7.バイバイチェックアウト
伊達は一人、洞窟の前に立っていた。
懐炉にしてきた水筒を取り出し栓を開けると一口あおった。喉の奥を熱いものが通り過ぎた後、胃の腑が焼けるような心地よさを味わう。
栓はそのままに、ジャケットのポケットから、これまでタスト達には見せなかった金の襟がデザインされた小さな箱を取り出し、中身を抜いて咥え、火を点ける。
吐き出される息とともに夜の闇に紫煙が揺らめき、口に残った熱い液体の酸味が煙の香りを甘く、引き立てる。
「最高だな…… この世界に来てよかった」
伊達は二、三服と紫煙をくゆらせるとまた一口と水筒をあおり、栓を閉めた。
そして最後に一服し、大きく煙を吐き出すと指先に挟んだそれは燃え上がり、灰となって海風に流されていった。
伊達は洞窟に向かって歩きだした。
中に入るなり、彼らは盛大に伊達を出迎えてくれた。入り口から奥までところかまわず、上下左右を選ばず、天井から物陰から、床に開いた海に繋がる水面から、彼の進行を全力で阻止せんと襲い掛かってきた。
伊達は一匹一匹、落ち着いた様子で丹念に始末していく。顔面を殴り腹を蹴り、時には手から炎を発してこの世界には存在しえない生き物を沈黙させていった。
彼はとにかく、現れたものは殺した。迫ろうが逃げようが関係無く、決して逃がすことなく命を絶っていった。
別に好きでやっているわけではない、彼にとっては最善の選択をとっているだけ。相手の生態がわからず、「全て殲滅しなければならない」という条件だった場合の手間を減らしているだけだった。
「めんどいな、今日中となると結構しんどいか」
正直なところ目の前に現れる魚達はまったく怖くなかった。彼が今恐れている事態は――
「何万といるとかやめろよ? 今更あの別荘に戻るのとか最高にかっこ悪いからな?」
数が多すぎて今日中に終わらず、出直しになることだけだった。
だが、彼の心配は杞憂だった。昨日の惨劇の場所を通り過ぎた先、その場所には彼の求めるものが存在してくれていた。
洞窟の行き止まり、見渡す限りの海面が広がる広間があった。天井は開き、空へと繋がっており、月の光が差し込んでいる。そして月の光と海面の間に、それはあった。
人の手の平ほどの大きさの六角形、磨かれたアメジストのような紫色の石がそこに浮いている。伊達は膝まで海に入り、その石を確認した。
「こいつか…… 見たところ、魔石だな…… これだけ立派なやつなら、魑魅魍魎も寄ってくるだろう。ということはここの魔物はもとはただの生物ってわけだな」
伊達の知る限りの知識の中に『魔石』と呼ばれるものがあった。それは人が作ったり、自然に生まれたりと存在の工程までは判別出来ない。
ただ、共通することは一つ。強力な魔力を有している鉱物であるということだ。
それが時にこうして悪さをする。伊達が現れる理由となるほどに。
「魔力のない世界だ。どっかから迷いこんだか、何万年かけて偶然出来たかのどっちかかねぇ……」
伊達は魔石を掴み取り、呪文を唱える。石は大きくその色の通りの発光を強め、光を伊達の腕の中へと侵入させていく。やがて石は色を失い、白色となって砕け散った。
「ふむ、結構な腹の足しになったな…… 体内の魔力は貴重だ。助かるぜ」
言いながら伸びをし、腕を戻すとダテはあらぬ方向、上方に目を向ける。
ここに来てから今までで、一番に強く鋭い視線で。
「まだ親玉を倒さなきゃならねぇからな」
――伊達の視線の先、天井から巨大な生物が強襲した。
伊達は海面から陸地へと凄まじい速さで跳躍し、巨大生物の着地を交わす。
着地は暴力的に海面を打ち、地響きとともに盛大な水しぶきをあげた。
それはイカだった。
長い足を含めれば優に三十メートルになろうという巨大なイカ。足は十四本になり、うちの外側二本の先端は金属の光沢を持つスピアと化し、頭部からは禍々しい黒くねじれた角を持っていた。
魔石により更に巨大に、凶悪に変貌を遂げた魔物化したダイオウイカの成れの果てだった。
「おいおい、このデカさはまずいんじゃねぇの?」
伊達は半笑いでイカの化け物を見ていた。
イカは外側に付いた二つの目で伊達を捉え、二本のスピアを勢いよく伊達に伸ばした――
