32.赤、赤、赤
ざわめく聴衆。口を開けたまま動かなくなる者、跪き悲嘆に暮れ出す者。反応は様々だった。
「新たな…… 魔王…… だと……?」
首を向けるハリーゼルの目がわずかに見開かれる。この男の驚嘆する表情、身に快感がほど走った。
「何を…… 考えている…… 何をする…… つもり……」
「さぁな?」
「なに……?」
おれは鼻で笑うと、棒立ちにおれを見守るヒトの群れへと目をやった。
逃げ出すこともままならず、おれの一挙手一投足から目を離すことも出来ない、恐れに支配された集団。
――そこには、たしかな『絶望』が生まれていた。
「何も考えちゃいねぇよ…… これがおれの目的だ」
新たな『魔王』となる。その先のことなど、本当に何も考えてはいなかった。
人間などは、ただの一人もいないこの世界。統べる価値も、滅ぼしてやる価値も無いと思っていた。
おれが欲しかったのは、ただ、絶望。
おれから全てを奪い、感謝の一つすらなく当然のように平和を貪ろうとしたヒトの群れ。
勝手におれを選び出し、道具のように利用しようとしたこの世界。
そいつらの期待がはずれ、絶望に染まる様が見たかった。
目の前で『希望』が打ち砕かれる、その表情が見たかった。
おれが人間だった頃に、そうされたように、平等に。
その先のことなど、何一つ考えちゃいない。
「さしあたって『魔王』らしく、魔物でも生み出しまくってやろうか?」
「……貴様……っ」
目の前が白く、ちかちかとする。からかいの暴言一つに、信じられないほどの快感を感じた。「『魔王』らしく」―― その考えも悪くないのかもしれない。
「はっ、冗談だ……」
おれはハリーゼルの襟首を握って瓦礫の上から飛び、ヒトの群れの最中に降り立った。身構えたまま不格好に後ろへ下がる兵士達。うまく動けず、転倒するやつもいた。
誰よりも背が低いおれは、目の前に立てばまだ勘違いするやつがいるかもしれない。そう思い、軽く全身に暗黒の魔力を滾らせる。高温の揺らめきのように、暗く紫に揺らぐおれの周囲。近寄ろうとする者は誰もいなかった。
恐れに足を竦ませるヒトの群れを退けながら、おれは右手にハリーゼルを引きずって広間を歩く。
目を合わせるだけで、さっと退いていく大人達。それは愉快でもありながら、不愉快でもあった。こんな情けのない連中にいいように使われていたのかと思うと、腹立たしくもある。
無人の野を歩くように進んだおれは広間の奥、この会場の主役の前へと足を止めた。
「……勇者よ」
壇上、玉座の前に立つミーレクッド王。すでに『バインド』は解けているはずだが逃げ出してはいなかった。向き合ったおれに言葉をかけられる程度には、肝が据わっているらしい。
「『勇者』じゃねぇよ、『魔王』だって言ったろ?」
「どうすればいい…… 何が望みだ…… 何をすれば、怒りを沈められる……」
おれは軽く、首を振った。
「立場を間違えてんじゃねぇよ。あんたはもう、おれに褒美を与える立場じゃねぇ。ここにいるクソどもと同じ、取るに足らねぇヒトの中の一匹だ」
そこまで言って、おれは首を傾げた。おれに向かう王の目線が、おれに合っていなかった。
「ああ…… そうか、それでは足りぬ…… ハリーゼルの言う通り、あれが間違いだったのか……」
ぶつぶつと、うわごとのように呟くミーレクッド王。語りかけるように聞こえた言葉はおれに向けてではなく、独り言として漏れていたようだった。呆然実質とし、おれの姿も、おれの言葉も届いてはいなかったらしい。
情けない大人達の中、一番に情けない姿。ヒトを利用する者のトップとは、案外こういうものなのかもしれない。
「そうだ…… 国を救うためには、仕方のないこと…… 国家のためには……」
王の独り言は続く。どの道、こいつに用があるわけじゃない。用があるのは『魔王』としての形を見せるための道具、こいつの後ろにある玉座だ。新たな『魔王』が生まれたと、はっきりと絶望の実感を皆に植え付けるための、その椅子だ。
「あんたの席、おれが貰うぜ」
