16.青い勇気
「そんな…… ことが……」
おれは遠征先であったことを、ルアに話した。
出来るだけ彼女が怖い場面を、残酷な場面を想像してしまわないようにと、淡々と事実だけを並べて話した。
行った先でハローストと戦うことになった。砦の町を制圧したあと、兵士達が暴走した。それをおれが止めた。あったことはそれだけで、伝えることは難しくなかった。
「どうして、そのようなことに……」
でもそれでも、彼女は心を痛めてしまうとは思っていた。
おれが人を殺してしまったことに、そして、おれに人を殺させてしまったことに。それだけは、避けられないだろうとは思っていた。
「……兵士達を止めるためにはどうしようもなくて、沢山の犠牲が出た。やったのはおれ一人。おれ一人のせいで、結局軍は何もせず、城に引き上げることになってしまった」
おれは意を決して、もう一度彼女に告げる。
「だからお別れだ…… 最後まで戦えずに、ごめん」
話にショックを受けていた様子の彼女が、うつむいていた顔を上げた。
「まさかリョウイチ…… 責任を取らされるのですか……?」
あの日兵士達を殺して回ったおれ――
無茶苦茶をしていた連中が怯えて逃げだし、騒ぎが静まるのを見届けたおれは、町の外に待避していた軍の陣営に戻った。
すでに話は伝わっていたのだろう、軍人達は血まみれのおれを警戒して取り囲んだが、そこに現れたパドレは何も言わずにおれを連れだし、一台の馬車、大きな檻の乗せられた馬車の中へと入るように促した。
檻の鉄格子の扉を開けて、静かにおれに頷いたパドレ。その顔には責めるような厳しさはなくて、ただ残念そうで、どこかおれを哀れんでいるようにも見えた。
檻には暗幕が掛けられ、そのまま馬車はこのミーレクッド城へと戻って行った。
そして檻から出され、鎧を脱がされ、今おれはここにいる。
おれはあの時から今までを、半ば夢うつつの中にいたような今までの時を思い出しながら、ぼんやりと呟く。
「……ここにまた戻される前に、パドレが言ってたんだ。明日にはハリーゼルに呼ばれるだろうってな。呼ばれて何を言われるかはわからない。でも、おれはもう、ここに戻されることはないだろう」
そう、もう戻ることは、無い。
「おれは自分勝手に動いて、軍の兵士達を殺してまわった。戦うための力は、今のミーレクッドにとって一番大事なものだ。ハローストの人々の命なんかよりも、この国にとっては大事なものだ。今のおれは、軍にとっては裏切り者なんだよ」
この牢屋に、彼女の来てくれるこの場所に、戻ることは無い。
「それに…… 今回の戦いは『勇者』をみんなに見せるための戦いだった。その勇者が味方を虐殺して、占領した町の人々を怯えさせた。おれは国の顔に泥を塗ったようなもんだ。ハリーゼルは、きっとおれを許さないだろう」
例え明日―― どうあろうとも。
背中ごしに、ルアが近寄る気配。彼女は屈んで鉄格子を握り、おれの横顔を覗くようにして言う。
「まだ明日にならないとわからないではないですか。誰がどう言おうとあなたは勇者で、あなたがいなくなってはこの先世界はどうしようもないのですから」
少しでも、元気づけようとしてくれているのだろう。震えてしまう声を、無理に明るく誤魔化そうとするような声だった。
おれは出来るだけ、彼女を安心させるように言う。
「ルア…… おれがいなくなっても、世界は大丈夫なんだよ」
「え……」と、ルアから驚きが漏れる。
おれ自身も驚いていた。自分でも、自分の声じゃないみたいに優しい声だと思った。
「教えてくれたのはルアだ」
――『なんでおれなんだ……? こんなやつ放っておいて、他のやつを呼べば良かったんじゃないか?』
――『儀式にて呼べる勇者は、私達が決めているわけではないのです。言い伝えによると、窮状に対し最も適したものが世界の選定により召還されると、そうなっているのです』
「儀式で召還される勇者は世界が選ぶ。おれが今勇者なのは、世界がおれを選んだからだ。おれがいなくなったら、世界は別の誰かを選ぶようになる、それだけの話だろう?」
ルアが息を呑んだ。その表情には、はっきりと驚きの色が見えた。
おれなんかより頭がいいはずなのに、考えもしなかったのかなと、ちょっと面白く思えてしまった。
「……だからハリーゼルは、いらないと思えばいつでもおれを殺すと思う。そして今回、おれはあいつにとって、本当にいらないと思われたに違い無い。あれだけのことをやったんだ…… 何もされない方がおかしいと思う」
鉄格子を握ったルアが、格子の間に頭を挟むようにうつむいた。
ハリーゼルの性格も、軍の厳しさも、政治的なことも、彼女はよく知っている。きっとおれの考えに、違うと言い切ることが出来ないんだろう。
鉄格子を握る彼女の手に、固く力が込められる。
「……抵抗は、なさらないのですか?」
「抵抗……?」
「お強く…… なられたのでしょう? 兵士達も、軍の者達も及ばないくらいに。抵抗することも、逃げ出すことも…… 本当は簡単なのではないですか……?」
ああ、と、おれは彼女が本当に、おれを想ってくれているのだと嬉しくなる。
そう、逃げ出すことは簡単。もう目の前の鉄格子も、やろうと思えばねじ曲げられる。とっくに意味なんて無い。
でも――
「しないよ」
「どうして……!」
「逃げたってこんな世界でたった一人じゃ生きていけないさ。それに…… そんなことをしたら、君を守ってくれる次の『勇者』が呼べなくなってしまう」
「っ……!」
「呼べる『勇者』は一度に一人…… そうなんだろ? それくらいは、気づいているよ」
――人間のための道具は、処分から逃げてはいけない。
柔らかそうな青いドレス。同じ生き物とは思えないような、細い腕。
綺麗に流れる、そのうつむいた横顔を隠す、薄紫色の、白い髪――
「ルア……」
ほんの少しの勇気。魔物や軍人と戦うよりも、もっと身が竦む、そんな勇気をおれは出して――
その頭に、手を伸ばした。
「ごめんな…… 最後が処刑だなんて、冴えない勇者で。きっと次は何かの間違いじゃない、最初から強くて、もっとすごい勇者が来てくれると思う。ごめん……」
女の子の頭に触れるのは、これが初めてだった。
思った以上に小さいなと思った。温かく、柔らかい髪の手触りが、おれとは違うなと思った。
「すごい中途半端だけど、ここまで強くなれたのは…… ルアのおかげだ。嫌なことばっかりだったけど、君と話しているのは嫌じゃなかった。よくしてくれて、ありがとう……」
撫でていたおれの腕に、彼女の両手が触れた。
彼女はおれの腕を鉄格子の外へと引き寄せ、両手で抱きしめるようにして頬に当てた。
「リョウイチ……!」
頬に当てられたおれの手の甲に、濡れる感触。
それを涙だと思った時、おれは気づいた。
おれは今、出会ったあの日以来、初めて彼女と正面から向き合っている――
心臓が跳ね、現実感がなくなったような感覚。
そんな感覚の中、ゆっくりとおれの腕は離された。
「わかりました…… リョウイチ……」
涙を拭い、彼女は立ち上がる。
今泣いていたとは思えない、強い視線がおれを見下ろす。
「私があなたを、元の世界へと帰します」
そう言って彼女は、おれに向かって左手の甲を掲げていた――