咄嗟に体を捻り射線から逃れる。二本の触手はそのままの勢いで射線上にあった伊達の後方の岩に当たり、岩はまるで砂の城のように木っ端微塵になった。伊達は岩のつぶてをかわす意を含んで伸びきった触手の間をイカ目掛けて走り出す、イカは更に六本の足を縦横無尽に動かし、つっこんでくる伊達を潰そうとした。それを次々とかわし、陸と海面の切れ端に到達した伊達はイカの顔面めがけて猛然と跳躍した。
「くたばれ!」
伊達は拳に炎を宿らせ、拳を前に空中をスライドしていく。
だがイカはこれに対し、体を後方へ倒し、口から絞りきったレーザーのような黒い水しぶきを噴射した。
伊達はその威力を推し量り、緊急回避を試みる。舌打ち一回、技を中止し、なんと伊達は空中にて上方へ回避した。
しかし――
「ぐっ……!?」
一番最初に回避した二本のスピア付き触手が真横から伊達を襲い、長いそれが彼をぐるぐると縛りあげた。
「ちっ、ぬかった……!」
充分な長さを持つそれは先端のスピア部分に可動の余裕を持たし、捕縛した伊達の頭部に向けていた。イカは一切の容赦をせず、スピアを伊達めがけて突き下ろした。
「なめんな!!」
伊達は気合一閃、縛られた状態のままで体を捻り、イカの巨躯を振り回した。
彼の唸り声とともにイカは捕縛している相手を軸に空中で横回転に振り回され、そのまま轟音をあげて岩壁に叩きつけられた。
触手がゆるみ、離れると同時に伊達の手刀が唸り、風の刃をまとった刀がスピアの片方の根元を勢いよく断つ。イカが高周波のような悲鳴をあげ、スピアは中空を縦回転ですっとんでいき、硬質な音とともに岩盤に付き立ち、自重によって倒れた。
伊達は再度触手に捕まることを恐れて仕切りなおしとばかりに後方の陸地へと飛び去り、着地を決めた。
だが、動物に相手が仕切りなおしならば、こちらものような空気を読んだ行動はあまり期待出来ない、その大量の足で手早く体勢を立て直したイカは、伊達が対策を練る前に、最も恐れていた手段で彼に迫った。
出せる限りの触手での捕縛攻撃である――
他に比べて長いとはいえスピアの触手は二本、そして有難いことにこの二本には「吸盤」がついていなかった。二本で締められたなら抜けられた、だがそれ以上の重量に一斉に捕まるとなるとたやすく抜けられる自信はない。加えて十二本の触手に備えられた「吸盤」がどれだけの圧力を持っているかはわからない。この攻撃に捕まってしまえばアウト、そういう状況だった。
唸りをあげて地響きとともにせまる大量の触手、伊達はジャケットの右腕をまくり上げ、叫んだ。
「十本そこらでいきがんなぁっ!!」
突如、露わになった伊達の右腕が裂けた――
常人が見れば卒倒しかねないようなジャバラに裂けたそれは、細く、白銀色に変色し、みるみる姿を変えて四十を超えるだろう刃のついた『触手』となった。
伊達は振りかぶって投げるようなモーションを見せると右腕を前方に投げる、彼の『触手』は数十メートルの距離を伸び、ふかぶかとイカの触手に何十本と突き刺さった。
「せぇいっ!」
伊達がそこから体を捻ると触手についた刃がイカの足を傷つけ、三本の足が海に岩にと落ちた。
「どうだぁっ!」
伊達が左手を握りしめながら咆哮する。
イカは一瞬怯んだようにみえたが、突然、全身で伊達につっこんできた。
「へっ、玉砕したいならさせてやるぜ」
イカが迫るスピードの何倍という速さで伊達の触手は戻り、もとの右腕に戻る。伊達はしゃがみ込み、怪魚達に仕掛けた時と同じ要領で意識を後ろに引いた。
怪魚達に決めた必殺技、それ以上のものを見舞うつもりのようだった。
だが――
伊達は目を見開いた。
イカは唐突に、陸地まで来て止まり、足全部を使って「直立」した。
わけもわからず見ていた伊達だったが、答えは一瞬先ですぐに明らかになった。
「おまえ…… まさか……」
イカはなんと、しゃがんだ。
「しまった……!」
思った時にはもう遅かった。イカはその体勢から伊達がぐらつくほどに地面を蹴るとそのまままっすぐに天井にすっとんでいった。そして空洞になっている部分から、夜空へ消えていく。
「やべぇ! 早く始末しないと騒ぎに……!」
急ぎ伊達も脱出する。脱出経路はもちろん、上空だ。
~~
伊達は今出せるあらん限りの力で上空へと飛んだ。