おれはため息を一つ、王との会話を諦めて壇へと登る――
「引き渡そう…… あの子を…… あの子なら、きっとルアならば――」
――おれの右手が振りかぶられ、ドンと鈍い音とともに王の体が吹き飛んだ。
王の体は玉座を半壊させ、投げつけたハリーゼルとともに壇上の奥、赤いカーテンの間際へと転がり込む。
それは突発的な、意識しない行動だった――
にも関わらず全身に、目の前を覆うほどの暗黒の魔力が猛り狂っていた。
その膨れあがった力の波動に、棒立ちになっていた背後の連中から悲鳴が、喧騒が、激動が起こる――
「っ……! 静まりやがれぇっ!」
振り向き放ったおれの手から、帯状の光刃が飛ぶ。
中空を真っ直ぐに飛んだ刃は広間入り口の大扉の上部に当たり、今まさに逃げだそうとしていた者数人が瓦礫にまみれた。
「立ち会えクソども! 新たな『魔王』の誕生だ!」
おれの叫びに足を止める連中へと、手をかざす。ビクつく連中の中、ゆっくりと一本の剣が宙に浮いた。その剣は宙を滑り、おれの手に握られる。
おれは剣を―― 聖剣を振り、刃先を王へと向けた。
「これからお前らの前で王を処刑する! これからはおれがお前らの王となる! 目を見開いてヒトの王が死ぬ、その瞬間を見ろ!」
そうだ、立て直せ。玉座は壊れたが、そんなものは思いつき。
まだだ、まだ、こいつらに絶望の実感は植え付けられる――
「……っ!?」
――一本の矢が、おれのすぐ側に迫っていた。
「ちっ……!」
おれは頭を逸らし、矢をかわす。射線の元には、あの部隊長と呼ばれていた軍人の姿があった。
「それは…… それだけは……! 許さん……!」
部隊長は焦った手元でおれを睨みながら、弩弓に矢を再装填しようとする。
「何を今更なことを……」
力の差は見せつけた。そんなオモチャでおれをどうにか出来ると本気で考えているとは思えなかった。だが――
「そうだ……! 許されてなるものか!」
「陛下を…… 統括将をお守りしろ……!」
全員ではない、相変わらず何一つ動けない連中もいる。だがそれでも、部隊長の動きに触発されるように矢をつがえる連中が現れ始め、下げていた剣を持ち直す者の姿も生まれだした。
――なんだ……? こいつら……
「陛下! しっかり……!」
前列の兵の中、例の蒼いドレス―― レア姫の姿が見えた。兵に阻まれ近寄れないまでも、倒れた王へと声を送っていた。
――なに……?
部隊長、兵士、姫。わずか数人から始まった動きが、声が、波のように加速度的に、ヒトの群れを伝わっていく――
一つ、一つ、また一つ。
「……俺は、やるぞ!」
ヒトの群れの中に、動く姿が現れる。
「国家の窮地に動かずして、何がミーレクッド臣民か……!」
ヒトの中に、顔を見合わせ決意する姿が現れる。
床に膝をついていた兵が立ち上がり、取り落としていた剣を握る。歯を食いしばり、おれに背を向けた来客が走り、ヒトに倒れ落ちた瓦礫に手をかける。方々からは、王へと、仲間へと送る声が騒然と高まっていく。
――それは唐突に始まった、理解の出来ない光景だった。
おれはたしかに絶望を与えてやった、そのはずだった。実際にこいつらはさっきのさっきまで誰一人と動けず、呆然とおれを見ているだけだった。それが今――
「手伝え! 今出来ることをしろ!」
「新しい魔王など認められるか! 恐れるな!」
縛っていた絶望など無かったかのように、息を吹き返したかのように、自らを取り戻し始めている。
このおれに、一体感と活気、必死ささえもを感じさせて。
絶望を振り払えるのは、絶望を与えられた相手への復讐心だけのはずだ。
それがなぜ、今急に動けるようになる?
「陛下! 返事をなさってください! 陛下!」
「王」がそんなに大事なのか? ただの情けないおっさんじゃないか。それを一匹潰されることが、絶対に敵わない相手へと刃向かう理由になるのか?
「ミーレクッドを守るぞ! あんなガキの手には渡すな!」
「国」がそんなに大事なのか? ヒトが群れて、お互いを利用しているだけの塊じゃないのか?
