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玄人仕事  作者: 千場 葉
#10 『プロフ・ワークス』
326/375

6.まかれた種の芽吹き


 見上げる青空―― 幾度となく見上げてきた空、晴天の空。この場所のそれは、その青さをどこまでも薄く薄く、透明に近づけたような色をしていた。

 白壁の家、そこだけが背の高い、玄関部分の屋根。赤い石の斜面に寝転がり、良一は空を見ている。

 澄んだ空気の中、朝の柔らかな日射しが(ほの)かに体を温める。少し肌寒い風が、アンバランスに心地良かった。


 ――今日で四日目か……


 辿りついたばかりで強引に連れ込まれ、気づけばそれだけの時が経っていた。

 朝起きて、食事や休憩を挟んで夕方まで続くステラの個人授業。そして他愛の無い歓談(かんだん)に、夕食、風呂、就寝。ひどく緩やかで、穏やか過ぎる生活。その中に、良一はいた。


 ――異世界、か……


 元の世界となんら遜色(そんしょく)の無い設備の家。狩らずとも出てくる食事に、安心して眠れる場所。形が変わっただけの学校。そして共に暮らし、語らう人――


 ――どっちがおれの、異世界なんだろう……


 想像も役立たないほどに、不自然で、不可解。

 そんなこの場所には、無いはずの『日常』が置かれていた。


 あるいはそれは、もう取り戻せない、もう失われてしまったはずの――


「あ、リョウちゃんここにいたんだ」


 下からの声に、良一は身を起こす。良一の座る玄関屋根のすぐ下、バルコニーへと現れたステラが彼を見上げていた。


「ああ、悪い…… なんだか早く目が覚めちゃってさ」


 ステラの立つバルコニーは、リビングの真上に位置する。高い玄関部分は二階建てになっており、屋根裏のような物置然とした二階には、このバルコニーへと出られる木戸がある。

 二対の物干し台が置かれただけの、見晴らしの良いこの一画。ステラが洗濯物を持って二階に上がるところは見ていたが、良一が実際に登ったのは初めてだった。

 間借りしている身で、断りもなく入り込んだことを少し悪くも思う。しかしステラは気にしないようだった。いつものように、楽しそうな笑顔で声をかけてくる。


「気持ちのいいところでしょ? リョウちゃん高いところ平気なんだ?」

「ん……? ああ……」


 二階に上がったことも勝手ならば、思えば勝手に屋根にも登っている。なんとなく決まりが悪く、良一は目を逸らして頭を掻いた。そんな彼の様子に、ステラがくすくすと笑う。


「屋根は普段お掃除してないから、あんまり寝そべっちゃダメだよ? すぐに朝ご飯にするから、そろそろ降りて来てね?」


 「おう」と片手を上げ、良一は誤魔化すような感じで答える。

 歩き出したステラが良一の座る屋根の下へと消え―― 後ろ歩きでひょっこりと顔を覗かせた。


「おはよう、リョウちゃん」

「……ああ、おはよう」


 真下から、扉の開閉の音。静かになるバルコニー。良一は立ち上がり、尻や背中の埃をはたいた。



 そして、じっと目を凝らし―― 周囲を(うかが)う。


 広がる草原、遠く見える森林。光を跳ねる湖と、三方を囲む山岳――



 やがて良一は、音も無く屋根からバルコニーに跳び、家へと入っていった――






「……いったいこいつらは、どっから出て来てるんだろうな」


 一階へと下り、洗面を済ませた良一は、コットン百パーセントな感じのタオルを洗濯カゴに放り込んで洗面所を出る。

 玄関廊下の並びにある洗面所やトイレ、風呂。そのどれもが、良一の世界と何も変わらない。ユニット型の風呂にはプラスチックのボトルに入ったシャンプーもあればリンスも有り、トイレには可愛らしい便座カバーまで備えてある。これまで見てきた異世界の中、ここまで何不自由の無い文化的な生活は初めてだった。


 廊下のフローリングを踏みしめ、良一はリビングへの扉を開ける。


「……今日はパンか」


 キッチンテーブルの上には、今日の朝食らしいパンが用意されていた。食パンをベースにピーマンや輪切りのソーセージを載せ、ケチャップやチーズを振りまいた即席のピザのようなもの。

 その安っぽく不格好な造形に、良一は笑みをこぼす。


「ったく、よく知ってんな……」


 和食の多い、伊達家の朝食。時に気が向いたとばかりに出されるこれが、良一は好きだった。

 

 何不自由の無い、不自然。見る度に、こうしてなぜか笑ってしまう自分が良一にはわからなかった。とびっきりに怪しく、とびっきりに警戒すべき手品のような日々。

 電柱の一つも無い場所に電気が来ていて、ガスや水道はどこにパイプが通っているのかもわからない。ステラが買い物に出るところも見なければ、宅配業者が来るなんてところも見たことはない。