恐ろしい脚力で飛んだイカだったが、数本の足を失い自重もあるせいか伊達はなんとか追いついた。
イカを飛び越え、伊達はバロア島の遥か上空から逃げたイカを全力で上段から蹴り落とした。
かくして海岸に、伊達は魔物を追い詰める。
この巨体で途方も無い高さから落とされたせいか、イカは相当に弱っているようだった。
「めんどくせぇ真似しやがって…… 人に見られちまったらどうするつもりだ!」
と、冗談めかして辺りを見回した伊達の目に、とんでもないものが飛び込んだ。
「タ、タスト……!?」
海岸に、タストが来ている。
「なんでここに…… うおっ!?」
間一髪、伸ばしてきていたイカの攻撃をかわす。
そして、かなり遠目なのだが、やはりイカが巨大過ぎるのか、タストがこちらに気づいた。
「兄ちゃん! 何やってんの!?」
「お、おう……! 自然な反応ありがとよ!」
「そ、それなに!?」
「何っておまえ……! モンスターに決まってんだろが!」
そうこうしている間もイカは触手にスピアに、攻撃を加えてくる。
タストはあまりの事態に戸惑い、呆然と立ち止まっている。あれではこちらに来ることはなくとも逃げ出すことも出来そうにない。
「ちっ! しゃあねぇ!」
ダテの左手が黄色い光を放ち、振り下ろされたスピアを片腕一本で受け止める。
そしてもう片方の手で。
「動くなよタスト!」
タストの周りに光が集まり、彼を囲む光の箱が生まれた。
それは『魔法』のシールドだった。
「な、なにこれ……」
「絶対に出るな! じっとしてろよ!」
ダテは腹の底から叫ぶと、スピアを押しのける。
「ざってぇからもう終わりにしてやる!」
ダテの体内から魔力が吹き上がり、『魔法』の力が彼を包んだ。
ただならぬ気配を感じたのか、イカはこれまでとは違い、明らかに死力を振り絞った攻撃を繰り出してきた。一声唸ると失われた四本の触手も再生し、全てが迂遠にして策略的な捕縛ではなく、屠殺するための打撃や刺突だった。
だが今までとは違い、魔法による身体強化を全身に巡らせたダテにとって、最早目の前のイカなどは敵ではない。
ダテはかわす素振りも見せず、右手を前にかざした。
イカの攻撃は、それだけで無力化される。
ダテの前に光の壁が在り、途方も無い質量を持った攻撃が全て遮られていた。
全力の攻撃が弾かれバランスを崩したイカに向けて、ダテの手から稲妻が走る。
耳をつんざく破裂音がイカの足を砕き、スピアを破裂させた。
「まったく、ついてねぇなぁ……」
普段「仕事中に」それほど出し惜しみしている力ではない。ただ、この世界とは相性が悪い。使用のためには貴重な、自らの蓄えを消費する必要がある。正直な所、ダテ個人としてはこのイカとの戦いは先ほど見せた腕を変化させる手段だけで終わらせたいところだったし、もう今の状態のイカを相手にならばそれで苦労も無いと踏んでいた。
だが、それはできなかった。
タストだ。
あの変化は正直気持ち悪いとしか言い様がない。
ダテはタストの前であれを見せて、怖がられるのが嫌だった。
「あいつの前でくらいは、せめてヒーローでありたいよな……」
わけもわからず光の箱の中にいるタストに、ダテはやんわりと微笑んだ。
「おっしゃ! じゃあ行くぜ!!」
ダテはイカに向き直り、自らの体に魔力をみなぎらせた。
~~
それからはほとんど一方的だった。
攻撃が届かないイカにはそもそも勝ち目が無く、ダテが唯一驚き、身をかわす必要に迫られたのは頭から生えていた角、ねじれた角から放たれた高威力の雷魔法だけだった。
ただ、体力だけは異常に高く、力をセーブしていたダテはいたずらに魔力を失うはめになった。
結局の所、今回洞窟で手に入れた魔石から得た魔力、それが全部パァになってしまった。最も、タストが見ていたこともあり随分と小奇麗な魔法を飛び交わせたせいでもあったが。
「はぁ…… 終わったか……」
魔石が失われ時間が経ったせいなのか、力を使い果たしたのか、イカはダイオウイカどころかただのイカになっていた。魔力のカケラすら感じないその生き物を、ダテは掴んで海へと放り投げた。
放物線を描きポチャリと海に落ちるそれを見ながら、全て終わったとダテは嘆息した。
魔力の直接の供給源と、『親玉』として選ばれた多大な魔力を発する一匹の消失、それは彼が知る魔力漏れによる周囲への影響を終わらせるための必須条件だった。
