13.黒い生き物の性
馬を含め、三百か、五百くらいなのかもしれない。ヘルメットのような薄汚れた白色の兜と、軽装鎧に身を包んだ兵士達。そしてその間々に見えるグレーの軍服の軍人達。
おれは一人だけ派手な赤い鎧を着て、その最中に立っていた。
土と雑草にまみれた赤い平原の向こうには運河が流れ、巨大な石橋が見える。
隣に立つ、パドレが聞いてくる。
「どうだい、初陣の気分は?」
「……地下よりマシ。あいつがいないから」
「そうかい」
そう答えてやると、パドレはくすりと笑った。
まわりからはチラチラと視線を感じる。兵士達も軍人達も知らない顔ばかりだ。その中に、ハリーゼルの姿は無い。この遠征にあいつは参加していなかった。
「パドレ…… あの先に魔物が?」
「ああ、あの橋の向こうにある町が防衛線になり、魔物の侵攻を食い止めている」
「町……?」
「砦としての機能もある防壁を持った町さ。今はミーレクッドにとっても重要な場所でね。話がついてくれるといいんだが……」
そう言って、石橋の向こうを眺めるパドレは首を振る。
つられて眺める橋の先、たしかに遠く、小さな石壁のようなものが見えていた。
おれの頭に、疑問がもたげる。
「……?」
――ミーレクッドにとって? 話がつく……?
「なぁ、パドレ。ハロースト平原っていうのは、ここじゃないのか?」
「ん? ああ、ここだよ。よく知ってるね」
おれはどきりと、その地名を口に出してしまったことに息を詰まらせた。ハロースト平原、この原っぱの名前を口にしていたのは、ルアだけだ。
「……あ、いや、招集の時に言ってたじゃないか、ハリーゼルが。ハロースト平原に遠征だって」
「あれ? そうかい? ハローストとは言っていたが…… 統括将はハロースト地方じゃなく、この平原のつもりで言ってたのかな。まぁそうだよ、その通り、ここがハロースト平原だ」
『翻訳魔法』は単純に言葉をそのまま翻訳するのではなく、話し手の意思を読み取って、それを相手に変換して伝える。パドレはおれがこの地名を知っていたことを、そのせいだと思った様子だった。
おれはおそるおそると、もうボロが出ないようにと考えつつ、今思う疑問を投げかけてみる。
「町とか防衛線とか、初めて聞いたんだけど…… ここで戦うわけじゃないのか?」
見渡す限り、荒れ果てた平原。小さな魔物ならいるのかもしれないが、『経験値』を積んでよく見えるようになったおれの目でさえ、敵の姿を見つけることは出来ない。
「うん、ここじゃない。ハロースト平原は広いからね。川を越えたその向こうまでもその地名だ。私達が行くのは、あの向こう」
パドレの指が、橋の向こう側を指す。
「じゃあ…… なんでここで止まるんだ? 話がつくって、何か待ってるのか?」
そう尋ねながら、おれは周りに目をやる。目の前の橋に向かって、まるで何か陣形を組むかのように並ぶ兵士達。散々な毎日を送っていたおれの体が、この場に漂う緊張感のようなものを感じ取っていた。
「ああ、それはね――」
――その時、おれの耳にドカドカと、前方の石橋から鳴る怒号のような響き。
「……!? あれは……」
パドレはふぅとため息一つ、
「だめか、交渉は決裂みたいだ」
遠くこちらを目指す、青銅色の鎧と軍馬の群れを見ながらに言った。
「パ、パドレ…… あれって……」
「ハロースト軍だね」
「ハロースト…… 軍……?」
鎧の色の違う軍隊。『ミーレクッド軍』へと向かってくる、『ハロースト軍』。
その呼び方の意味は――
「この橋の向こうはね、ハロースト国の領土なんだよ。すぐ近くの隣国ゆえに、長年いがみあっている。こういう時であれば歩み寄りも出来るかと思ったが…… そうそううまくはいかないか」
地響きを立て、橋を越えて迫ってくる青い一団――
「うまく…… いかないって…… ど、どうするんだ……!」
ドンっと近くで、大砲のような音が鳴る。
振り返ったおれの目に、真上へと魔力弾を放ち、馬上から腕を前へと振り下ろす軍服の姿が目に入った。
――剣を抜いた兵士達が、軍馬が、地面を揺らし、砂埃を上げて走り始める。
「打ち払う―― 侵攻するよ」
激突し、絡み合い、わずか数秒で入り乱れる白と青の暴力の渦。
ただ一人、赤のおれが巻き込まれるまで、それは覚悟一つも待ってくれやしなかった――
全て終わり、崩れ落ちた噴水の縁に腰掛けたおれは、鞘に収った剣によりかかって項垂れる。
もう喧騒は遠く、耳にこびりつき、今も鳴っている怒声や悲鳴は、錯覚なのだとわかっている。
――戦闘は、ミーレクッドの大勝利に幕を閉じた。
平原にて攻撃を仕掛けてきたハローストの一陣を打ち破ったミーレクッドは、その勝ちに乗じて一息に石橋を越え、砦の町の防壁へと殺到。複数人の軍人達が一斉に放った魔法が門を破壊し、町の制圧まではまさにあっと言う間だった。
戦いは、たしかに大勝利。だが、決してハロースト側が弱かったというわけではない。
近々こういうことが起こると思っていたのか、実際に魔物に対しての防衛線だったのかは知らない。ただおれが見たままとして、ハローストの軍はこちらよりも数が多く、兵士の質も高かったように思える。
それを簡単に、ゼロにも等しく覆したのは、おれだ。
「大丈夫かい、ダテ君」
声を掛けられ、おれは首を上げる。蒼い髪の宮廷法師の顔があった。
おれは何も答えられず、また地面へと項垂れる。
――何人、殺した……?
