステラの手から、ふわりと光の球が飛んだ。それは強く輝き、一目に明かりなのだと良一は理解する。
「……器用だな」
「暗いから足元気をつけてね?」
自分にも出来そうかと、右手をぱたぱたと閉じたり開いたりしながら、良一はステラのあとに続いた。
岩肌に反響する、土を踏む音――
外よりも、リビングよりも狭く感じる洞窟の中。良一は光源から離れるわけにもいかず、ステラのすぐ後ろ、少し前に踏み出せば彼女の横顔が見えるような位置で共に歩む。
光に照らされる長い髪が、手を伸ばせば届きそうないつもより近い距離。細く高い背を前に、沈黙がやけに気になった。
「ステラって…… 魔法使えたんだな……」
「魔法? ええ、そうね~。リョウちゃんとは使い方が違うでしょうけど、結構得意だよ~」
「そっか……」
それだけで、会話は途切れてしまう。何とは無しにかけた言葉は、それ以上の拡がりを紡げなかった。
歩みの音、眩く揺れる光。それだけの空間の中、良一はただ彼女に続く――
喋るな、などとは言われていない。何を話そうと、彼女は快く返してくれるだろう。
何か話せ、そんな責めを彼女はしない。何も言わずとも、いつでも楽しそうに、共に居てくれるのだ。
沈黙を居心地悪く思い、何も話しかけないことを罪と責め立てている―― それはきっと自分なのだろう。良一はそう思った。
いつからだろうか、人と話すことが苦手になったのは。
いつからだろうか、自分から話す、それがうまく出来なくなってしまったのは。
――『ねぇ、リョウイチ』
意識の中に浮かぶ、少女の姿――
思えばその頃も、今と同じ。話しかけられることだけに答えて、自ら話しかけることを避けていた。そんな当時の記憶が頭をもたげる。
狭い暗がり、空洞を抜ける冷たい風。光に揺れる温かな人の背。
あの日々との既視感に、胸がざわつき始める。
手に、温かな感触が灯った――
「えっへへ~」
はっと、知らずうつむいていた顔を上げると、ステラの笑顔があった。見下ろした自分の手には、繋がれた彼女の白い手――
「もうちょっとだよリョウちゃん。最後まで頑張って歩こうね?」
なぜかはわからない。突然に手を繋ぎ、全く必要の無い励ましを口にした彼女。
自らの想いとは全く関係の無い、子供扱いの意味不明な所作。
なのに良一は――
「誰も疲れてねぇよ、ほら、さっさと案内してくれ」
「え~? おてて繋ごうよ~」
「するかっ!」
自らの想いを、許された気がした。自らかけていた責めを、解かれた気がした。
それはまるで、そこに居るだけでいい―― そう言われたように。
「ほらっ、さっさと歩く歩く!」
「速い速い~」
後ろから、高い彼女の背中を押して歩く。楽しそうな文句を聞きながら、押して歩く。
ただ、手は繋がない。
それは甘えであり、自らが決別したものだから。
そして、汚れた手は、繋いではいけないと思えたから――
長く進んだ洞窟の奥。大きく拓けた行き止まりに出る。
「ここだよ!」
ステラが差し向ける腕の向こう、そこには東洋の神殿にも似た、巨大な石造りの祭壇が建てられていた。
入り口の空洞から長く伸びる白い石畳と、社へと繋がる階段。その先の本殿らしき社の石舞台には、左右に大きな鉄釜のかがり火が灯され、中央には一枚の石版が立つ。壁には岩肌をそのまま掘り抜いて造られただろう、様々な武器を手にした鬼のような像達が並び立っていた。
「なんだここは……」
その場の気配が、良一を総毛立たせる。
寒さすらも感じる張り詰めた空気。この世界に感じていた、魔力ともつかない奇妙なエネルギーが渦巻いているようだった。何よりこのような場所があって、それが『魔力感知』にひっかからなかった。その得体の知れない事実が良一を呑み込んでいた。
「じゃ、始めるね?」
「え……? おい……」
何一つ物怖じの無い、普段通りの足取りでステラが祭壇の奥、石版を目指していく。
「リョウちゃん。リョウちゃんは真ん中くらい…… うん、そこ、その辺りに立ってて」
あとを追った良一は石畳の途中で押しとどめられ、ステラの指定した位置から、遠く階段を上る彼女の姿を見上げていた。
ステラが、石版へと手をかざす――
――「ひとのみたまのもとむれいき、こころよろしく、さやおさむたまろ」
「……っ!?」
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良一は脳に突き抜けるような音を感じ、膝をぐらつかせた。
その感覚には覚えがあった。『翻訳魔法』の不成立。人間以外の生物や、一部著しく違う言語体系を持った人々など、翻訳がかなわない場合に起こる、甲高く不快なノイズ。
――なんだ……? 数字……?
しかしそのノイズは、これまで経験したものとは違っていた。ステラが呪文らしきものを口にした瞬間、目の前に映像のような形で、意味不明な数字の羅列が走り抜けたように感じた。
石版の両に並ぶ、二つのかがり火が巨大な炎を上げる――
思わず身を引いた良一の脳内に、荘厳にして、強烈な思念が降り注ぐ。
『汝、力を求めるか?』
――な、なに……?
テレパスにして、腹の奥から、地の底から響くような声。明らかに人のものではない重すぎる思念に、良一は表情をゆがめる――
「はい、求めます」
「……へ?」
答えたのは、ステラ。
『良い…… ならばその力、我に示せ』
「……へ?」
重々しい声と、ころころした明るい声の交差。その間を、良一の意識が右往左往。
鳴り響く破砕音―― 洞窟全体を揺るがすような地響き。
壁に捧げられていた居並ぶ巨大な石像、その内の三体が岩の殻を破って動きだした――
石版の前、背中を向けていたステラがくるんっと振り返る。
「リョウちゃ~ん! がんばって~!」
ほんの一時間と前、すっごく既視感のある無責任な声援と笑顔がそこにあった。
「はぁ!? お前また! ちょっ……!?」
地を震わせ飛びかかった石像達。その振り下ろされた幾重の武器の重圧により、彼の声はかき消されていった――