「兄ちゃん……!」
もう大丈夫と見たのか、タストが駆け寄ってくる。
「よう、タスト…… なんだってこんな時間に外に出たんだ?」
「だって…… こないだからちょくちょく兄ちゃんが出て行くの見てたし…… 昨日はアーニリアも出て行ってたから気になって……」
「お前にまで見られてたのかよ…… こりゃプロとして色々考えんといかんなぁ」
アーニリアに続き、気づかぬ尾行二人目である。
最近は魔法で気配を隠すことにばかり頼っていたせいかもしれないなと、ダテは自らの勘の鈍り具合に少し呆れた。
「それより大丈夫なの……?」
大声での会話は届いていたが、戦場とタストまでの距離は結構なものがあった。彼からすればイカの触手の何発かはダテに直撃しているように見えただろう。実際、角から放たれた雷に関しては若干肩口辺りをかすめていた。
「ああ、大丈夫…… 俺の体はかなり頑丈だからな……」
見た目に、ダテの体で傷ついているところは無い。服すらも破れていない。
「さっきのモンスター、あと手から光とか…… ああもう! 何から聞いていいのかわかんない!」
タストは体全体を振りながら頭に手を当てて唸った。どうやら彼の中では巨大なモンスターに対する恐怖よりも、すごいものを見たという興奮の方が勝っているらしい。
「ええっと…… うん、聞くな、それ多分夢だ、忘れろ」
「無茶言わないでよ!」
「仕方ねぇな……」
ダテは目を閉じ、何か呪文のようなものを唱えだした。彼の体からうっすらと、紫色の光が漏れだす。そして彼はこういう時の習いのように、タストの頭に右の手を――
ダテはそこで、踏みとどまった。
「なぁ、タスト。お前兄ちゃんに誓えるか?」
「誓う? な、何を……?」
「今日見たことは、誰にも言わない…… 死ぬまで秘密で、墓に持っていく」
「誰にも…… どうして?」
どうしてと聞かれると、どうしてなのかは彼にもよくわからない。ただ、俺は面倒なことをしているなと頭の隅に思うだけだった。
「兄ちゃんが困る。というか、どうせ誰も信じないし、お前が変なやつだって思われたら兄ちゃんもアーニリアも悲しいからだ」
「信じないも何も…… 兄ちゃんがさっきすごかったのは事実じゃない」
正しいことを言ってさえいれば誰に変に思われたって全くかまわない。そう思っていた頃は―― 俺にはあったかなと、ダテには思い出せなかった。
「言ってわからないならこの話は終わり、お前ともここでさよならだ」
「えっ……! あ、誓う! 誓うよ!」
「本当だな?」
「あ、う、うん! 誓う!」
このまま食い下がられても、説得できる気はしないし、時間も無い。仕方無しに、ダテは陰険な大人の強攻策でタストを引き下がらせることにした。
あっさりのってくれた少年に、口の端を釣りあがらせ、冗談めかして言う。
「よし…… なら、話してやろう…… 兄ちゃんは、実は忍者だ」
「ニン…… ジャ……?」
「色んな術が出来て戦いもとても強い、すっごい本物のスパイだ」
「スパイ!? 兄ちゃんスパイなの!?」
タストは飛び上がって驚いた。
実は今から『スパイ』について説明しようと思っていたダテもちょっと驚いた。諜報員なんて日陰者がヒーローになっているお話はこの世界にもあるのだろうか? などと少し思った。
「そ、そうだ、でもお前の父さんの敵じゃない。俺は俺の国から仕事をもらって、この島のお化けを退治しにきたんだ」
「すげー! マジで!?」
タストは目をキラキラさせていた。
馬鹿みたいな話だが、疑っている様子は無い。目の前で大立ち回りをやって「お化け」を退治したことは間違いなく事実だったからだろう。
「おおマジだ。でもな、タスト…… それは人に見つかったらダメなんだ。スパイだからな、力があるから人から狙われてしまうんだ。お前が人に言うと俺の命がヤバイ」
口からでまかせを、少年のために並べていく。
そしてそのでまかせの言葉には、少年の共感を得る所があった。
「……僕と、おんなじだね。僕はお父様のことをあまりまわりに言うなって言われる。危ないからって……」
「……だからお前に、黙ってて欲しい」
「うん…… わかった」
