6.滲む、赤
「うぁっ……!」
おれは床を這うそいつを見る――
ドロドロとした猫か犬か、それくらいの大きさの紫色の塊。
時折その粘液の体からは、人の顔のような形が首をもたげる。
じりじりと、床をてらつかせながらこちらへと近づいてくるそれは――
「スライム……!?」
ゲームでおなじみの、「魔物」そのものだった。
「なんだよ…… なんで……!?」
有り得ないと思った。「モンスター」だ、いるわけがない。だが実際にそいつはいて、おれに迫ってきていた。
一歩、一歩とおれは震える体を倒すまいと後退り、周りを見る。四角いだけの部屋、逃げられる場所はどこにも無かった。
――転がった木刀が、目に入った。
「くっそ……!」
もつれる足もまどろっこしく、床に投げ捨てられた木刀を拾う。ずっしりとした重みのそれは木刀じゃなく、硬い木の棒だった。どちらにせよ剣道なんてやったことは無いし、こんなものを生き物に振りかぶったことはない。
じりじりと、スライムが迫る。その動きははっきりとおれを狙っていた。
「く、来るなら…… 来い!」
内側から湧き上がる震えを押し殺し、生まれて初めて「凶器」を構える。
おれは子供で単純だ。殺されるとわかっているなら、相手が虫でも動物でも人間でも、本気で抵抗して殺し返せる。殺してしまえる―― そう自分に言い聞かせた。
そう言い聞かせないと、恐怖に呑まれる。そう思って――
「ん、んん……! んぁっ……!」
突然におれに飛びかかり、首から顔にかけて絡まったそいつに、おれは木刀の「柄」を叩き付ける。
二、三度叩き付け、絡まりが弱まったように感じたおれは、そいつをひっつかんで床にびしゃりと振り落とした。
「この野郎っ!」
おれは自分でも何を言っているのかわからないくらいにわめきちらしながら、ただひたすらにその弱った粘液へと木刀を振りまくる。
「死ね! 死ね! 死ね……! 死ねぇっ!」
粘液と、それを突き抜けて当たる床の感触に手がしびれる。だが構うものかと、おれは床ごとそいつを叩き続けた。
――何かしっかりした手応えとともに、木刀がへし折れる。
「あ……」
武器が壊れた、絶望感。その感覚に血の気が引いた時。
目の前のスライムは、黒い霧になっていなくなった――
「はぁっ……! はっ……!」
息をついておれはその場にへたりこむ。
殺せた―― 倒してやったと、心底ほっとした。生き物を殺した罪悪感は欠片もなかった。自分が助かったのだという気持ち以外には、何もなかった。
戦いの最中、スライムに噛みつかれた場所はわからないくらいにある。粘液まみれになった学校の白いシャツは、ところどころに赤く血が滲んでいた。
がしゃりと音が立ち、鉄格子の門が開いた。
その向こうからは赤い軍服の男と、ここに入る前にいた法衣の男が入ってくる。
「しっかりしろ、息は出来るかい?」
法衣の男がおれの前に座り込む。おれはがくがくと、震えの収まらない体でなんとかうなずきを返した。
そばまで来た赤い軍服の男が、冷淡な声で言う。
「パドレ、データを取れ」
応えるように法衣の男―― パドレという名前なのだろうか? そいつが俺に手をかざした。
降りかかる、緑色の光。その光を見ていた法衣の男が、目を見開く。
「……! これは……!」
「どうだ?」
「伝承の通りです! 彼は……!」
明るい表情を見せる法衣の男。赤い軍服の口髭が喜色ばんだ。
「な、なんだって…… 言うんだ……」
おれにはそう言ってみるのが精一杯だった。
赤い軍服が、見下ろしたままに答える。
「喜べ、お前は間違い無く『勇者』だった。そういうことだ」
目元を動かさないその笑顔に、おれは一瞬、今の戦い以上の恐怖を感じさせられた――




