22.赤黒い昂ぶり
暗い紫色の魔力がゆらゆらと揺れる空の下、おれはやつと向き合う。壁も天井もすでに瓦礫となり、禍々しくも絢爛だったやつの根城は、半ば空の台地になっていた。
「勇者よ…… お前は何を目的にこの戦いに臨む」
やつ―― 強風に銀の髪を揺らす、魔王が聞いた。
「あぁ?」
おれは構えていた剣を下げ、首を傾げた。
戦いの最中に何を聞いているのか、何を思ったのか、考えがわからなかった。
「……質問を変えよう。『勇者』とは、なんだと思う?」
ひびが入り、胸元から左肩まで大きく砕け散ってしまっている黒い軽装鎧。裂けたローブに包まれた左腕からは、瓦礫の床へと赤い血が垂れる。数十分に亘る戦いを越えて、魔王はボロボロになっていた。
その様子は、おれと大差無い。
「くだらねぇことを聞くな、今更命乞いか?」
おれは全身から、空の色のような魔力を滾らせてやつを威圧した。
命乞い、時間稼ぎ。そんなつもりで無いことはわかっている。
おれが倒すべきとされている魔王は、間違い無くこれまでで最強の相手だった。魔王の配下には、ゲームでいうところの中ボスのような、幹部とも言える連中がいくらかいたが、そんな連中は全く話にならない。
こいつ一人が明らかに別格。他は全て、こいつに比べれば城で生み出せる弱い魔物と一緒くたに出来る、三下も三下の三下連中に過ぎなかった。それくらいに、魔王の力は飛び抜けたものだった。
そいつは今、戦いの手を止め、おれに質問を投げかけている。
真剣でいて、物静かな表情で――
「さっさと終わらせようぜ! このつまらねぇ茶番をよぉ!」
それがおれにはムカついた。
哀れみ、虚しさ―― どこかおれを、可哀相に見る大人のような表情が、ムカついた。
「……そうだな、そうしよう」
そう言って、おれに応えるように魔力を滾らせる魔王。
その魔力の色が、おれよりも色鮮やかな紫であることに、ムカついた。
魔王の両の手が、何かを抱え上げるように肩の辺りまで上げられる。
「勇者よ、これで幕だ……」
魔王から瞬間的に吹き荒れる強大な魔力――
波動に体が圧され、崩れかけた魔王城が大気の振動に悲鳴を上げる。
「……!?」
咄嗟に顔を庇った両腕の間から見る魔王の手には、二つの球が掲げられていた。
左手には、白く光り輝く魔力塊。右手には、黒一色、それのみの魔力塊。魔王は両手のそれを一つに合わせ、上半分を白、下半分を黒という、奇妙な球にした。
――なんだ……? あれは……
直感が、警鐘を叩く――
球を右手に持ち、魔王がそれを空へと撃ち上げる。弾丸のように飛び去った魔力塊は雲を割り、空が明滅する。
見上げた空からは、白と黒、八本の巨大な『剣』がおれへと迫る――
「くあっ……!?」
まさに一瞬。
途方も無い速さで降り注いだ剣は、身をかわす間も無く落下し――
「……なに!?」
おれをぐるりと取り囲むように、均等に並び立った。
八本の剣はそれぞれの切っ先同士を魔力の線で結び、おれを中心とした魔方陣を作り上げる。
「眠れ……!」
横に薙がれた魔王の右腕から、巨大な光刃がおれへと迫った――
三週間―― あの日から、三週間が経った。
「これは勇者殿……! お戻りですか!?」
三日ぶりに帰ったミーレクッド城の前、門番が言った。
「見りゃわかんだろ、とっとと開けろ」
「は、はい! ただいま!」
ゴゴッと音を立て、巨大な防壁の門が開かれていく。
ちんたらと時間をかけ、ゆっくりと動いていく機械仕掛けの門。ブチ壊すわけにもいかず、おれは暇に任せて門番へと尋ねた。
「ハリーゼルは? 今は執務室か?」
「い、いえ…… 私には、わかりかねます……」
そうだろうなと、おれは舌打ちをした。もとより下っ端だ、知るわけも無い。
おれが通れる分だけの開きを待ち、門の向こうを見つめる。その開かれていく隙間に、見知った姿が現れてきた。
「おかえり」
蒼い髪をした長身の男、こいつとも三日ぶりだ。
「早いな、まさか待ってたのか?」
