11.青の憧憬
荒野に立つ魔城の前――
赤い鎧のおれは剣を振るい、群がる魔物達を切り伏せながら歩む。
何匹も、何匹も、凶悪な面構えをした魔物達がおれの進路を阻もうとする。だが、ただ歩む。どいつもこいつもが、おれの歩みを一歩たりとも遅らせられない。
右へ左へ、片手で剣を振るうだけ。それだけでやつらは『経験値』と化していった。
やがて正門。何人も入ることが出来なかったという、でかい門扉の前に立つ。
かざしたおれの手に赤い光、火の魔力が渦巻き――
門扉を抑える魔物達ごと、正門を吹き飛ばした――
「下がれ!」
石壁に、あいつの声が反響する。
おれは床にくの字になって、両手で頭を抑えていた。
全身が、痛い――
顔も、腕も、腹も、背中も、足も―― 痛く無い場所を探す方が、難しい。
ざっと人垣がおれから離れる気配がし、カツカツと、革靴が近づく音がした。
「起きろ」
襟首を掴まれ、引きずり起こされる。また骨がおかしくなったのか、足首に激痛が走った。
「……何度言えばわかる。全ての敵の位置を把握し、囲ませるな」
心臓を掴まれるような、重く低い声。
ハリーゼルの紫の瞳が、至近距離から睨み付け――
赤い軍服の脛が、跪いたおれの頭を真横から蹴り飛ばした。
ゴッと床に頭を打ち、口の中から血が溢れる。
「続きだ…… パドレ! 回復を!」
――『経験値』の供給は続いていた。
本来は重罪犯を処刑するために用意されたこの一室。ここでの処刑執行人は人ではなく魔物で、おれへの『経験値』の供給は、この施設のシステムを利用していた。魔物は『暗黒』という属性の魔力の濃さで自然発生するものらしく、ここにはそれを一カ所に淀ませる仕掛けがあるのだそうだ。
だが、魔物と戦い続けて二週間ほど経った今、おれの『レベル』は頭打ちになっていた。この場所で作り出せる魔物では、もう大した『経験値』にはならないのだという。
ゲームで言えば、弱い最初の敵ばかり倒していても時間の無駄。そういうことなのだろう。
魔物での供給を卒業したおれに対し、ハリーゼルは側近の部下達を使っての『供給』と、『訓練』に乗り出した。
魔物と戦い続ければ、たしかにおれは強くなる。しかし強くなるのはあくまで体だけだ。別の意味での―― いや、本来の意味での経験は生まれるのかもしれないが、そこに高度な技術は生まれない。
おれは勇者として実戦を通じ、軍人達の技術を身につけさせられていった。
「起きろ愚か者!」
相手が魔物ではなく、人間になった。
そう聞けばまるで、マシになったように聞こえるのかもしれない。
だがそれは、本当の地獄の始まりだった。
ハリーゼルの側近としてついているグレーの軍服達は、誰も彼もがここで生み出せる魔物なんて比べものにならないほどに強く、訓練と経験を積んだ人間な上に、人間であるからこそ頭がいい。
ハリーゼルは常にそいつらを、数人がかりでおれに当たらせた。そして日を追って、おれが何かを覚えるたびに数を増やすのだ。
一対複数。一度掴まれれば、一度何かの弾みで床に倒れれば、それで終い。
容赦なく蹴りが、木刀が、おれに降りかかった。それは最早供給や訓練じゃなく、ただの私刑。完全に動けなくなるまで攻撃が止むことはない。
それはおれを強くする上で効率的なのかそうじゃないのか、よくわからない。
よくわからないが、この軍服の人間達にとって訓練とはそういうものらしい。
とにかくおれには、地獄だった。
「……またか」
おれを殴り続けていた軍人達の手が止まり、ハリーゼルが近づいてくる。
このあとのパターンは同じ。出来の悪かった点をなじられて、殴られるか蹴られるかされる。もう慣れつつあるおれが、少しおかしかった。
「お待ちください、統括将」
足音を立てず、法衣の男がハリーゼルの脇に動いた。
「そろそろと、回復の限界です」
「なに……?」
床から、半開きの片目で二人の顔を覗う。
ハリーゼルとパドレの間に沈黙が出来ていた。
「……足首への外傷が集中し過ぎています、これ以上を魔法での即時治療に頼るのは危険かと。今後を見据えた場合、せめて本日は治癒に専念させることが有益であると判断します」
宮廷法師パドレ―― おれに初めて魔法を見せた男で、屈強な軍人達に比べると小さくも見える法衣の男。
おれはこいつ以外に、ハリーゼルに意見するやつを見たことが無い。
あの血の通いを見せないような、殺気と怒気しか感じないハリーゼルとどうすれば正面から向き合えるのか、おれにはいつも不思議でならなかった。
「……わかった」
「一考戴き、有り難う御座います」
パドレを睨んでいたハリーゼルが、おれに背中を向けた。
「パドレ、治療の間はお前が教鞭を執れ。時間を無駄にするな」
「心得て御座います」
赤い背中が鉄格子の門へと進み、側近の軍人達が後を追う。
背中を見送ったパドレがおれへと振り返り、小さく笑みを送る。
束の間の解放におれは一つ、ため息を吐くのだった――
夜が来た。
「そうですか…… 今日もパドレが……」
おれにとって唯一の、生きた心地のする時間。
「ああ、あいつがいなきゃ…… おれとっくに殺されてるかもな……」