 なのに良一は笑ってしまう。清々しいまでの、隠す気さえも無さそうな不自然さ。笑ってしまうのはそれがあまりに飛び抜けてしまっているせいなのか、何一つの悪意も感じないせいなのか、良一にはわからなかった。


「あ、リョウちゃん」

「ん?」


 テーブルを見ていた良一。その後ろから現れたステラが、ひょいと彼の頭に手をやった。そのまま彼女は、後頭部に立っていたらしい良一の寝癖を手で()いていく――


 日がな一日一緒にいて、もう四日。彼女は相変わらずと世話を焼き続けている。

 この世界、この家同様に、ステラについてもわかったことは何も無い。ずっと一緒に、一緒にいるだけのように過ごしてきたこれまでの日々。他愛の無い会話は繰り返せども、お互いを明らかにするような話題は持たれなかった。

 穏やかで甘い不自然の中心に立ち、何もかもを与えてくれる奇妙な女。何を意図し、何が目的か―― 思考と経験が訴える疑念と警戒、それは常に心と身にある。


「ぴょんぴょんって可愛いけど、ちゃんと直さないとダメだよ」

「ああ……」


 だが良一はされるがままに、してくれるがままにしてあった。

 それは今身寄りの無い彼にとっては得なことであり、その打算の裏、今の彼にはそれを振り払う気力も無かった。


「えっへへ…… できた」


 そして何より、ステラが楽しそうだったので、ならばいいかという想いが大きかった。


「さ、朝ご飯にしよっか。パンでよかった?」

「うん……」


 思わず口をついた子供染みた返事。良一は自身への呆れに首を振りながらテーブルにつく。


「いただきますっ!」

「いただきます……」


 二日目、三日目、四日目。三度目になるステラとの朝食。

 こんがりと焼かれ、チーズのとろけたパンに手を伸ばす良一の目に、一つの食器が映った。



 湯気の立つティーカップ。それを満たす、紅く透明な液体――



 ――さすがに、違うか……


 漂う香りだけで、それは理解出来た。

 その紅茶は紛れもない、一般的なティーバッグで入れられた彼のよく知るものだった。


「うん?」

「……なんでもない」


 失望と、安堵(あんど)―― 誤魔化すように、良一はパンをかじった。






 低いテーブルの上を、ステラの指が滑る。


「それでね、ここの辺とここの辺の長さが一緒だから――」


 彼女の指の下には、煩わしい形の図形が印字された紙があった。

 絨毯に座りソファー下部を背もたれに、前のめりになった良一の目が紙を追う。


「そうするとここの二乗と、ここの二乗の面積を足したものが、ここの二乗の面積とおんなじになるのはわかるでしょう?」


 今日も続く、ステラの個人授業。

 彼女が教えるのは「数学」と「理科」のみ。それにしても、どうしてそのような知識があるのかはわからない。この世界がそれを当たり前としているのか、ステラだからなのか、異世界人である良一にとっては予想もつかない。

 ただ一つ、良一にわかることは――


「そうか、じゃあ…… こうなるのか?」

「そう! 出来たね! がんばったね!」


 なんであれ、助かる。それだけだった。

 「『病気』がある以上、何をしようと無駄」―― その想いは変わらずにある。だがそうであっても、良一は『現実』を捨て切れたというわけではない。

 高校を受験し、それに受かる。そんな当たり前の中学三年生としての『現実』から、逃げたいとは思っていなかった。行き掛かりがなんであれ、立ち向かう力を得られる。それは彼にとって嬉しいことだった。


「あ、じゃあそろそろ休憩にしよっか。コーヒーおかわりする?」

「ああ、頼む」


 ステラがテーブルの上から、二つのカップを取って立ち上がる。


「なぁ、ステラ」

「うん? なに?」

「……なんでもない」


 目を逸らした良一にくりっと首を傾げ、ステラはキッチンへと歩いて行った。



 ――あんたは、何者なんだ……?



 初めて会った日から抱き続ける思い。

 それは機を逸して、仕舞い込まれてしまう――

 


 良一は開かれた窓から、草原の向こうを見つめた。

 風に葉を揺らす、数本の木。遠く、空に透けた並び立つ山々。



「誰も、いない……」



 胸に、不協和が起こる。

 高い屋根から見回した現実が―― 彼の魔力を手繰るアンテナが、その事実を知らしめる。




 ――この世界には、ここしかない。



 ――この世界には、この女(ステラ)しかいない。




 何度となく確認した事実が、彼の問いを仕舞い込ませていた。


 芽を吹かせ始めた親しみが、それを仕舞い込ませていた――



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