1.真夏の銀世界
雪降りしきる山麓、一面真っ白なその風景に似つかわしくなく、季節は夏真っ盛りだった。
「よし! 捕った!」
世界ただ一着、合成繊維で出来た黒いジャンパーを羽織った男が雪上を走り、飛びついてウサギを捕まえた。
それを遠めに見ていた分厚い毛皮を着こんだ男達が感心したように言い合う。
「ふぅ、これは今年は楽出来そうだ」
「ほんとに、よそ者が来て食い扶持の心配してたのが馬鹿みたいだ」
ジャンパーの男は彼の近くにいた、やけに体格のいい銀髪の男に意気揚々とそれを持って行く。男達は「褒めて貰おうとしてる猟犬みたいだな」と和やかに笑っていた。
「はいこれ、食えますよね?」
ウサギを渡された男はそれを受け取り、その丸々とした獲物を満足げに見ながら言った。
「おう、こいつはうまいぞ、晩飯に出してやろうか?」
「いやいや、蓄えでしょ? 贅沢しちゃダメですよ」
「いい、いい、お前さんのおかげでもうすぐ今年の目標に届く、そろそろ歓迎の一つもさせてくれ」
言いながら、男はウサギを自らの獲物入れである木箱の中へ放り込んだ。
新人であるこのジャンパーの男の活躍は目覚ましく、その箱はもう結構な重量になっていた。
「いや、ははっ…… ありがとうございます」
「いいさいいさ、ほれ、帰ろうかお前ら」
男達は口々に「おう」だのと答え、それぞれに帰途に着く。
彼らの帰る場所は皆同じ、狩人の集落「コークスス」だった。
~~
彼の居住する木造の山小屋は粗末なもので、適当な広さはあれども区切られた部屋などなく、土間と居間しかない。
今日も彼の囲炉裏には、取れたばかりの具材が夕食として鍋になって煮えていた。
「お前が来てもう半月か…… どうだ、集落には慣れたか?」
「朝寒すぎて起きるのが辛いってこと以外は慣れましたかね……」
「そいつは結構だ」
彼にとって最近変わったことと言えば、奇妙な同居人を拾ったことだった。長年一人暮らしではあったが元々なんのかんのと仲間が押しかけるのが日常で、誰かと住んでいるというこの頃に特別思うことはない。
「ああ、でも…… これですか?」
「ユラルモルトか? お前嫌いだったか?」
同居人は奇妙な光沢を放つ黒い上着を着た、若い男だった。
雪の中、立ち往生していたので助けてやったが、狩りに使ってみると思った以上に使えたので、そのまま住まわせてやることにした。
「いや、こういった濃いエールは嫌いじゃないんですけどね……」
狩りの後、集落の小屋の中、その日の食事を酒で流し込みながら話をする。それがこの同居人を拾ってからの定番の日常となっている。他の仲間とは違い、適度に物静かな男なので一緒に住んでいて彼の性には合う男だった。
「正直あんまり酒強くないんで…… 食事のたんびに飲んでるってのは体壊さないかなと……」
「体に火を入れないでどうする、夏で寒いなんて言ってるやつは頼るもん頼んねぇと凍死すんぞ」
「は、はぁ…… そうですね……」
しきりに寒い寒いと言うわりには薄着という妙な男だった。黒い髪に黒い瞳、自分達とは違う人種なので寒さには強いのかもしれないが、ひょっとするとあの黒い服が見た目よりも暖かい素材なのかもしれない。服を試してみたいような気もしたが、彼とは体格が違い過ぎた。
ガラリ、と扉が開かれた。
「ストマール、おう、そういやダテも一緒か」
ひょろりとした糸目の男が彼、ストマールの家へと入ってきた。半ばほったて小屋の扉を開けると室内には寒風が流れ、土間に雪が漏れ入る。
「ヨークか、どうした?」
ヨークと呼ばれたこの男はストマールの狩り仲間の一人で、彼の幼馴染だった。幼馴染とは言っても四十近いストマールからは十ほどは離れている。年齢的には同居人の男の方が近いだろう。性格的には難のある男だが腕前は悪くなく、集落での狩りの主要メンバーの一人でもあった。
「いやいや、ちょっといい酒もらってな、今日見たあのでっかいウサギつついてるって聞いたんで同伴に預かりにきた」
「ふん、まぁ入れ」
ヨークがどかどかと暖炉につく。
ストマールは鍋の中身を椀に入れ、彼によこしてやった。
「ほらよ、味わって食いな」
「おう、ほふほふ…… うん、うまい、やっぱストマール肉捌かせたら最高だな」
「世辞はいい、ほれ、酒だせ」
「あいよ」
ヨークがふところから陶器で出来たとっくりを出した。ストマールはそれを受け取ると、木製の栓を開けて中の匂いを嗅ぐ。
「おお、こいつは……」
「スリリサのバァちゃんが作ったやつさ」
「ほう…… 期待出来そうだな」
「だろ?」
自慢気に語るヨークではあったが、ストマールは若干鋭い、咎めるような視線を彼に返した。
