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玄人仕事  作者: 千場 葉
#10 『プロフ・ワークス』
321/375

1.願いの先


 扉が開く――



 二階建てアパート、二階の並び。青いツナギの二人組に抱えられた電子ピアノが、一階を目指して運ばれていく。廊下をゆっくりと遠くなっていく四角く黒い姿。その姿を、小さな少年は見送っていた。


「良一」


 背に声がかかり、少年は振り向く。今しがた電子ピアノが通った、扉が開かれたままの玄関の奥。そこには優しそうな顔をした、歳若い大人が立っていた。

 浮かない顔をしてうつむく、無言の少年。そんな少年へと靴を履いた大人―― 少年の父は歩み、彼を抱え上げた。

 高くなった視点、父に促されるままに見下ろした二階の手すりの向こう側には、トラックの荷台に吸い込まれていくピアノの姿が見えた。

 少年の耳元に、名残(なごり)惜しそうな父の声が(ささや)く。


「……あれも十歳だ。君が生まれる少し前から家にあったからね」


 その黒い電子ピアノは、いつも少年の側にあった。かつて父や母が遊び、気づけば少年も、姉弟達も遊んでいた。姉弟達がすぐに飽きてしまっても、少年はまだ遊んでいた。それはいつもはこうして家にいることのない少年の父。彼が望んでいたことであり、喜んでくれること。だから少年は遊び続け、そして自らの上達を喜び、楽しんでいた。

 数ヶ月前、その電源が寿命を迎えるまで――


「ほんとうにもう、直らないの?」

「うん、あっちこっちで聞いたけどやっぱり古くてね…… 代わりの電源が無いんだ」


 音を出すことが出来なくなった壊れたピアノ。それはただの黒い置物になってもまだ家にいた。転機となったのは一週間前、長い仕事から帰ってきた父が、マンションの購入を決めたことにあった。

 増えた家族、成長していく子供達。そして移り住む、新たな場所とその新居。新しい日々に、役目を終えた物を連れていくことは叶わなかった。


 電子ピアノの引き取りを終えた業者のトラックが、アパートの庭を出て行く。もう二度と、会うことは無い。その別れは物を相手のはずなのに、少年にとっては友人達との別れよりも思い残るものだった。


「ねぇ、良一」


 胸元に、重いもやのような感覚。(こら)える少年へと父は語りかける。


「あのピアノは十年ここにあった。十年間、ずっと一つのこと、音を出すという仕事を続けてきた」


 遠く、見えなくなっていくトラック。下る坂道の家々に隠れ、見えなくなった。


「一つのことをずっとやり続けてきたあのピアノは、今大事にしてくれた良一に、とても特別なことを教えてくれているよ」

「特別な…… こと……?」


 不思議そうな顔で見つめる少年に、父は微笑む。


「ずっとずっと、どんなことでもいい。みんなが飽きちゃっても、誰も褒めてくれなくても、君がやりたいことなら、ずっと続ければいい。彼が―― あのピアノが生きてきたと同じ、十年間、続ければいい」

「十年間……」


 それは今の少年が生きてきたよりも、まだ少し長い時間。そのあまりの長さに、想像が出来ない少年は父に問う。


「十年続けたら…… どうなるの?」


 (うなず)いた父が、坂道の向こうを見つめる。



 ――「どんなことでも十年続ければ、人は玄人(プロ)になるんだ」



 父の口元には、力強い笑顔―― 少年が憧れる、父を一番かっこいいと思う時の笑顔。



 見えなくなったトラックに、ピアノに向けられているだろうその笑顔は、


 少年には尊敬すべきものを見送る、そんな笑顔に思えた――







 どこまでも水色な、透き通った空――

 西方、北方、東方に連なる山々と、その(ふもと)からは、溢れる豊かな森林。

 木々の群れより繋がる大地には、広く広く、優しげな黄緑色の草原が続いていた。


 背の浅い草達が、さざ波のように風に凪がれていく――


 その中に、うつ伏せに倒れる少年の姿があった。


「っ……?」


 眠るように横たわっていた少年―― 黒い詰め襟の学生服を着た、まだあどけなさの残る顔つきの少年が目を覚ます。

 身を起こし、辺りを見回す少年。その子供らしかった眼は覚醒とともに大人びた、魚類と獣を掛け合わせたようなものに変わっていった。


「……またか」


 呟いた少年は注意深く周囲を見、三百六十度を目に入れる。彼には身を横たえ、眠っていたこの場所がどこであるのか、それがわかっていない様子だった。だが驚くそぶりはなく、表情にはただうんざりといった感情が表れていた。

