29.赤黒い理念の交錯
誰一人近寄ることの出来ない、黒と赤の力の渦が巻く。
拳と拳の打ち合いに城が鳴動し、天井からは揺れたシャンデリアがちぎれて落ち、床の絨毯が燃え上がる。その炎すらも力の流れに吹かれ、一瞬にして消えていった。
おれよりいくらもデカく、それでいて老体だとは思えないスピードで猛攻をかけるハリーゼル。詰め将棋のような、まさに理詰めとも思える正確な攻撃の流れには、おれを遙かに凌駕する技の冴えがあった。
あの日、本気でやればこいつにも勝てる。そう思ったおれは相当にバカだったのだろう。
互いの一撃をかいくぐる攻防の中、おれは叫ぶ。
「てめぇ何キレてんだ!? キレんのはおれの方だろうがよ!」
「同胞の命を軽んじた貴様には、最早傾ける耳も無い!」
数え切れないまでに受けてきたこの男からの暴力。だからこそわかる。今の暴力には指導ではなく、多くの私怨が込められていた。
――『お前は民間人を救い、軍規に逸脱した重罪犯を処断した』
その暴力は、この世界にまだ『希望』を見ていた頃の記憶。
――『これは軍の名誉を守り、規範を高める功績であり、なんら罪ではない』
かつてこの赤い軍服から受けた、別人のような気高さを思い起こさせた。
だが――
「命を軽んじるだぁ? てめぇのどの口がそれをほざきやがる!」
――ふざけるな、てめぇはそんな男じゃない。
少なくともおれに命をどうこう、人の道をどうこう言える資格なんかは無い。
「わかってたんだぜハリーゼル! あいつらの中には魔王と戦ったあと、弱り切ったおれを始末するための連中が含まれてたろう! あんたが紛れ込ませたな!」
「……!」
「見抜けねぇとでも思ったか! ちゃんと調べはついてたんだよ!」
――きっかけは、それもあの日、バルコニーから見下ろしたあの黒い髪のガキだった。おれと似た見た目で、なぜか気になったあの少年兵。
ハリーゼル達を探り続けていたある日、おれは軍服を着たそいつを偶然に城の中で見かけた。それは本当に偶然で、どうでもよかったことでもある。だがそいつを見た瞬間に胸の奥、どこかから『影』という言葉が沸き上がった。
馬鹿馬鹿しい、非効率的だと思いながらもそいつを調べ始めたおれは、探していた答えに辿りつくことになった。
そのガキには―― 軍にいるはずなのに一切の情報が置かれていなかった。
「あのガキの取り巻きが全部吐いたんだ! 替え玉の件も、おれを抹殺する動きがあるのもな! 殺り時にあたりをつけるのは簡単だったぜ!」
今こうしてハリーゼルと殴り合い、その力を知ればこそ本当に納得出来る。ハリーゼルは的確に魔王の実力を見抜いていたのだろう。その上でおれに『経験値』を与え続け、魔王と互角の戦いが出来るまでに力をつけさせた。
おれと魔王がぶつかりあい、決着がどうであろうと直後どちらも始末出来るように。従えておくには危険な『勇者』を、予め用意しておいた『替え玉』へと速やかに交換出来るように。
事実おれは魔王を倒したあと、密かに確保しておいた稀少な魔力回復薬を持ち込んでいてさえ、なお数時間と眠り続けた。もしそこを誰かに狙われたとすれば、子供にさえ殺されたことだろう。
そして―― それを失敗したからこそ、次は薬か毒、そんな手段に打って出るだろうことをおれは見抜いていた。
「だからもろともに、全滅させたと言うのか!」
「させられたくなきゃわかりやすい恰好で入れとけ! あんたを殺しますって看板でも背負わせてな!」
奴の怒りに対し、おれは怒りの拳を振るう。暗い紫の炎を吐くおれの拳をかわし、ハリーゼルが後方に跳躍した。
「貴様一人の命可愛さに、三千の同胞を皆殺しにしたと言うのか!」
宙に浮いたハリーゼルの両掌から、巨大な火球が放たれる。
おれは火球に向け――
「……ったりめぇだろうがぁぁっ!」
真っ直ぐに床を蹴り、真っ正面から右の拳を突き出した。
――体ごと火球を突き破り、そのままにハリーゼルを空中に捉える。
迫ったおれの拳をハリーゼルが撥ね除け、そこから再び宙に浮いたままの乱打戦となる。
「見ず知らずのクソみてぇな世界のために死んでやる理由はねぇ! ムカツクだけの連中のためにもだ!」
「それが力を持つ者の言うことか! 大勢を救うに選ばれた者の言うことか!」
「救って欲しけりゃ救うに値してみろやボケがぁ!」
ハリーゼルが放った左の拳。その伸びきった腕の袖を左手で掴んで引き、がら空きになった胴に右足を叩き込む。
床へと落下していく奴へと、おれは暗黒の光弾を放った。
「ちぃっ……!」
落下から体勢を立て直した奴へと迫る、紫色の魔力塊。
ハリーゼルはそれを見据え――
「『勇者』ならば、人々の贄となれぃっ!」
両掌から業炎―― 黒く燃え盛る龍の顎を放った。
一息に呑まれるおれの魔力塊。迫り来る赤黒い龍。
おれを丸呑みにし、そのまま城を突き破りそうなそれを、
「勝手ぬかしてんじゃねぇっ!」
――おれは真上へと、蹴り上げた。
バリバリと天井を食い破り、城を昇って行くハリーゼルの魔法。
広間へと巨大な瓦礫が降り、悲鳴と轟音が鳴る。
「くっ……!」
ハリーゼルが天井へと手をかざし、魔法を解きにかかる。
――もらった……!
おれはその一瞬の隙を突き、床から奴へと走り込み、
「死ねぇっ!」
ハリーゼルの心臓を目がけて、必殺の拳を――
――ハリーゼルの体が、消えた。
首筋に、悪寒―― ちりちりと、あの日と同じ感覚に見舞われる。
「――甘ぇっ!」
「……!?」
見切っていた。
ここをつけば本気を出すと、おれは見切っていた。
背後に回ったハリーゼルの拳が、おれの後頭部に降る。
振り返ったおれはその胸板に向けて―― 本気の拳を叩きこんだ。
広間を吹き飛び、おれがもたれていた柱のあたりへと飛んでいくハリーゼル。
「……おれの、勝ちだ」
長かった因縁の相手。
おれはようやくと、ハリーゼルの呪縛から逃れた気がした――




