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玄人仕事  作者: 千場 葉
#9 『アマチュア・ワークス』
301/375

18.青い決意


 城の上階。遠征の前以来、二度目にくぐった扉の中で、おれは赤い軍服の前に立っていた。

 不必要なまでに整頓された部屋には無駄に思えるものは一切無く、本棚や壁に貼られた地図など、仕事に使うだろうもの以外には何も無い。こういう場所にはありそうな高価な置物や、大量に持っていそうな勲章の類いすらも飾られていないことが、尚更にこの男を不気味に感じさせていた。

 大きな机に座る赤い軍服の男―― ハリーゼルが、真新しいグレーの軍服を着たおれに目配せする。


「いつまで突っ立っている、掛けろ」


 この男の声への恐怖は、今だに続いていた。刷り込まれてしまったものは、いくら強くなってもなくならない。おれの体は、声に怒気が混じるのを恐れ、言われるままに用意されていた椅子へと腰を降ろした。

 深く椅子に腰掛け、真正面からおれを見据えるハリーゼル。

 おれは目を逸らすことを許されず、沈黙の中、ハリーゼルと睨み合った。

 やがて長く思えた数秒の後、重い声がおれに届く。



「よくやった」



 言葉の意味がわからなかった。

 翻訳魔法の効果が切れてしまったのかと、頭がおかしくなってしまったのかと、錯覚した。それは信じられないことに、本当に錯覚だった。


「お前の活躍はパドレから報告を受けている。戦力比に勝るハローストの軍勢を相手に奮迅(ふんじん)し、我が軍を勝利に導いたそうだな。砦の町に配置された敵軍の規模を見誤り、充分な戦力を整えることなく遠征させたのは、我が軍の手落ちだ。お前の活躍なくしては制圧は成らなかっただろう。見事な初陣だった」


 ――褒めている……?


 ハリーゼルが、おれを褒めている。


 そんなことはこれまでに一度も無かった。

 絶対に無いものだと決められていた頭が空回りし、何を言っているかが掴めない。


「我が軍の圧倒的勝利だ。昨日、ハローストの王より早馬(はやうま)が届き、砦の町及び軍の全権を我が国に委ねるとの知らせが入った。『勇者』たるお前の力と名声がハロースト全土に響き、戦意を(くじ)いた結果だ。期間とすれば微々たるものかもしれないが、これで人類の滅びの時は、数ヶ月の先延ばしを得られるだろう」


 中学生であるおれの頭など知ったことではないと言う風に、戦況を語るハリーゼル。

 おれは思っていたことと違う、おかしな状況になんとか答えを得ようと口を開く。


「い、いや…… おれ、おれは……」


 ギッと音を立てるような鋭い瞳が、紫の光を放つようにおれを見据える。出ようとしていた言葉が、のどの奥へと消えていった。

 だが、ハリーゼルは――


「なんだ、聞いてやる。言いたいことがあれば言ってみろ」


 いつになく怒気を薄くして、おれから言葉が出るのを待ってくれた。


「……お、おれは…… 処刑されるんじゃないのか……?」


 やっと言えた。言えない方が良かったのかもしれない。

 でも、疑問が先立って聞かずにはいられなかった。


 おれは内心、「処刑する」という言葉を待っていた。「処罰する」という言葉を待っていた。


 「処刑」であれば、逃げよう。この男や国には危害を加えず、盾としてルアを護り続けて貰う。そしてその間に自らで力をつけ、いつの日か一人で魔王を倒す。

 「処罰」であれば、受けよう。もう体の苦痛には慣れた、今更なことなら耐えられる。過ぎた後には今までのように、軍のもとで力をつけ、ハリーゼルの段取り通りに魔王を倒そう。

 そう、思っていた。

 お咎め無し。そんな都合のいい話は、全く考えてはいなかった。


 机に両肘を置き、ハリーゼルが口を開く。


「……なぜだ?」

「え……?」

「なぜお前を処刑する必要がある、何か規則に反したのか?」


 わずかに、ハリーゼルの頭が傾いた。何を言っているのか、と、おれの頭を疑っているような雰囲気だった。

 小馬鹿にされたようで、おれははっきりと口に出してやろうという気になった。


「パドレから聞いたはずだ。おれは兵士達を…… ミーレクッドの兵士達を殺して――」

「ダテ」


 ぴしゃりと、強い口調がおれを止めた。

 ハリーゼルは再び深く椅子に座り直し、整った口髭を動かす。


「お前が着ているその軍服には、どういう意味がある」

「……?」


 自分の胸元から、足までを見下ろす。痛んだ前のものと交換に、新しく用意されたばかりの軍服。その胸元には、剣を持った馬のようなエムブレムがあった。


「ミーレクッド軍の…… 人間……?」

「そうだ」


 ハリーゼルが自らの胸元を指す。そこには多くの記章と一緒に、おれと同じミーレクッドのエムブレムがあった。


「軍服とは軍人であることと、どこに所属しているかを示すもの。兵士達の装備も兵士であることと、どこに所属している兵士であるかを示している。これは戦に関わる、戦闘員であることの開示だ」