タストの返事を聞き、ダテは笑顔を浮かべ右手で頭を撫でた。その手にはもちろん、魔法の光は無い。
そして手を離し、方膝をついてしゃがみこむと、真剣な表情でタストの目をじっと見つめ、切り出した。
「それと、謝らなきゃならないことがある」
「……何?」
「お前が誓ってくれても、お前とはここでお別れだ」
「えっ……!? なんで……」
タストの表情からさっと笑みが消えた。ダテは決して逃がさないように、タストの目を見つめ続ける。
「嫌か?」
「嫌だよ…… せっかく、お父様に紹介しようって…… 初めて出来た友達だって……」
少年の顔がゆがんでいく。
「……ありがとう、ごめん」
「なんで……?」
問う少年の声には涙が混じっていた。
ダテは自らの目線に、逃がすな、逃げるな、と言い聞かせた。
「お前の父さんとおんなじだ……」
「お父様と?」
「父さんは国で偉い人…… 国のために国のみんなのために働いてるんだろ? そのために、お前にかまってやれない。兄ちゃんも、次に困ってる人がいるからお前とずっと一緒にはいられないんだ」
「……わからないよ」
「わからなくても、わかってくれ。いや、わかってやってくれ、父さんのために」
ダテは会うことも無い、少年の父を想う。
同じようなものとして言ったが、決して自分と同じではないだろう。抱えているものも、理念も、並べて比べられるものは、同一視できるものはほとんど無いだろう。
だが、同じだと断言できる部分はあった。
「お父様の…… ため?」
「ああ、誰も好き好んでお前を一人になんかしない、どうしても助けなければならない人がいる。自分じゃなければ助けられない…… だから、お前を置いてでも戦ってるんだ」
お互いに、やるべきことのために色々な大事なものを置き去りにしてきている。
「でも、僕は…… 僕も困ってるよ……」
タストは捕らえていたダテの目から逃れ、地面を見つめた。
それはダテが初めて聞く、救いを求めるような真にせまった弱気な声だった。
ダテと出会い、少年が知った寂しいという感情の吐露――
ダテはタストの両の手を祈るように握り、顔を自分に向けさせながら言った。
「わかっている…… だけど、まだ堪えろ。本当の本当に困ったときは…… きっと助けにきてくれるはずだ。助けがこないうちは、まだお前一人で戦えるってことだ」
その目は再び、強く少年の目を捕縛する。
「一人で……」
「お前は強いさ、見ず知らずだった俺を助けようとしてくれたろ? 人を助けられるやつってのは強くなっていける才能があるんだ」
ダテは手に力を込め、力強く、笑顔を見せて言った。
「人を助けられるくらいの優しさはそいつを強くする。お前の国で、お前の国の人を助けまくっているお前の父さんは強いだろう? お前はこんなに強い俺を助けたんだ。だったら、もう強い。強くなっていけるはずだ」
その力強さに、押されるようにしながら。そして、押し返すように。
「……うん、僕は強い…… 強くなるよ」
少年は答えた。涙も拭わず、ダテの笑顔を真似するようにニッと笑った。
ダテは立ち上がり、海の方を見ながら言う。
視線の先には月、雲一つない星空に、煌々と輝く真白い円があった。
「でも、まだそこまでじゃないからな、アーニリアとだけは、俺のことは秘密にしないでいい。ゆっくり、強くなっていけ、父さんが喜ぶくらいにな」
月の光に照らされ強い笑顔を見せるダテを、少年はいつもより遥かに大きく感じた。
タストは生まれて初めて、大人をかっこいいと思った。
友達で、自分より少し上の兄ちゃんだと思っていたはずの彼を、大人だと思った。
――唐突に、海岸に光の柱が降りる。
ダテがそれに振り向き、つられてタストもそれを見る。
二人が見守る中、光は姿を形成し、人ほどの大きさの長方形になっていく。
「ん…… お迎えだ」
「あれは……?」
「何日かしたら迎えが来るって言ったろ? ちゃんと来たってことさ」
お迎えは光を放つ扉として完成されようとしていた。
ダテは懐から水筒を取り出すと、「返しておいてくれ」と小さく言ってタストによこした。
「……帰るんだね」
言われずとも、タストにはわかっていた。
そこにある扉、どうして扉とわかるのかもわからない不思議な光の長方形は、どこか知らない場所、決してタスト達には入ることのかなわぬ場所への扉なのだと。
