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玄人仕事  作者: 千場 葉
#9 『アマチュア・ワークス』
291/375

8.青き希望の瞳


 全身が、(なまり)のように重い―― そんな例えが、本当におれの体に起きていた。

 全身が、燃えるように痛い―― そんな例えの中、おれは目を覚ました。


「……? あれ……?」


 四角い石の一室。

 でもそこは今までいた場所ではなく、もっと汚らしい感じの、暗くて狭い場所だった。


「どこだ…… ここ……」


 部屋の中に、斜めに光の帯が射していた。

 壁の高い位置から射し込む四角い光。それが月の光で、小さな四角い穴の向こうが夜だということはすぐにわかった。

 おれは部屋を見回す。清潔とは思えないベッドと、部屋の隅近く、不自然に立った薄い木の板が目に入った。


「……鉄格子」


 後ろを向いたおれはそれを目にした。そこには壁が無く、代わりに何本もの鉄の棒が並んでいた。


「……なんで?」


 おれは気を失う前の出来事を思い出す――





 ――痛みはなかった。

 人は怒りが全開になると、痛みを感じることがなくなるという。そんな話を弟から聞いていたが、本当だった。でもそれは一瞬で、床に転がったおれの全身と、殴られた顔面には受けたことも無いような激痛が走っている。


「行くぞ、パドレ。(しつけ)だ、回復はくれてやるな」


 おれを殴ったハリーゼルが、パドレとともに去ろうとする。


「ま、待て……!」


 痛む顔面を抑えて、おれは追いすがろうと体を起こす。


「……!?」


 おれは、絶句した――


「面倒をかけるな。お前は『勇者』として軍に入った。私の駒で、上官は絶対だ。わかるな?」


 振り返ったハリーゼル。

 その右の拳が、赤々と、『怒り』を(たぎ)らせるように燃え盛っていた――


「……わかればいい、今の行動は不問にしておこう」


 完全に気力を失ったおれに、笑うことさえもせずハリーゼルは去り、鉄の門が降ろされた。


 そして背後、石の壁がゴッと動く音が聞こえた――





 そのあとおれは、またスライムと戦った。

 戦って倒したあとには壁の上、鉄格子からおれを見ている軍服の連中から回復魔法が降った。木刀が折れれば、鉄格子から新しいものが降った。

 二匹、三匹、それくらいまでは憶えている。必死に生き延びようともがく中、倒し方も、なんとなくわかってきていたような気もする。

 どこかで失敗したという憶えは無い。多分、途中で力尽きたのだろうと、そう思う。


「『勇者』…… か……」


 おれは勢いよく、ベッドの端を蹴った――


「ふざけんなよ! 何が勇者だ! こんな勇者があるかぁっ!」


 ベッドの端を蹴って、蹴って、マットを殴って、殴った。鉄格子を蹴って、蹴って、蹴りまくった。


「泥棒かよ! 奴隷かよ! なんでこんなところにつっこんでいるんだ! 出せよコラ! 出せこの野郎!」


 叫びに叫んで、喉が痛く、体が痛くなっても、おれは暴れ続ける。

 でも体はすっかり弱りきっていて、すぐにくずおれた。

 ゆらゆらと、鉄格子の向こうから火の明かりが見えていた。なのにどれだけ暴れようと、わめこうと、誰一人来る気配は無い。暗い世界に一人、おれは閉じ込められ、ただ全身に寒さを感じるだけだった。