わからなかった。
おれはこれまで、作られた魔物と戦ってきた。魔物は倒せば黒い煙になって、いなくなる。
おれはこれまで、ハリーゼルの側近達と戦ってきた。やつらとは訓練、命のやりとりにはならない。
この戦いは魔物相手でも、訓練でもなかった――
「……聞いて驚いたよ、わかってはいたつもりだけど予想以上だった」
やめてくれ。
「まさか剣を抜かずに、誰も殺さずに戦い抜けるなんてね……」
本当にそうなら、本当にいい。
でも、本当はそうじゃないだろう――
「……誰かは死んでるよ、おれに殴られたら、誰かは死ぬ」
おれはハリーゼル達のせいで、バカみたいに強くなった。
それでも訓練を受けた人間が振るう剣を受けて、怪我をしないわけじゃない。おれがパドレに魔力―― 魔法を使うための源となる力で、身体を強化することを教わったように、彼らだってそれを誰かに教わっている。刃を抜かないでも、防ぎ、殴る武器は必要だった。
剣を鉄の棒として何百人と殴り、腹に深く入った感触もあれば、頭を強く打った覚えもある。
それに、おれは見ている。
おれに転ばされ、殴り飛ばされ、無防備になった所を他の兵士に討たれた、そんな敵の様子を。
それはおれが殺したことと、何が違うというのだろう。
「パドレ、教えてくれ…… これはなんなんだ……」
わからない。
「おれは『勇者』で、魔物を…… 魔王を倒すためにやらされてるんじゃなかったのか……!」
おれは今――
「どうして外に出て初めての敵が、『人間』だったんだ……!」
自分が勇者なのか、まだ人間なのかさえも怪しく思えていた。
風が戦場の埃を巻き上げ、どこかで瓦礫が音を立てた――
「……我が国を、守るためだった」
静かに、パドレから言葉が降った。
「急速に進んだ魔王の侵攻は、すでにこのハローストにまで及んでいて、陥落は目前だと我が国は判断していた。ここが落とされれば、次はミーレクッド。この世界最後の大国である我が国が滅べば、人の世は完全に終わってしまう」
それはおれに対して、子供に対してとは思えない真剣な声色だった。
「取れる手段は二つに一つ…… 手を携えてともに魔王と戦うか、侵攻して国ごと指揮権を奪うか」
「……奪う方を選んだってのか?」
ここにはいない、ハリーゼルの顔が浮かぶ。
「いや、選択はハローストに委ねた。もはや人の戦力は少ない、我が国としてもここで人間同士で争っていたずらに失うよりは、同盟関係を結べる方が望ましい。だが、ハローストはそうは思わなかったようだ……」
「そうは思わないって…… なんで……」
見上げたパドレは町の遠くを見ていた。
「……隣国というのは、縄張りを持つ生き物というのは、そういうものなんだよ」
軍人達には無い優しそうな顔つきは、今は色を失っているようにも思えた。
「人も動物も魔物も、一緒さ」
「人も…… 魔物も……」
おれには難しくて、パドレが何を言っているのかはわからなかった。
ただ、その言葉は初めて魔物じゃなく、人を殺してしまったおれを、どこか慰めてくれているようにも感じて――
「パドレ」
「うん……?」
「あ、ありが――」
唐突に、町に爆音が鳴り響いた――