 戦闘員。ハリーゼルの赤、軍人達のグレー、兵士達の白。ハローストの兵士達が着ていた、青銅色――

 おれの頭に、これまで見てきた暴力的な人間達。彼らが着ていたものが連想された。


「ではダテよ、なぜわざわざと、開示していると思う?」


 話題を逸らすようにして始まった話と、間に重ねられる質問。


「よく考えてみろ、間抜けな話だと思わんか? なぜ敵に敵だとわかるような服装をして事に臨む必要がある。次第によれば、裸で戦場に(おもむ)いた方が有利かも知れんぞ。どこに敵がいるのかわからないでは、いかなる軍も動けぬからな」


 聞きたい話ではない。でもおれの頭は、こいつに怒られないことだけを意識して、必死に答えを探し始める。

 緊張に空回る頭。おれの脳裏にこの世界でのハローストとの戦いや、もとの世界での学校の運動会。とにかく、大勢の人間同士が何かを争う―― そんな映像が断片的に思い起こされていく。

 鎧や軍服の色、赤白帽、スポーツ選手達のユニフォーム――


「それじゃあ、味方もわからないから…… 相手も裸で来たら、誰が誰かもわからなくなる」


 思いつくままに呟くと、ハリーゼルが頷いた。


「そうだ、戦いは収拾がつかなくなるだろう。だが、問題はそこだけに無い。誰が味方かも、誰が敵かもわからない状況…… それは戦闘員、非戦闘員―― 兵士と民間人の区別もつかなくなるということだ」


 おれは思わずと、「あっ」と声を漏らしていた。

 兵士と民間人―― 瞬間的に、あの町での惨劇の光景が目の前に映った。


「お前は暴徒と化した兵士達から、あの町の民間人を救った。それが出来たのは、兵士達が揃いの鎧を身につけていたからだ。軍服とは、戦う意志の表明。有事になれば、殺される目標となる意志の表明。ひいてはそれが、民間人を守ることに繋がるのだ。これを着ている者を倒せば、それで戦いは終いなのだと知らせ合うことでな」


 口を開け、呆けてしまった。

 教えられた「軍服」の意味にではなく、この男から出た、この男らしくない言葉に。


 ――民間人を守る?


 残虐、非道、冷血。意味もよくわからない、お話の中でしか出てこないような言葉がそのまま当てはまりそうなこの男が、そんな言葉を口にするとは思っていなかった。

 おれの印象では、例えばあの砦の町、あれを一発で潰してしまえる爆弾があるとして、中に誰がいようと躊躇(ちゅうちょ)なくスイッチを押してしまえるような男。それが目の前の男。

 そう思うだけの暴力を、おれはこの男から受けている。


「戦う意志を持たぬ非戦闘員を殺傷することは許されん。我が国だけになく、ほぼ世界全土、国と呼ばれる枠組みの中では当然に設けられている軍規だ。お前は民間人を救い、軍規に逸脱した重罪犯を処断した。これは軍の名誉を守り、規範を高める功績であり、なんら罪ではない。この話は以上だ」


 ――この男は…… 誰だ?


 この世界に呼ばれてから一ヶ月。積み上げられてきたハリーゼルという男の印象が崩れていく。

 人間とは思えない、魔物よりも怖い何かだった男から、おれは気高さすらも覚えていた。


「さて、ダテよ」


 ハリーゼルが、わずかにたたずまいを直す。おれは開けていた口を閉じ、姿勢を正した。


「この度お前は、正式に『勇者』となった。本来であれば式典を行い、民の前に顔見せをする必要があるのだが…… 生憎(あいにく)とそのような(いとま)は無い。軍備が整い次第、方々に遠征を続ける日々となるだろう。私からの『供給』と『訓練』も終いだ。次の遠征まで、()()で体を休めておけ」


 ――唐突に訪れた、願ってもいなかった言葉。


 いつか来る日を待っていた、一つの地獄の終わり。

 来ると信じることも難しくなっていた、(おり)と檻の日々からの解放――


 そこに喜びと―― 落胆。

 訪れてしまったという、いつか来るとわかっていた落胆がのし掛かる。


「……部屋?」


 わずかな期待を、そこに込めてみる――

 だがやはりハリーゼルは、おれの期待には答えてくれない。


「ああ、部屋だ、後で案内させる。『勇者』と(おおやけ)に認められた今、あのような地下に幽閉している意味は無い。パドレから許された範囲であれば、部屋を出ることも認めよう。何か欲しいものがあれば使いの者に言え」


 これまでからは、考えられないほどの扱い。

 だが、陽の当たるそこには――


「あ、あの……」

「なんだ?」


 あの()()じゃないそこには――


「いや…… た、助かる」



 ――()()が訪れることは、無い。



 わかっていた。あの時間は『秘密』だ。陽の下だからこそ保てた、有り得ない秘密だ。

 『勇者』となったおれの側には、常に誰かがつきまとうだろう。もうそこには、秘密を保つ術は無い。


 わかっていた――



 ハリーゼルが、ふんと鼻で笑う。


「これからは我が国の『勇者』であり、我が軍の幹部ともなる。近々、お前を筆頭とした隊も組織される。恥にならぬ程度に、身なりも整えておけ。では、下がっていい」


 おれは立ち上がり、一礼してハリーゼルに背を向けた。



 ――『さよなら、ルア……』



 昨日の夜、別れは済ませた。

 もう毎日のように顔を合わせ、甘える時は終わったのだ。


 だが、この広い城の中、彼女はいる。

 この世界に、彼女はいる。


 ならば戦い続けよう。


 「希望」となって、彼女が生き延びられる世界を作ろう。



 例えこの先、会うことは無いのだとしても――



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