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玄人仕事  作者: 千場 葉
#9 『アマチュア・ワークス』
313/375

30.赤黒い殺意の津波


 十数メートルの距離を飛び、二階席を支える柱の側へと倒れたハリーゼル。

 おれはやつに向けて、ゆっくりと歩み寄っていく。おれの接近に恐れをなした来客達が、覚束(おぼつか)ない足取りで距離を取っていった。

 じゃり、じゃりと、足元からはガラスなのか瓦礫なのか、区別の付かない感触が響く。

 倒れていたハリーゼルは、まだ動けるのか床を踏み、起き上がろうとしていた。


「やるならやるで…… 最初から本気でやるんだったな、ハリーゼル」


 体をぐらつかせながらもしっかりと両の足で立ち、睨み付けてくるハリーゼル。

 だが、明らかにもう戦える状態じゃない。天井を突き抜けた炎の龍、その消失と、おれの()()がそれを教えていた。


「貴様、その力は……」

「……あんたと一緒だよ。いざという(すき)をつくために、本気を出している()()をする。実力を隠していたのはお互い様だったってことだ」


 おれは知っていた。このハリーゼルという男はただ軍のトップに立っている、それだけの男ではないということを。

 おれの住む世界とこの世界はまるで違う。ただ偉いだけでは、ただ歳を取っているというだけでは、この世界では戦う者達を()べることなどは出来ない。その「実力」が伴わなければ、人智を超えた強者達を束ねることなど出来ないのだ。

 そしてこの男は実際に強く、強過ぎた。あの日、大国の精鋭達を手玉に取った『勇者』を、更に手玉に取れるくらいに。


「あんたが単独で、魔王に並び立つくらいの腕前なのはわかっていた。もしあんたが『勇者』だったのなら、聖剣や秘儀を手に入れられて、あの魔王とも渡り合えたのかもな」


 ハリーゼルを超える。その手段は難しくなく、その実行は途方も無い道のりだった。越えようとすればするほどにその差に気づき、絶望を覚えた。

 それでもおれは今日この時のために、倒して倒して倒して倒して―― 『経験値』を積み続けてきた。


「だがおれはもう…… あんたを超えて、魔王をも『経験値』にした。そして今あんたを倒し、また一つ強くなった」


 おれは、ハリーゼルの前に立つ。満身創痍(まんしんそうい)の体で、それでも変わらない紫の瞳で、冷たく睨み付けてくる男。

 その顔を今、おれは見据える。


 今にして思えば、この男のおかげだったのかもしれない。

 絶望の(ふち)にあった世界。数限り無い戦場。途方も無い強さを持っていた魔王。何もかもがおれの常識をはみ出ていて、とても言葉には表せない、想像だに出来ない過酷だった。

 きっと、この男に叩きのめされた日々が無ければ、地獄を味わわされていなければ、こうして乗り越えることなど到底出来ない日々だっただろう。

 (ぬる)い世界に生きていたおれから、厳しさによって甘さを取り除いてくれた男。

 この世界の過酷を生き抜く、強さを与えてくれた男――


「ハリーゼル……」




 ――だがそこに、感謝などは無い!




 ハリーゼルの右足に、内側からおれの蹴りが入った。


「っ……!?」


 右足が外側へと関節を無視した方向へと曲がり、股を裂かれる形で、右膝から床へと崩れ落ちるハリーゼル。高い背丈がおれの前へと落ち、(ひざまず)く恰好になる。

 そして、その側頭部へと――


 おれの右(すね)が轟音を立て、その体を木の葉のように舞い上がらせた。


「っ……しゃあっ!」


 空中に逆さまになったやつの胴体に直蹴りを叩き込む。面白いように無抵抗に吹き飛んだその体が柱の奥、影になった場所へと入り込んでいった。

 おれはそれを追いかけ、壁にぶち当たって倒れたやつの元へと歩んだ。


「さぁ…… 借りを返させてもらおうじゃねぇかハリーゼル……」


 暗がりの中、口から血を吐き、壁の瓦礫とともに倒れ込んだままのハリーゼルをおれは見下ろす。かつてそうされたように、おれは見下ろす。


「おれは誰かから受けた恩を、次の別の誰かに回すなんて意味不明なことはしねぇ…… そいつから受けた恩は、そっくりそのままそいつに返す……」

「……!」


 おれは右足を、やつの左足首に乗せ、


「それが筋ってもんだろうが……!」


 そのまま、踏み抜いた――




 狂気―― 鼓動が耳に聞こえるくらいに、激しい興奮がそこにあった。


 足を折り、手首を砕き、鎖骨を肋骨ごと粉砕した。


 ありとあらゆる暴力を、思い出せるだけの受けた全ての暴力を、おれはその体に叩き返した。


 殴る手は血に染まり、おれの顔も、体も血に染まった。


 やつの意識が飛んだか、残っているかは関係無かった。


 おれはただ、口の端を引きつらせる感覚のままに、昂ぶりにちかちかする目の前の感覚のままに、ただただ、憎しみの塊であるその軍服に、苦痛を味わわせることを目的に拳を振るい続けていった――




