21.灰が誘うは
謁見を終えたおれはパドレの背中に付き添い、廊下を歩んでいた。
「お疲れ、なかなかだったよ。今日はもう自室で休んでいるといい」
高い背中からかけられる言葉が、おれの頭の上を過ぎていく。
手には受け取った、鞘に収まるきらきらとした短剣。
「これは…… どういうことなんだ……?」
おれは短剣を見つめるままに呟いていた。
歩きながらにパドレが、おれの独り言に反応する。
「それは『騎士の短剣』だ。功績を認められた軍人で、貴族階級を持たない者が賜る―― 言わば、貴族の仲間入りを許された証だね。おめでとう…… と言っていいのかはわからないが、その内領地も賜るんじゃないかな」
そうじゃない。おれの聞きたいことは、そうじゃない。
これがなんであろうと、こんなものはどうでもいい。
――あの子は、誰なんだ……?
青いドレスの二人の少女――
よく似た二つの面影が、考えれば考えるほど、おれの頭でまぜこぜになっていく。
「いや、正直お褒めの言葉を戴くだけかと思っていたんだが、驚いたね。まぁ君にとって良いことだとは思うよ。今は勇者とはいえ君は異世界の人間だし、ことが終わったあとに将来の約束がある方が――」
「パドレ」
勝手に喋り続けるパドレの話を、おれは打ち切る。
そして――
「あの子は、誰だ……?」
我慢出来ずに、おれは聞いていた。
「あの子……?」
怪訝な顔で、足を止めたパドレがこちらへ振り返る。
――あの子は誰か。
聞いたおれ自身、その言葉の意識がどちらを向いていたのかはわからない。
だが聞いてから、その質問は何も不自然ではないことにおれは気づいた。
現にパドレにとっては、片方でしかないようだった。
「なに? ひょっとして…… さっきの女の子かい?」
何が面白かったのか、蒼い髪をかき上げながらパドレは笑う。おれは「ああ」と、内心をしまい込んで頷いた。
「玉座から降りてきたならわかるだろう? 姫様だよ」
「……!?」
――ひめ、さま……?
背筋をぞわりと、何かが駆け巡っていく。
「レン・アリア・ミーレクッド姫。私も随分久しぶりだけど、お会い出来るとは光栄だね。まさかレア姫に短剣を持たせるとは…… 陛下は相当に君を買っているようだ」
――何を言っているんだ…… こいつは……?
足下から、地面が無くなったみたいに立っている感覚が無くなる。
それでも立っているおれは、不器用に口を動かした。
「姫……? 一人だけじゃ……」
唯一の姫。出会ったその日、彼女は言った。
小首を傾げ、パドレは答える。
「ん? 良く知ってるね。陛下のご息女は一人だけだよ」
からかうように笑うパドレ――
その顔がどこか遠く、不気味に思えた。
「滅多にお会い出来るお方じゃないが、まぁ…… ははっ、歳も近いし頑張って? 魔王を倒して世界を救って、英雄としていっぱしの騎士になれば望みはあるかもしれないよ? それじゃ」
ぱしりと軽く肩を叩き、背の高い、蒼髪の男はおれを離れていく。
一人残された赤い絨毯の廊下。
真っ直ぐであるはずなのに、楕円に歪んで見えるような感覚に、おれは立ち尽くす――
――何が…… 起こっている……?
この城の中、高いところにいるはずだった。
――誰なんだ……? 君は……
おれが『道具』として、守るべき人であるはずだった。
――何もかも夢…… だったのか……?