「いや、そろそろだとは思ってたけど、たまたまだよ。首尾の方は?」
門番同様に「見りゃわかんだろ」と言ってやりたくもなったが、その代わりにおれは腰に差していたものを投げてよこした。
キラキラと輝くそいつを裏表返しつつ、興味深そうにパドレは言う。
「へぇ…… 本当にあったんだね。ちょっとびっくりだよ」
「ああ、おれもだ」
おれは中途半端に苦笑を返し、城の中へと足を踏み入れた。
「うむ…… これがか」
ミーレクッド城、軍統括将ハリーゼルの執務室。相変わらずなここで、そいつを受け取ったハリーゼルの反応は、さっきのパドレと似たようなものだった。
机の上に置かれたそいつへと、パドレが指を差す。
「統括将、この鞘の部分をご覧下さい」
差された部分には、文字があった。書かれているのではなく、浮かし彫りになっている。
「この文字は世界各地、太古の時代よりの神殿に残る、神の文字と言われるものです」
日本語でもアルファベットでもない文字。おれにはこの国で使われているものと、何が違うのかはよくわからなかった。
パドレの言葉に、ハリーゼルは頷く。
「なるほど…… ではまがい物ではなく、まさしく『聖剣』ということか」
「ええ、以前の勇者が所持し、今は失われたというそのものの伝承に特徴が一致します」
ふん、とおれは鼻を鳴らす。
「なんだよ、おれを疑ってたのか? あんたが取って来いっていうから、あんなめんどくせぇ試練だとかいうのを乗り越えて、わざわざ取って来てやったってのによ」
三日前、ハリーゼルに呼び出されたおれは、この『聖剣』の確保を指示された。
このミーレクッドがある大陸より海を越えて西、スタストという国にある聖地と呼ばれる山。かつての勇者が『聖剣』を得たという地へと、単独での遠征を任されたのだ。
勇者師団のサポートも、現地での誰かとの合流も無し。妙には思ったが、行ってみて理由はすぐにわかった。
一つは、不毛な砂漠地帯であること。おれのように高速で空中を飛行出来る能力が必須で、そんなことが出来るやつは人にはまずいない。
そして、もう一つは――
「ダテ、試練の方はどうだったのだ?」
――この任務の目的が、『聖剣』だけになかったことだ。
「ああ? 見りゃわかんだろ? ご覧の通りだ、しっかり聖殿の装置っていうのかな、そういうのが作動して聖剣を授かることが出来たぜ」
まさにバカバカしい、ふざけたゲームかファンタジー映画のような、主人公への試練。まるでお約束とでも言いたげに、その試練は「一人用」だった。聖殿の入り口から中のつまらねぇ仕掛けまで、どう考えても一人用に作られた、そんなミニゲームばっかりだったのだ。
ハリーゼルもパドレも、試練については何も言っていなかった。いなかったが、過去の記録か何かで調べはついていたのだろう。あの場所は真の『勇者』となる者が、一から十までを一人で突破しなければならないという、そんな決まりがあるのだと。
そして、これも過去の記録にあったのだろう、その試練を越えた勇者が得られるものは、『聖剣』と――
「ダテよ、持ち帰ったものはこれだけかと聞いている」
ギロリという音が鳴るように、紫の目がおれを刺した。
おれは肩をすくめ、それに苦笑で返す。
「へっ、人が悪ぃな…… 残念だが、これだけだ」
「これだけ? それでは……」
パドレが目を見開いておれを見た。やっぱり知ってやがったかと、もう一つ苦笑する。
おれはハリーゼルに対し少しだけ姿勢を正し、改めて言う。
「ハリーゼル、『聖剣』はこの通りだが、『秘儀』の方は貰えなかった。任務は半分失敗だ」
――『秘儀』。
絶大な魔力を持つ魔王に対し、過去の勇者が用いたと言われる「神の御業」。試練の目的は『聖剣』と、強力無比なその力を得ることにあった。
「……なぜ得られなかった。その存在を知っているということは、何かあった様子だが」
見ているだけなのか睨んでいるのか、相変わらずよくわからないハリーゼル。