「っ…… はぁっ…… へ、へへっ……」


 いつしかおれは、これほどまでに強くなったおれの体が、息切れしていることに気づいて動きを止めた。

 ハリーゼルは―― 殺してはいない。


「……そらよ」


 おれの右手から緑の強い光が降り、ハリーゼルの体を包んだ。

 有り得ない方向に曲がった四肢、血だとはっきりわかる液体に濡れた顔面や、赤い軍服。だがそれでも、やつは死んではいない。


「簡単に…… 殺すかよ。こんなもんで済むと思ったら大間違いだ……」


 そうだ。おれは何度でも、こいつを(なぶ)り続ける。この程度で気が晴れるわけがない。

 事実―― 今おれは、満たされてはいないのだから。


「……?」


 無様な姿のハリーゼルを前に息を整えていたおれの耳に、ドカドカと床を鳴らして迫る集団の足音が入った。おれは薄暗い二階席真下から、広間の方へと首を振る。

 それは見覚えのある光景だった。グレーの軍服に率いられ、押し寄せるようにつき進む武装した兵の集団。百か二百か、一目では見分けられないほどの(そろ)いの兵装をした男達が、来客達を左右に割って迫ってきていた。

 見覚えのある光景、戦場にて見慣れた光景。ただ違うのは、やつらの矛先が魔物達ではなく、おれを向いていることだった。

 接近から瞬く間に展開し、おれを取り囲んでいくミーレクッド軍。先陣を切って率いてきた大将格の軍人が、背中を向けたままのおれへと口火を切る。


「勇者よ! 乱心を止め大人しく―― うっ……」


 軍人の顔に恐れを見る。血にまみれたおれ自身なのか、血にまみれたおれの立つ一画なのか、何に恐れたのかはわからない。ただ、にたりと笑うおれの顔から、目が離せなくなっているのはたしかだった。

 おれはそいつを鼻で笑ってやると、足元に転がるハリーゼルの襟首を片手に握る。物陰からずるずるとヒトを引きずる音をなびかせながら、衆目に(さら)されていくおれの体。遠目に見る兵や来客達が、戦慄に体を強ばらせていくのがわかった。


「部隊長……! 攻撃指示を!」


 ゆっくりと迫るおれの様子に、固まってしまっていた軍人の背後から別の軍人が指示を迫った。そいつとおれの間で、部隊長と呼ばれた軍人の顔が行ったり来たりと迷いを見せる。


「い、いかん……! 統括将へと当たる……!」


 その(うめ)くような声におれは足を止め、無数に居並ぶザコ連中を見回した。


 先頭四十から五十で展開する弩弓(どきゅう)と大盾の一群。片膝に屈んだそいつらの背後、定かでは無い数の法兵と弓兵。見上げた対面の上階―― 二階席には、魔方陣の描かれた幕を広げ、大きな杖を構える法兵達の姿があった。


「……なるほど、どうあってもおれを殺したいわけか」


 大人しくしろとはよく言いかけたものだ。

 弓と魔法で、徹底的に射殺する構えがおれに向けられていた。来客や自分達への犠牲も覚悟した、執拗(しつよう)なまでの砲撃陣形。まるでおれを、大型の凶悪な魔物とでも言わんばかりの。

 一通り囲みを見回したおれは、部隊長へと目を向けて言ってやる。


「いいぜ、やってみろよ」

「……なに?」


 戸惑う部隊長、おれの記憶には無い顔だった。見るからにおっさんで、戦場をくぐり抜けてきた目つきと顔つき。一見して出来るやつには見えるが、今の状況で即断出来ない辺りは頭が足りていないらしい。


「何を尻込みしてやがる、囲みは完成してんだろうが。被害をここで終わらせたきゃ、とっとと総攻撃を指示しろ。口が利ければこいつだってそう言うさ」


 ちらと、おれは動かなくなっているハリーゼルへと目をやる。


「くっ…… 貴様…… 何を考えている……!」

「考えるも何も、チャンスをくれてやるって言ってるんだ。これだけの囲みで一斉掃射すれば、おれだって怪我の一つは受けるだろう。回復魔法はそれほど得意じゃない、腕の一本でも持っていければお前らの勝ちだ。おれには、大怪我をして助けてくれるような人間は誰一人いないからな……」

「ぬ……」

「やるなら早くしろ。おれはもう、疲れた」


 今度はおれとハリーゼルを交互に見、まだ迷いを見せる部隊長。

 やはり頭が足りていない。仕方なくおれはハリーゼルの襟を引き寄せ、後頭部に向けて拳を掲げた。


「さぁ、さっさとやれ。あんたが指示を出そうが出すまいが、こいつの未来は一緒だ」


 ごう、と、おれの拳に暗黒の魔力が燃え盛る。

 部隊長は――


「くっ……! やれ! 一斉掃射っ!」


 ためらいを振り切るように、その手をおれに向けて振り下ろした。



 合図から秒を待たず、弓が、光弾が、何百という数で広間を飛ぶ。

 おれという目標を目指して、おれの立つ空間を丸ごとさらうように、一面の波となって押し寄せる。

 何百という大人達の手から、たった一人の『勇者(ガキ)』に向かって――



 ――本当に、頭が足りていない。



 投げかけられる、馬鹿げた殺意の津波。

 口の端が、裂けんばかりに吊り上がるのを感じた――



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