「……が、こいつはさては、お前が貰ったってわけじゃねぇな?」
「……う」
ストマールは言いながら、酒を杯につぎ、ダテに向けた。
「ほらよ、ダテ、お前から呑め」
「えっ? 俺から……?」
「スリリサの婆さんが気を利かせてお前に渡すようこいつに持たせたんだろうよ。ありがたくもらっとけ」
戸惑いを見せるジャンパーの男、ダテだったが、その様子を見たヨークは力なく、ははっと笑い白状した。
「見抜かれちまってるか」
「ったりめぇだ。あの婆さんがお前みたいな役立たずにこんなモンくれるかよ」
「ひでぇ……!」
ヨークは毒舌に笑っていた。ダテはその様子に笑いながら、素直に呑んでみた。
「おっ、うまい…… 焼酎か……!」
「ショウチュウ? お前の国の酒か?」
「あ、ええ、そんなもんです……?」
「なんで聞く」
「いや、そういや焼酎の起源なんか知らないなぁ…… と」
酒の味は上等なものだった。少し黄色みを帯びた透明な液体は思いのほか度数が高く、香りは焼酎というよりはブランデーに近い。
「どこでもあんじゃねぇの? 呼び方が違うだけでさ」
「う~ん、そうかもですねぇ」
ストマールは自分にも注ぎ、一杯煽ってから言った。
「なんにせよ、歓迎されてることにはかわりなさそうだな…… ま、お前の働きを見りゃ当然か」
「まったくだよ、ここに来る前どっかで狩りでもやってたかい?」
「え、ええ…… 何度か。さすがにこんな時期が夏だなんて場所ではやったことないですけどね」
「いい師匠がいたんだろうな、若くて使えるやつなんてそうそういねぇ、有り難い話だ」
そう言いながら、ストマールは別の杯に酒を注ぎ、ヨークに渡してやっていた。
「こりゃ今年は早々に休みにした方がいいかもねぇ、獲物いなくなっちゃうよ」
ヨークは言うと、旨そうに酒を飲んだ。
「お前は休みたいだけだろうが…… 同感だな。三日ほど開けて、その後三日やってお開きにするか」
「……? 終わりですか?」
「自然の恵みに限り有りだ。何、もう収穫量は心配無い…… いくらいたとしても今のペースじゃ警戒されちまうからな」
「実際そろそろ秋も迫ってるからねぇ…… ぼちぼち燃料買い付けたりで忙しくなっちゃうしね」
「そうだな…… 今度は商売で活躍してもらうか」
「え~、そっちは自信ないなぁ~…… ヨークさんにやってもらってくださいよ」
「ヨークにか? そいつは無理だ」
「えぇ? ヨークさんベテランなんでしょ?」
ストマールはニヤリと笑い言った。
「俺の記憶が確かなら、こいつはうちに来た時に、「そういやダテも一緒か」って言ったぜ? こいつはそういうやつなんだ」
ダテはしばし考え。
「うわっ、ヨークさん最低っ! 横領とかしそう!」
「わ、悪かったよ、バ、バァさんには黙っててくれ、この通り!」
平謝りするヨーク。小屋は笑いに包まれた。
~~
積雪が朝の光に輝く集落の裏路地、伊達は木箱に座り込み、ため息をついた。
「はぁ…… もう半月かぁ……」
そんな伊達の懐、体の中から、ひょろろろんっと金色の何かが飛び出し、彼の前を飛んだ。
「いや~、さむいっスね~、大将!」
体長二十センチほどの少女がひらひらと、伊達の目の前に浮かんでいる。肩まで程度の金髪がよく似合う、活発なイメージを与える生き物だった。人間をそのまま小さくしたような姿ではあるが、背中からは半透明の羽が生えていた。
「クモ…… 出るなって言ったろ」
「たまにはいいじゃないっスか~」
ひょこひょこと飛び回る金色の妖精、クモと呼ばれたそれは結構に気ままなやつだった。服装は自分のイメージで変えられるらしく、今日は環境に合わせているのかダッフルコートだ。
「ん~! でも綺麗な場所っスねぇ! 長野とか北海道とか、北の方はこんな感じなんでしょうか!」
クモはきょろきょろと辺りの風景を見回しながら言う。集落の境から少し離れた所には、狩場でもある山が一つ見えているが、他は見渡す限りの平原が広がっている。ただ、山にしろ平原にしろ、見渡す限り一面の積雪地帯だった。
「長野は北って言えるのかわかんねぇが…… 詳しいなお前、どこで知った?」
「いや、こないだテレビ見てたじゃないっスか、あれでレポーターの人が言ってましたよ。雪がすごいところだって」
この間がいつのことかはわからないし、そんな内容があったかも憶えていないが、確かに家にいる間はよくテレビは点けている。
「ふ~ん…… だが、日本の場合は冬にそうだってだけで今ここは夏だそうだぞ? これからどうなることやら……」
「だいじょ~ぶでしょ、それまでには暖かいお部屋に帰れますよ」
「暖かいっていうより、今俺の部屋は不快指数八十パーセントだけどな……」
「エアコン買いましょうよぉ~……」