なるほどなと、おれは思う。『聖剣』だけを知らせていた理由は、こうしておれにカマをかけやすくして、任務にハッタリをかませないようにするためなんだろう。期待はしていないが、信用の無い。
「そりゃまぁ…… あんたの指導の賜ってやつかな」
「……どういう意味だ?」
「試練の精霊さん? 曰くは、おれは黒過ぎんだとよ。試練を越えたことで『聖剣』はくれてやれるが、『秘儀』の方は本人の体との相性があるから無理なんだとよ」
「うむ」と一声唸り、ハリーゼルがパドレと目配せする。
黒過ぎる、本当のことだ。今やおれの魔力は「暗黒」に大きく傾き、魔物とも見分けがつかない。
「なんだよ? ぶっ飛ばして吐かせといた方が良かったか?」
おれの軽口の横やりを無視し、ハリーゼル達は思案を始める。
かちかちと壁時計の音が耳につく、そんな沈黙が生まれた。
今の重い空気の理由はわかる――
この三週間、世界はまた劇的な変化を遂げた。
ハロースト、ギャリスを傘下に抑えたミーレクッドは、ハリーゼルの指揮のもと加速度的にその戦線を伸ばしていった。
窮地から一変、勝ちを重ねれば重ねるほどに人類の間に増していく希望。それは早々に思惑となり、勝ち馬に乗るべくと現れた辺境の国々をも巻き込んでの、大戦力を生み出した。
魔物を配下に、個に勝る魔王。ヒト達が絡み合い、数に勝る人類。この対比の中、今や人類総出の数の暴力は、たしかに戦況をひっくり返しつつある。
あとは、絶対的な個。
数の暴力では敵うことの無い、絶対的な個。
魔王軍の根城―― 魔王城までの道が開けた今、その絶対的な個である『魔王』を、もう一つの絶対的な個である『勇者』の力を以て、斬首する。戦いは今、その段階まで来ている。
最早成すべき決行は、ハリーゼルによる最後の旗振りのみ。
おれに対する『魔王斬首』の命令を残すのみ。
魔王に対し、必勝出来る。
その機会を見定めることが、ハリーゼル達にとって今一番の役目だった。
数分の沈黙の後、やがて二人は――
「統括将、『秘儀』を欠いたことは痛手ではありますが、一つ大きな魔法を失ったと同じこと。元より無いものと考え、戦略を練り直すのが妥当かと。幸いに、現状ダテは伝承にある勇者よりも強力であると思われます」
「……そうだな、このまま押し切る形でも、戦局は揺るがぬか」
『秘儀』を諦め、聖剣を手にした「おれ」での力押しを、選んだ――
――大爆発。
魔王が放った光刃に撃たれた魔方陣が、大爆発を引き起こす。だがおれを追い詰めたのは、その衝撃ではない。
「ぐっ…… おおぉおおおおっ……!?」
――力が、奪われていく……!
渦巻く白い閃光と、黒一色の爆風の奔流。それが中へと立たされたおれから、途方も無い速さで「魔力」を奪っていた。
――やばい……! 脱出を……!
あと数秒、ほんの数秒とこの吹き荒れる爆風の中にいれば、全ての魔力を奪いつくされるだろう。魔力は生命のエネルギー、全て失えば、死ぬ。
脱出のため、おれは魔力を膨れあがらせるも――
「無駄だ…… 我が『光と闇の消滅線』の前には、魔力は世界へと還されるのみ」
魔力を発した先から、全てが爆風の中へと抜けていった。
「さらばだ……」
魔王の呟きが聞こえる。おれは暗闇の中に目を閉じ――
――ほくそ笑んだ。
「何っ……!?」
その狼狽が心地いい。
宙に浮いたおれは、『箱』の中にいた。おれを覆う灰色の、ガラスのようなフィールド。そのフィールドは白と黒の爆風を押しのけ、届かないものとしていた。
「その力は…… まさか……!」
この力こそ二週間前、試練により手に入れた、かつての勇者の『秘儀』。魔王を倒すため神々が創りだし、人に授けたと―― 試練の間に響く声は言っていた。
――『時の壁』。
そう名付けられたこの秘儀の前には、全ての攻撃が届かない。
爆風が止み、ゆっくりと床へと降り立ったおれは、魔王を見据える。
「さぁ、もう終わらせようぜ? あとが控えてるんだからよ……」
溢れる余裕とあとへの昂ぶりに、おれの口の端は独りでに持ち上がっていた――