彼女は、今日も来てくれていた。
「パドレは軍人ではありませんから…… リョウイチの扱いに思うところがあるのかもしれませんね……」
ぬるい紅茶が、今夜も美味しい。
最近になって思う。彼女はひょっとすると、常に殴られているおれの口の中を気遣って、冷ました紅茶を入れてくれているのかもしれない。いや、パンは硬い。気のせいかもしれない。
「私から、お父様を通してハリーゼルに少し…… 言っておいてもらいましょうか……?」
「いや、それはダメだ。おれと会ってるのがバレる。ほんとならルアは、おれを見たことも無いはずなんだから」
「そう…… そう、でした……」
ことあるごとに助力を申し出ようとするルア。おれはいつも同じ理由で、それを拒んでいた。
彼女のためを思えば本当なら、改めてもうここに来ないように言うのが一番だと思う。出来ないでいるのは、やっぱりおれの甘えだ。
それを情けなく思って、心から認められない。だからおれは、今もずっと彼女に背中を向けて座っているんだろう。いつか彼女が根暗でうざったくなってるおれに呆れて、何も言わなくても来ないようになる。そんなつまらない期待を込めて。
「ルア」
背中を向けたまま、おれは彼女に見えるように、指を一本立てる。
「はい……? わぁ……!」
おれの人差し指に、ロウソク程度の火が灯っていた。
「魔法……! 魔法を扱えるようになったのですね……!」
「ああ、パドレに教わってるって言ったろ? 信じられないことだけど、本当におれにも出来るんだな。今日の回復の限界のおかげで、なんとか覚えられた」
「すごい! 素晴らしいですリョウイチ! こんなに短い間で出来るようになるなんて……!」
――回復の限界。
回復魔法というものは、ゲームのようにうまくは出来ていないらしい。たしかに怪我は切り傷だろうと骨折だろうとお構いなしに治せるし、痛みもひく。それどころか、体の疲れだって抜けてくれる。
でも、そこにはやっぱりどうしようもないところもあって、一気に流れてしまった血とか、脳が感じてしまった疲れとか、魔法では戻せない部分がある。見た目に治っているように見えても、治っていないところも多いのだ。
それはハリーゼルも当然知っていて、おれが完全に再起不能にはならないように、パドレに管理を任せている。
時間に頼って裏の傷を治している間は、『学習』の時間だ。
そこでパドレはおれに色んなことを教える。
この世界での一般的な常識、軍での常識、軍規、軍略―― 『勇者』という一兵士が、一応に知っておくべきことを。だが中でも、一番時間をかけて教えこまれるのは『魔法』だった。
この世界では大なり小なり、生活に密着する形で誰にでも出来ること。その力をおれは、戦いに向けられるようにならなくてはいけないのだ。扱いの難しい、大きな力。そこに時間が割かれるのは当然のことだろう。
「そんなに…… 褒められたもんじゃないよ。何時間もかかって、やっとこれだけだ」
「でもすごいです! リョウイチの世界には全く無いものなのでしょう?」
「そ、それは…… そうだけどな」
鉄格子の向こうの、彼女の笑顔。見ていられなくて、おれは前を向いた。
ほとんど、毎日と言ってもいいくらいにここへと来てくれるルア。
いつもおれは背中を向けていて、いじけたような喋り方で、それでもこの時間を、毎日楽しみにしていた。
日々過酷になっていく『経験値稼ぎ』。永遠とも思える今日を乗り切り、明日を思えば体の震えに吐きそうにもなる。もう耐えられないと、逃げたくも、死にたくもなる。
でもこれで、日々おれは強くなれるのだ。体は強くなり、不思議な力が湧き―― 『勇者』になれるのだ。
別になりたくはない。強くも、勇者にも、なりたくなんてない。
でもなっていけば、近づいていけば―― 『希望』になれる。
そのわずかな兆しにも、こうして彼女は喜んでくれるのだ。
これまで彼女とは色んな話をした。おれの世界の話、おれの家族の話、この世界の話、そして未来の話――
お姫様で、ちょっと堅苦しい話し方をするルア。いつからだろう、おれは彼女が、ただのどこにでもいる普通の女の子にしか思えなくなっていた。
おれが辛いと思うことに悲しみ、おれが嬉しいと思うことに喜ぶ。異世界の人で、お姫様なんて身分にいる。そんなことは関係無く、彼女は普通におれと同じ、『人間』なんだと思えた。
こんな怖いだけの世界にいる、ルア。
おれが本当に勇者に―― 『希望』になることが出来れば、どんな笑顔を見せてくれるんだろう。
そんな想いが地獄を耐える、日々の支えになっていた――
「ルア…… そろそろ」
「あ、はい」
ルアが空のカップを片付け、バスケットにしまう。
今日はこれで終わり。ほんの十数分の、この時間の終わり。
「リョウイチ」
彼女が立ち上がる。この瞬間だけは、おれは彼女を目に収める。白く煌めく髪と、深く深く、吸い込まれるような瞳を、
「また…… 明日ね」
いつ最後でもいいように、目に焼き付ける。
この優しい人が明日も来てくれる、そんなつまらない期待を込めて――