この世界にいる、たった一人の『人間』であるはずだった――
凍り付く。機能が、止まる。
体の中で何か、おれを動かすための何かが事切れたようだった。
動作の目的が無くなり、どう動いていいかわからないようにも感じた。
ただ、色を失い、冷えていく世界――
「夢、幻ではないぞ」
背後から、重い声。
突然に心臓を掴み上げられたように、体が向く。
「姫様には感謝するのだな――」
赤い、軍服。
「リョウイチよ」
あの男が、おれの後ろに立っていた。
「……っ! ハリーゼル……!」
その瞬間に、おれは理解した――
歪んでいた世界が戻り、おれの感情によって、また歪んでいく。
「これはどういうことだっ! てめぇっ…… なにをやった!」
そこらの白鬼程度なら、身動き出来なくなるだろう怒気をそいつにぶつける。
だが赤鬼は、ふんと鼻を鳴らすと、無感情な瞳をおれに向けるだけだった。
「まさかとは思っていたが、全く気づいていなかったのか。どこまでも頭の軽い……」
「あぁ……?」
そしてやつは、おれの理解をその通りだと、考えの通りだと裏付けていく――
「どうして誰一人と気づかれず、毎夜毎夜とあのような場所に来られると思うのだ。ただの一度として、不自然には思わなかったのか?」
何一つ、普段と表情を変えず、何事でも無いように。
「……!」
おれは奥歯を噛みしめ、その顔を睨み続ける。
長く抑えこまれていた怒りが、腹の底から燃えたぎってくるようだった。
「じゃあ…… 彼女は……! あれは、誰だ……!」
吐き出すように投げかけた。
聞かずにはいられない、聞きたくもない答えを求めて。
「さてな、誰でもない…… というのが答えか」
「なに……?」
ハリーゼルが、おれから視線を逸らした。この男には珍しい、何かをはぐらかすような仕草。見え透いたそれを逃せるほど、今のおれは冷静ではいられない。
「てめぇ何を隠してやがる! 洗いざらい言え!」
「洗いざらい? 語っているとも、貴様が知りたいのは…… 青い瞳の姫様のことだろう?」
息が、詰まる。
ハリーゼルに直接、彼女を示されたことに、呼吸を失う。
「あれは、『影』だ」
影―― その言葉が示す意味は、意思を『翻訳』されたおれにはわかる。
「本物の姫様に大事無いよう、危険のはらむ場で役目を務める者…… 身代わりの任を負う者。それだけの存在に過ぎん。あれは任務を受け、お前の前に現れていたというだけの、誰でもない存在だ」
「誰でもない…… 存在……?」
牢へと射す月明かりを受ける、青いドレスの彼女が脳裏に浮かぶ――
――『この世界をお救いいただくお方に、重ね重ねなんということを……!』
――『私は他の誰でもなく…… リョウイチが来てくれたことが、嬉しいです……』
――『ねぇリョウイチ…… 『未来』って、あるのでしょうか?』
――『私があなたを、元の世界へと帰します』
出会ってから重ねられてきた、僅かな時間が浮かんでいく――
――『また、ね』
その中に彼女は、
「嘘だ……」
ルアは、
「嘘だろう…… 嘘を……」
ルアは、たしかに存在していた。
怒りにかられていたはずの体に、再び寒さを感じる。まるで世界から切り離されたような、途方も無い孤独感。誰一人、何一つの支えも失われ、温度の無い暗闇に立っているようだった。
そんな感覚の中でも、おれの聴覚はやつの声を捉える。
「嘘などではない。あれの任務は、お前の精神を支えることにあった。未熟なお前が自棄に走らぬよう、寄り添い、幾ばくかの安寧と希望を与え、監視するのが目的だった。なんら確認の必要も無い、たしかなことだ――」
そしてその声は、おれにとってのこの世界、最後の「希望」をも崩す――
「その任務を与えたのは、他ならぬ私なのだから」
――ぐらつく世界。
足下を失い、意識すらも遠のきそうになる世界で、おれは――
「ぬううぅううあああああああっ!!!!」
渾身の力を滾らせ、全力を以て吼えた――
地鳴りが起こり、城が揺れ、全身に渦巻く暗黒の魔力に、絨毯が床石ごと吹き飛ぶ。
「てンめぇえぇェっ……!!」
――ぶん殴る…… いや、打ち砕く……!
抑えていたタガを全て外し、不快の元凶へと殺気を放つ。
「死ねえぇええーっ!」
棒立ち、突っ立っているままのハリーゼルへと、床を蹴ったおれの体が弾丸のように飛ぶ。
紙切れのように、粉微塵に、その体を吹き飛ばす。
そんなイメージの中、やつの姿が消えた――
「……!?」
暗転する世界、首筋に強烈な衝撃――
「がはっ……!」
どうと、砕けた床の上へと転がり落ちたおれは、
「まだまだだな……」
燃え盛る炎を拳に纏う、ハリーゼルの姿を見上げていた。
「その程度では、到底魔王には敵わぬ。更なる精進を積め」
拳の炎を振り消し、去って行くその赤い背中。
激痛と焼かれた皮膚の匂いの中、おれの意識は黒に包まれていった。
だが、この時―― 黒に包まれたのは、意識だけじゃなかった。
赤黒く、ドス黒く、
おれの全ては、包まれていった――
まわれまわれよ 歯車まわれ
進め昇れと螺旋を描け
ぎりぎり がりがり 歯車回った
油果たされ真黒くなった