そこまで話して、伊達が人の気配を察した。
「クモ、人だ、消えろ」
「あい!」
返事一変、クモは姿をかき消した。
それとほぼ同時、建物の角から歳若い娘が一人、雪を鳴らしながら現れた。長い銀髪を後ろにくくって揺らし、どこか民族的な厚手のフード付コートを着込んで歩くその姿は大人しくも、愛らしい印象を受ける。
彼女は木箱に座り込む人物に気づくと、辺りを見回しながら近寄った。
「あれ? ダテさん…… 今どなたかとお話してましたか?」
「いや……」
ニフェルシア、この集落では珍しい若い娘だった。
ダテにとっては人種が違うので見分けは難しいが、年齢的にはまだ二十歳前か、ひょっとするともう少し下のようにも思える。この地域特有の色らしいのだが、彼女の銀髪はストマールのそれよりも色素が薄く、白銀の世界に透けるような様をダテは素直に美しいと感じていた。
生憎と、彼は女性を素直に褒めたりはしない男のようで、口に出したりはしないのだが。
「……? なんだか子供っぽい声が聞こえたような気がしたんですけど……」
彼女は小首をかしげ、不思議そうな顔を辺りに向けて呟いていた。
ダテは今更ながらに、クモという生き物の秘匿性など皆無な、空気を読まない言動にげんなりとしていた。
「ほっほっ、妖精さんの声でも聞こえたんじゃないかね?」
ぎくりっと、ダテが反応した。
「あ、おばあちゃん」
彼女を追いかけてやってきたのか、ニフェルシアの脇にはいつの間にやら老婆が立っていた。歳の方はうかがいしれないほどの高齢に見えるが、杖をついたりはせず、自らの両足で雪上に立っている。この集落の人間の芯の強さを感じさせる老躯だった。
「おう、ダテ坊、今日は休みか?」
老婆は孫に話しかけるような気さくさでダテに話しかけてくる。彼自身結構な歳なのだが、「坊」と言われても妙に納得してしまうくらいには年齢が離れていた。
「ん~、ストマールさんが休みにするって言ってましたよ。警戒されるとかなんとか」
「おお、そうかい、酒は受け取ったかいな?」
この老婆はスリリサといい、ニフェルシアの祖母に当たる人物だった。
集落での最高齢の一画にして代表者でもあり、お茶や酒、狩りの獲物から作られる加工品など、この地方に伝わる特産品の数々を熟知し、製法を今に伝える生き字引のような存在だった。住んでいる者にとっても、この集落に来るよそ者にとっても、荒いようで優しいその性格から、ちょっとした名物バァさんにもなっている。
ダテはこの集落に居つくようになって何度か、女手しかない彼女達の家に食材などの荷物などを運び入れたり、薪を割りに行ってやったりとちょっとした力仕事を手伝いに通っていた。普段はストマールがやってあげていたことだったが、狩りのシーズン中に多忙な彼の代わりとして、ダテが任されることになった。
以来この二人は集落の中で、ダテの数少ない親しい知り合いとなっている。
「ああ、旨かったですよ。ユラルモルトよりはあっちのが好きですね」
「そうかそうか、そいつは良かった。ヨークのやつに預けたんで途中で飲まれんかと心配だったんじゃが……」
「いやいや、彼はそれを元手にして晩飯をたかりにきただけでした」
「あのクソガキ……! まぁ、喜んでくれたらええわい、孫娘の頼みでもあるからの」
「……!」
ニフェルシアがびくっと反応した。
「ニフェルシアが?」
「ああ、いえ…… 大活躍してるみたいだし…… 何かお礼をと……」
下を向いてなんだか真っ赤になっている。凍傷かもしれない。
「ほっほっ、シアと呼んでおあげ」
「おばあちゃん!」
「……だって呼びにくいじゃろ?」
ニフェルシア、確かにちょっと覚えにくく、呼びにくい。呼ばせてもらえるならそっちの方が楽でいいなとダテは思った。
「あ、あの…… それじゃあ私達はこれでっ……」
「おう、酒、ありがとう」
ぱたぱたと、ニフェルシアはスリリサを連れてその場を離れた。
「ふぃ~」
「なんだ、まだいたのか……」
金色が姿を現した。
わざとらしく額をグーで拭ったあと、なんだかいやらしい笑みを伊達に向けてくる。
「ぬぷぷぷぷ…… 相変わらずおモテになりますなぁ大将」
「……よそ者だから気を遣ってくれてるか、単に珍しいだけだろ」
伊達はめんどくさそうに、ぶっきらぼうに答えた。
「またまた~、通算何人目ですかぁ~?」
「やめろクモ、考えないようにしてるんだ。何かあったとしても、それは虚しいだけだからな」
「はぁ~、確かにそうですな~…… やはり生涯添い遂げるのはこの私めだけですね、えっへん!」
「……それ最悪だわ」
あさっての方向に向かって胸を張るクモの言動に、伊達は額を押さえてうなだれた。