「どうなってんだよ…… なんで覚めない……!」


 ――白昼夢。


 今は暗く、夜に見ている、そして現実。見ていた記憶だって忘れない、脱出不可能な、覚めない現実だった。

 体が自分のものじゃないみたいに、浮いたみたいに感じた。喉の奥から息を詰まらせる痛く、苦しいような感覚がやって来る。

 どうせ誰も見ていない、見向きもしない。情けなく、泣いてしまってもいいのだろう。



 ――『それでなんとかしろ』



 だがおれは、泣く気にはならなかった。


「くそっ……!」


 立ち上がったおれは鉄格子を一発、思い切り蹴り飛ばす。無茶苦茶をする大人への怒りが、おれに涙を流させなかった。

 足裏に感じるしびれと暴れた疲れに押され、おれはまた床にへたり込む。学生服の黒いズボン越しに感じる、冷たい床の感触。その冷たさが、少しおれを冷静にした。


「どうすりゃいい…… どうすりゃ覚める……」


 考えを巡らせる。

 常識の外の世界。魔法があって、魔物がいて、魔王だっている。きっと学校で憶えることや、大人達の常識なんかでは解決出来ないだろう。

 なら、ゲームだ。きっと似ているからには、そこに解決の手段があるはずだ。


「……やるしか、ないのか」


 ――「魔王を倒す」。


 ()()()に、答えはそれ以外に無いように思えた。

 『勇者』としてこの世界に放り込まれた。なら『ゲームクリア』の方法は、それしかないだろう。


「クリア……? クリアする……? すればいいのか……?」


 それしかない。でも、『エンディング』はどうなる? おれは魔王を倒して、元の世界に戻れるのだろうか。

 魔王を倒したその後の勇者―― その続きが見られるゲームを、おれは知らなかった。


「っ……!」


 ふと、急なイラだちが湧く。


「冗談じゃないっ……!」


 こんな汚い牢屋の中、前向きに物事を考えようとした自分に対してのイラだちだった。


「知ったことかよ、クソ野郎が……!」


 世界が危機に瀕している? 経験値を積めば魔王を倒せる? だからなんだって言うんだ。

 それをおれがやって、得をするのはあの人間とは思えないクソ野郎じゃないか。


「ふざけやがって……!」


 おれはその場で、腕を枕にして床に寝転がった。

 床のゴツゴツとした石の感触が、全身に痛い。それでもかまわず、寝転がって天井を見上げて目を瞑った。ベッドがあろうと関係無い、使えば負けのような気がした。

 夜の冷えた空気と冷たい床が、おれの体温を奪っていく。

 起きたばかりでさっきまで暴れていたはずのおれの体は、寝ていた時間も興奮も、場所も無視して睡魔に襲われていった。


 ――このままじゃ、風邪をひくな……


 それもいいだろう。そんなことはどうでもいい。

 ひこうがひくまいが、そんなことは一緒だ。どっちにしても、明日もスライムと殺し合いだろう。あんなことをやっていたらいつかは死ぬ。ずっとやった先でも、もっと恐ろしい魔物か魔王か、何かに殺されるだろう。

 ゲームでさえ、一回も死なずにクリア出来たことなんてない。

 ひょっとしたら明日にも、あの軍人に殺されるかもしれない。さんざんに殴られて、映画みたいな拷問を受けて、それで殺されるのかもしれない。

 だったら風邪に殺された方が、よっぽどマシだ――


 そんなことをおぼろげに考えながら、意識が薄れていく――


 カツカツと、カツカツと、なにかが床を叩く音の中、意識が――



「……!?」



 赤い軍服―― ハリーゼルを思い出し、おれは一気に目を覚ました。

 やつが近づいてくる、それだけでおれの体は床から飛び起きていた。


「……?」


 カツカツ、カツカツ。ゆっくりとした床を叩く音。

 ハリーゼルの革靴の音を思い出していたおれだったが、よく聞くとその音は軽い。

 やがて鉄格子の向こうから、廊下を照らす、火の明かりが迫ってくるのを感じた。


 鉄格子の右端、石壁から、綺麗なカンテラをぶら下げた手が覗く――



 おれは、目を見張った。

 ()()()も、目を見張っていた。



 目を合わせたままの、数秒間の沈黙。

 どこまでも深く思える青い瞳に、火の明かりが揺れていた。


 それがおれにとっての、たった一つ許された「希望」との出会いだった――



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