「ああ、そして…… 次もまたお前達みたいなやつの所にぱっと現れて、また帰るのさ」
ダテはニッと、タストに向かって笑顔を送った。
その笑顔にタストは「お前もがんばれよ」と言われたような気がしていた。
「兄ちゃんはほんとは…… なんなの?」
その言葉にダテは「ん?」と不思議そうな顔をした。
引き止めることは叶わない、知ってどうすることでもない。
ただ、純粋な興味で聞いた。
ダテは目を伏せ、ふっと緩やかに微笑むとタストに背を向けて、扉に向かって歩きながら言った。
「さぁな…… 世の中は大人になってもわからないことだらけ…… 俺にもわからないことはあるさ」
口調は優しいものだった、もう表情はわからない。だが――
「兄ちゃん!」
ダテは振り返らない。
「兄ちゃん……!」
なぜだろう、その背中に――
「いつか…… わかるといいね!」
そう言わずに、いられなかった。
ダテは立ち止まり。
「……ありがとよ」
そう言って扉とともにいなくなった。
満天の星空と月明かりの照らす海岸には、潮騒の音と、少し長く伸びた少年の影が残っていた。
~~
タストは勉強机に腰掛け、広げたノートにひたすらにペンを走らせていた。時に唸り、時に間違えたと声をあげ、最初から読み返したり、消しゴムをかけたり、そんなことを繰り返す。
やがて、また何度目になるのか最初から読み返し、最後まで読み終わると、ようやくノートを閉じて一息ついた。
「これで、よし…… と」
「タスト様」
「うわっ、と……!」
いつからいたのか、彼の背後にはアーニリアが立っている。別に悪いことをしていたわけではないのだが、妙な恥ずかしさから背中に冷や汗が出たような感覚を覚える。
「何をやってるのです?」
タストはとっさに、アーニリアが触れないでくれそうな答えを出そうとした。
「え、えっと…… 日記?」
「私に聞かれましても…… 日記をつけ始めたのですか?」
「えっと……」
だが、考えてみれば隠すようなことでもない。少しだけ恥ずかしい気もするが、アーニリアだって喜んでくれるし、わかってくれると思う。
タストはそう思って思い切って白状することにした。
「い、いや違うんだ…… なんていうかな…… これ!」
多少強引に、タストは手に持っていたノートを彼女に預けた。
受け取ったアーニリアは少し驚いた。それは前に自分がプレゼントし、装丁の格好よさに感激したタストが大事なことに使うと約束してしまいこんだ皮表紙の高級なノートだった。
「これは……」
中身を開いたアーニリアは思わず声をあげた。
最初に日付があり、その下の文章の羅列には見知った出来事が、大切な出来事が並ぶ。
その中に、その文字はもちろんある。
――『ダテ』。
「兄ちゃんと一緒にいた時のこと…… 忘れないうちに書いとこうかなって……」
「……そうですか。っと、いけません」
気づけば、その文字に触れ、佇んでいた。自らの役目を忘れるほどに。
彼女はノートをタストに返し、慌てた様子で彼を急かした。
「タスト様! 旦那様がお帰りです! お早く用意を!」
「えっ!? もうそんな時間……!」
言って、タストはノートを机に放り、ぱたぱたと部屋を出て行く。
アーニリアはノートを再び開き、中を確認する。
彼女は目を閉じ、しばし想い、そのノートを彼の机に戻した。
~~
西日差し込む六畳間、男は携帯電話の着信にバッと立ち上がり、焦った手つきでテレビの前にすっとんで電源を消し、電話に出た。
「はい! 伊達です…… え、はい、はい…… は? これから、夜勤ですか……? は、はぁ…… 朝の十時まで…… 今もう夕方なんですけど…… わ、わかりました、いえ、まだ若いし大丈夫です! では! また終了後に! ふぅ……」
携帯を閉じる。
「じゃ、行きますか……!」
男は畳の上、放り出されたままのカーキ色のジャケットに手をのばした。
ここまで時間を割き、お読み頂いて有難うございました。
『#2』はこれにて終了です。いかがでしたでしょうか?
お目汚しに過ぎなければ申し訳有りません、研鑽を重ねます。
お楽しみ頂けたのでしたら幸いです、精進を重ねます。
お時間のある方は、もう少しだけ伊達良一に付き合ってあげてください。