「民間人を逃がせ! 『勇者』はここで食い止める!」
何が民間「人」だ。汚らしいヒトの群れの、自分で戦うこともしない卑怯な連中じゃないか。
一発、一発と矢が慎重に放たれてくる。来客の中にも、弩弓を構える者の姿があった。
騒ぎに怪我を負った兵が、来客が、互いを支え合いながら避難を始める。二階席の法兵達が、再び魔力を高め始めた。重装備の兵士達が大盾を固く握り、覚悟を決めたように最前列へと並び始める。
「レア様! ここはお下がりください!」
「ダメです! 陛下の無事を見届けなければ!」
兵に止められつつも、姫が下がる様子はなかった。
飛び交い、かわすまでもなく、秘儀を張る必要すらもなく、おれの魔力に蒸発していく矢の中で、おれはその光景を見つめていた。
――やめろよ……
王を殺すと言った。たったそれだけで始まった目の前の騒ぎ。おれは興奮や快感に、頭がおかしくなったのかと思った。
ヒトは自分のことしか考えない。自分のためなら平気で他人を生け贄にする、汚らしい頭を持った魔物だ。そんな魔物達が、今目の前でヒトを想う、大事なものを想う、人間のような行動をしていることが、理解できなかった。
互いに庇い合い、矛先を、敵意をおれに、化け物に向けるヒトの群れ。
これでは、まるで――
――おれだけが、悪者みたいじゃないか……
「……!?」
背後に、大きな気配――
おれは向けていた刃先の方向へと振り返った。
「……やらせは、せん……! 国家の…… 礎だけは……!」
赤い軍服。その長身の体躯が、今にも崩れ落ちそうになりながらも両手を広げ、王の前に立っていた。
ともすれば、おれに向けて撃たれる矢によって誤射に倒れそうな危地。にもかかわらず、その男はへし折ったはずの二本の足で床を踏みしめ、血を吐き、王を守っていた。
おれは――
「……ぃい度胸だ……っ……!」
不愉快に歯を噛みしめ、聖剣の柄を折れんばかりに握り締めた。
――そうだ、これこそが、洗脳だ。
――こいつも、ここにいる連中も、この国王ってやつに洗脳されちまってる…… それだけだ……!
そうでなくてはならない。そうでなくては許されない。
この世界に現れたおれに、ハリーゼル達は何をした? 訓練に打ち据えられる日々、戦場で矢面に立たされ続ける日々、おれを抱えてくれた人はあったか? 支えて共に戦ってくれた人はあったか?
命を救ってやったおれに、ヒトビトは何をした? 怯えて逃げ出すか、遅いと文句を垂れる以外に、感謝をくれた人はあったか? 化け物を見るようや、品定めをするような目をせず、心からおれを労う人はあったか?
――今さら……! てめぇらが人だなんて許されるか……!
「殺してやるよ……! ハリーゼル……!」
体中を駆け巡る不愉快に、怒りに、目の前が黒く、真っ赤に染まっていく。
もういい、もう、殺してやる。こいつもおれと同じ、洗脳の被害者だったんだろう。だからこんな馬鹿な行動に出ている。
全てはこいつが間抜けにも守ってしまっている、後ろの王が悪い。あいつがきっと、こいつとこの場にいる連中、みんなを洗脳しておかしくしちまっている。
なら、一緒に突き刺して、串刺しにしてやろう……!
おれは聖剣を水平に構えると、
「くたばれぇぇえぇぇえぇぁっっ!」
床を蹴って、ハリーゼルへと駆けだした――
赤黒い視界の中、真っ赤な軍服を目指し、おれは足を走らせる――
赤、赤、赤――
何も見分けのつかない赤一色の世界、ゆらりと、赤い何かが動いていた気がした。
おれは右手に持った刃を、赤い世界の中心へと突き刺す。
ヒトの体に、通っていく刃の感触。
一瞬にして長く尾を引く、遅れて伝わるような貫きの感触。
それは幾度となく知った感触にして――
これまでに無い、抵抗の、無さ過ぎる感触だった。
不意に懐かしい、心地いい香りがした――
足を止め、戻った視界には――
――鮮烈な、広がる青。
足の裏から、脳髄を抜けていく、焦燥感。
それが幻でないことを、
視界の隅、揺らめく赤いカーテンが教えていた――




