15.黒煙の中の選択
石壁の暗がりの中に、静かな風のような音が鳴り続ける。
わずかに増した冷気と、肌に感じる湿り気。
降り始めたらしいこの世界の雨、この淀んだ空の世界の雨―― その色が、どのような色をしているのか、普通の雨なのか、それはおれにはわからなかった。
四角い天窓からは、今夜も月の光が射し始めた。
雨雲に隠されずに済んだらしいその光は、おれにとっての合図。
そろそろと彼女が現れる。おれがおれとして、「生きている」と思える時間への合図――
その時の訪れをおれは、鉄格子にもたれて待っていた。
「リョウイチ……」
五日ぶり。
途方も無く長く待った、その綺麗な声。
「おかえり…… なさい…… リョウイチ……!」
出会ってから、これだけ時間を空けたことはなかった。
震えるその声に、おれの無事と再会を喜んでくれている心が見えて、本当に、おれは嬉しかった。
「ルア……」
背を向けたまま、おれは彼女に告げる――
「お別れだ、今まで…… 悪かった」
――ばたばたと、顔に何かが降りかかる。
雨のように降り注いだそれは、おれの中に流れるものと同じ温度で、何も感じないに等しかった。
ドッ、と、地面に落ちる重い音。
草地に転がったそれは、にやついたままでおれと目を合わせ――
驚愕に表情を変えて、白目を向いて動かなくなった。
「うわぁああっ!」
「なっ!? なぁぁっ!?」
腕を水平にしたおれの周りに、男達の声が上がる。
意外なほどに、抵抗は感じなかった。
刃を合わせ、振り抜いた―― たったそれだけで、男の上半身から「頭」がなくなっていた。
振りすぎた炭酸みたいに赤い雨を撒き散らしていた上半身が、斬られた方向へと横倒しになる。出来の悪いホラー映画だけの大げさな表現だと思っていたのにと、汚らしい雨をうざったく思った。
「お、お前……! なんてこと――」
女の子の腕を押さえていた兵士。その首を、同じように撥ねる。何か文句を言おうとしていたが、おれの知ったことじゃない。
「ちょ、ちょっと待て、このガキ――」
脇に立っていた兵士が、剣の柄に手をかけるのが見えた。かけた瞬間には、胴体から真っ二つになっていた。
「ひ、ひぃいっ……!」
おれに背を向けて、大人のくせに金切り声を上げて逃げ出す兵士。
「……!?」
おれはそいつの正面に現れて腹部を一突き、そこから横に薙いでやった。
「ま、待て! 待ってくれ! あんたうちの国の勇者じゃなかったのか!?」
残った最後が、草地に尻餅をついていた。
剣をぶら下げるようにして、おれはそいつに歩み寄る。
「俺達が何をした……! 俺達は国のために戦ったろう……!」
兵士はおれを見ながら、ちらりと横目に女の子を見た。
「ま、まさかこんなことが悪いってのか!? こいつらは敵じゃないか! 俺達は命を賭けて戦ってるんだ! こんなことくらいでとやかく言われる筋合いは――」
おれはそいつを、頭から股間まで一直線に、二つに斬った。
五、六―― そう見えていた男の数は、正確には五だったらしい。草地には身を起こそうとしたまま固まっている女の子以外に、生きている者の気配は無かった。
おれは剣を左手に持ち替えると、その子に近寄って、右手を差し出した。
「あ…… ぅ…… あっぁああぁ…… ぁ……!」
声にならない叫び声―― そんな声を上げながら、真っ赤な液体と泥にまみれた女の子が、地面を這いずるようにして必死に離れて行く。立ち上がり、転び、こちらを振り返ることもなく。
差し出していた自分の手を見、全身を見る。
おれは上半身の鎧の色だけじゃなく、全身を赤に染めていた――
屋根赤く燃える、煙の町を歩く。白鬼が跋扈する、地獄を歩く。
何ひとつ、もうためらいはなかった。
――『人も動物も魔物も、一緒さ』
全く、その通りだと思う。
何をおれは戸惑っていたのか。最初から躊躇する必要なんてなかった。
「……? 勇者さ――」
一匹の白鬼と目が合い、おれはそいつを即座に殺した。
「よーし! 燃やせ燃やせ! 隠れているやつらをいぶりだ――」
松明を振り上げている白鬼を、背中から突き刺してやった。
「さてと、そろそろずらかるか――」
民家の家財を物色している白鬼に歩み寄り、剣を「a」の字に一回転させた。
左腕、頭、右腕、右足、左足、胴体―― 細切れになり、人の形が無くなった。
人、動物、魔物。何が違うというのだろう。
命を失ったあと、形を残すか残さないか以外に、何が違うというのだろう。
動物や魔物は喋らない。では喋ったとすれば、それは何が違うというのだろう。
魔物は害を成す存在で、討つ以外に無い。
動物は害を成せば、害獣として討つ相手になる。
なら人はどうだ?
答えは簡単。この世界ではない、元いたおれの生ぬるい世界にいる、小学校の教師でさえも教えていた。
――『命は平等』。
それが答えだ。
「お、お前……! 何をする―― うあぁっ……!?」
「え!? 勇し――」
一匹、一匹と、見つけた白鬼を始末していく。
さんざに降り注いだ赤い雨は、もう気にならない。
こいつらは「ヒト」であり、そして今や白鬼という「魔物」。
おれは「勇者」であり、「魔物」を倒すためにある道具。
「勇者」が「魔物」を討つ。「道具」が「仕事」をする。
そこになんの感情や感傷を挟む必要があったというのか。
おれは勇者―― ならば「人間」の希望になろう。
何匹の魔物をも、どんな魔物をも、「人間」のために自ら殺すことを選ぼう――
「き、貴様も……! 貴様もミーレクッドの兵士か! おのれ……!」
おれの背後、燃える民家の隙間から、一人の老人が現れた。
「このような非道を働いて…… 無事に済むと思うな……!」
崩れそうな体で、杖を振りかざしながら叫ぶ。
「必ずいつか、貴様らミーレクッドに復讐を! 国丸ごと呪い殺してくれるわ! 覚えてお――」
一瞬にして間合いを詰め、おれは至近距離で老人と目を合わせた。老人が目を見開き、呼吸が止まったとばかりに停止する。
「……ミーレクッドに、国全部に復讐するのか?」
「あ…… ぅ……」
「言ってみろ、ミーレクッドの兵士達じゃなく、国にいるやつ全部に復讐するのか?」
おれの声に、びびった様子で目を踊らせる老人。その目が、焦点を戻しておれを強く睨んだ。
「……そ、そうだ……! 国家もろとも、王城もろとも燃えてしまえ!」
怒りを滾らせ、おれにぶつける老人。きっと何も出来やしないだろう、だが怒りは伝わった。
「そうか……」
おれは――
「ぶぎゃ……!」
老人の顔面に平手をめり込ませ、地面へと叩き落とした。
「調子に乗るな、ならお前も「魔物」だ」
おれは勇者、人間のための道具。
人間に害を与えるものを、切り裂くための道具。
そして、この世界――
おれにとっての「人間」は、彼女一人だけだった。




