19.黒い髪の少年
どんな魔物も、どんな罠も、最早今のおれには通用しなかった。
魔王城の正門を突破したおれは、門をくぐる前と変わらない歩みで城内を進み、必要も無いのにご丁寧に通路を辿り、その「大きな力」を目指していった。
歩き続けて数十分。おれは城の上階、その大扉を開く。
紫の床石に伸びる赤絨毯の先、玉座――
銀の髪に、白過ぎる皮膚。
深い紫のローブの上から、黒い軽装鎧を纏った青年――
『魔王』の姿が、そこにあった。
「……『勇者』か、ついにここまで――」
――おれの手から紫色の閃光が走り、玉座周辺が爆発に吹き飛ぶ。
四散する床石と、立ち昇る煙。
やがて鎮まった煙の中から、手をこちらにかざす魔王の姿が現れた。
ダメージは無いのか、平然とやつは睨みを入れてくる。
「ご挨拶だな……」
「うるせぇ…… めんどくせぇんだよカスが。偉そうに待ってねぇでそっちから来い、なんでおれから来てやらなきゃなんねぇんだ」
うざったいのを丸出しに、そう答えてやる。
おれを見る魔王の目が、わずかに見開かれた。
「君は……」
「あ?」
体にまとわりつく、魔力の流れを感じた。それはさぐりの気配。
おれの力を見定めたらしい魔王は、目を伏せて頭を振った。
「なんということだ…… どのようにすれば子供がこのような……」
魔王―― 魔物達を率いる、魔王軍の王。
その顔に、噂に似つかわしくない表情を見た。
――哀れみ。
『魔王』というラスボスには相応しくない、優しげな顔に映るその表情に、おれは――
――ムカついた。
「うるせぇ!」
「……!?」
おれの両手から、再び紫色の閃光がいくつにも重なって放たれる。
「ごちゃごちゃ抜かしてねぇでとっとと来やがれ! ザコに構ってやってる暇なんざねぇんだよ!」
跳ね回るおれの魔力に、魔王城は激しく揺れていた――
――この世界に呼ばれてから二ヶ月。
一つ一つを思い出せば、思い出しきれない。
実感とすれば矢のような、実際とすれば波が押し寄せるような。
そんな時が流れていった。
魔王の手により、急速に衰退した人の世界。それを取り戻すための相次ぐ遠征。あの日割り当てられた部屋は、三日と使った憶えが無い。
おれを大将とした、選りすぐりの軍人達で組織された『勇者師団』。そのわずか三十名ほどの集まりにパドレを加えたおれの部隊は、まさに劇的とも言える早さを以て人類の戦況を一変させた。
世界南部の大国ミーレクッドを起点に、北上してハロースト、海を渡りギャリス。遙か北より侵攻する魔王に対し、直線距離にして半分に亘るまでの国々から、魔物を退けることに成功した。
期間にして約一ヶ月。おれが地下牢を出て、今日に至るまでの成果だ。
もちろん、それはおれ達『勇者師団』のみで出来たことじゃない。その慌ただしい遠征には、ミーレクッドの総力とも言える兵力が投入されていた。
『勇者師団』の仕事は、予め展開された各地の大規模兵力の元へと合流し、強敵を掃討すること。言わば『勇者』の圧倒的な力により、決着のみを担当する部隊。
戦場へと赴き、決定打を与え、後を任せて次の戦場へ―― その繰り返しが、おれ達の役割だった。
ハリーゼルの組み上げたこの大規模作戦は、「おれ」という戦力を使う上で見事としか言いようが無い。
人類は効率的に息を吹き返し、「おれ」は、ますますと『レベル』を上げていった。
時に魔物を倒し、時に人を倒し――
「勇者殿、こちらでしたか」
久しぶりに戻ったミーレクッド城。下層の一画のバルコニーから下を覗くおれに、聞き馴染みのある軍人の声がかかった。ちらと見た横目に、他の軍人達よりも若干明るいグレーの軍服が映る。
おれ専属の部下達―― 『勇者師団』の団員。その強行軍を強いられる役どころから、軍人達の中でも若い連中が多いらしい。優秀で、サポート役に特化した連中。ほとんど秘書のようなこの連中の顔と名前を、おれは未だに覚えてきれてはいない。
「……何か用か?」
おれは下を見下ろしたまま、そう聞いた。
若いとは言え、おれなんかよりはいくつも年上だ。元の世界の常識なら、こんな態度はいいものじゃないんだろう。でも軍では、上官が絶対。おれが下手に回る方が問題になる。
「軍統括将とパドレ法師がお呼びです、将の執務室に来るようにと」
「そっか……」
遠征時に持たされるペンダント。ここ最近は、そのオレンジ色の石―― 通信機ごしにしかハリーゼルとの接点は無かった。それも毎回ごく短く、任務についてを一方的に話されるだけ。直接顔を合わせるのは随分と久しぶりに思えた。
部下の軍人が、動こうとしないおれに近寄る。
「何を見ていらっしゃるのです?」
おれの隣から、そいつも下を見る。眼下には整備された砂地、軍の練兵場があった。
軍人達の監督のもと、十名ずつほどの兵達が五カ所に分かれ、思い思いの訓練をしている。おれはその中の一つ、輪を作り、一対一の試合を行っているグループへと指を差した。
「ほう…… 一騎打ちですか。盛り上がっているようですな」
腕を振り上げ、はやし立てる輪の中に、向かい合う二人の兵。
木刀を持つ二人は体格がかけ離れていた。一人はこの仕事にはいかにもという体つきの、大柄な男。対する一人は―― まだ少年だった。
脇から見ていた部下がため息をつく。
「やめさせますか? あれは訓練というより……」
おれは思いの外感傷的だった、そいつの声に鼻で笑う。
「まぁ、見てな」
部下が「はい?」と不思議そうな返事をかわした瞬間に、眼下の少年が走り出した。
少年の突進に合わせ、大柄な男が木刀を振り下ろす――
真横に身を翻した少年が回身から木刀を打ち下ろし、男の手首を叩く。
武器を取り落とした男の首元には、すでに少年の木刀が止められていた。
「……おぉ! 見事な……!」
思わずという感じで、部下が小さく手を叩いていた。
おれも思い通りな結果に、満足げに笑っていた。
「あいつはさっきから連勝中だ。いいところのお坊ちゃんなのかもしれねぇ。剣の腕なら、おれより上かもな」
「またまた、お戯れを」
「事実だ。純粋に剣の腕だけなら、あんただっておれより遙かに上だよ」
そう言い残して、おれはバルコニーをあとにした。
どこから連れてこられたのか、将来有望そうなどこかの少年。
おれと同じ黒い髪をした、おれとそう変わらないだろう年頃の少年。
そんな「子供」に頼らなければならないまでに、まだこの世界は追い詰められている。
おれが彼女のために、「希望」となる。
そうすることであの少年は、おれのように手を汚すことなく、生きられるのかもしれない。
それはひょっとすると悪くないことなのかもしれないなと、そう思った。
だが―― 思うだけ。
おれにとってのこの薄汚れた醜い世界。
相変わらず『人間』と呼べる者は、彼女ただ一人だけだった――