 四方に広がる草原を見回し続ける少年。その黒い瞳に少し離れた草地の上、飛び石のように続いていく石畳が映った。ピントを引き絞るように、目はその先を(うかが)う。

 彼は額に手を当て、軽く前髪を掻くと、その方向へと歩き出した。


 少年は、歩く――

 ただ仕方無しといった風に、なんら期待の一つも持たない足取りで。


 少年は、向かう――

 今目に映るものなど、なんら自身には関係無いという足取りで。


 続く灰色の石畳を道筋に、数分と歩き続けた先。やがて現れたのは白壁の建物だった。

 高く造られた玄関部分から、右に窓二つ分伸びる三角屋根の建物。それほど大きくもない庭付き戸建て住宅のような外観を前に、少年は首を傾げた。


「教会…… じゃなかったのか……」


 遠目にうっすらと見えていた建物の印象はそうだった。陽光に反射する白壁のせいだったのか、高めの玄関部分のせいだったのか、何を見てそう思ってしまったのかはわからなかった。だが今建物を見るに、右の家屋の窓はステンドグラスなどではなく、ただの外開きの窓。開かれた窓の枠には白い鉢植えが並んでいる。玄関部分にも、宗教がかった意匠は見られなかった。


 まばらな数本の木とともに、だだっ広い草原にぽつりとある一軒の民家。少年は改めて辺りを見回してみるが、この一軒を除いて、周囲に家屋らしきものは無い。

 見覚えの無い場所、身寄りの無い()()

 たった一つの人の住み家らしき場所を前に、どうしたものかと少年は(たたず)んでいた。


 ――小さく、木と鉄の打音。


「……!」


 両開きの玄関扉。片側が動き、険しくなった少年の目がそれを追う。

 開かれていく扉、半分ほどで止まった空間から、人影が覗く。


「あら?」

 

 高い背を覆う純白のローブに、長く輝くように痩身に流れる桃色の髪。扉から現れたのは少年が見るに数年と年上、彼の感覚で言えば大学生くらいに思える女だった。

 家人らしき女に、ただ対峙(たいじ)する少年。その女は、琥珀(こはく)の瞳で彼の姿を見据えると――


「まぁまぁ…… まぁまぁまぁ!」

「……!?」


 ぱっと顔を輝かせ、扉を開け放って庭へと駈けだした。

 そして少年へと迫り、そのままに両腕を開き――


「ぅわぷっ……!」

「ん~! か~わい~い♪」


 ぎゅむりと少年の顔を胸元に抱きしめ、満足そうな声を漏らした。


「ちょっ……! は、離せっ!」


 予想外な行動に無抵抗だった少年は、焦って体を引き剥がす。


「ねぇ! あなたお名前は?」

「は、はぁ……?」


 しかし女は少年に二の句を継ぐ間も与えず、目線を合わせて満面の笑みで詰め寄る。

 ファンタジーそのものの髪色に、作りもののような美しさを持つ女。だが、一切の(よこしま)なものを感じない、まさに無邪気―― いや、脳天気にも思えるそのわくわくといった笑顔。


「……おれは、伊達(だて)…… 良一(りょういち)


 間近に顔を寄せられた少年は、思わずと名乗っていた。


「リョウちゃんね!」


 女はぽんっと嬉しそうに両手を打つ。


「りょ、りょうちゃ――」

「さ! おいでおいでいらっしゃい! お腹空いてるでしょ? 私のおうちにようこそ!」

「ちょ、え!? おい!」


 そしてそのまま少年―― 良一は、腕を引っ張られるままにものすごい勢いで家の中へと連行されていった。





 真黒い油にまみれた欠けた歯車へと、新たな『世界』は手を伸ばす――


 それは未来を願った、()の人の想いにも似て――


 ひどくお待たせしました、『#10』開幕です。


 本章は『#9』からの一連の後編のような扱いです。

 他の章はどこから読んでも大丈夫ですが、こちらは最終章という扱いでもありますので

 出来れば先に『#9』をお楽しみください。


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