27.c14,12/19 午前
カップをすすり、テーブルの上へと置いたデイトルが息をつく。
「なるほど…… 手筈は整ったか」
「ああ、あんたの協力のおかげだ」
五日後、四周目最終日前日、午前――
辿るべき道を選び、準備を終えたダテは、最後の実行を前にデイトルの部屋へと訪れていた。
「それはよかった、あちこち電話した甲斐もあったというものだ」
「助かったぜ。俺一人じゃこの町のオカタイ情報は調べられそうになかったからな」
ダテはテーブルの上、広げられた大判の紙へと目を落とす。
描き込まれた無数の線はアキュラの港町一帯を表し、そこかしこに赤字による矢印や時刻が書き込まれていた。
「ナタリーには悪いが…… 俺はここに留まっているわけにはいかない。あんたと違って退屈で死ぬからな」
「はっはっ…… これも悪くは無いと思うがなぁ」
「そういや、あんたにも迷惑かけるな。『未来』ができるとすれば、これまでみたいな予測経営が出来なくなっちまう」
「なになに、かまわんかまわん、変わっていたものが戻る、それだけだ」
その選択と決断に、再びの迷いを感じなかったということはない。
ただ玄人として、手を抜くような真似だけはしなかった。
「……何を思ったにせよ、決心がついたならそれはそれでいい。前は随分と意地悪な物言いをしたようにも思うが、どの道『未来』など予測不可能なものだ。人はその時々の判断に良かっただの悪かっただのとイチイチ評価をつけたがるが、長い目で見ればその結果すらも良いか悪いかは判断できんもんだ。己のわがままを悪びれる必要は、当人が思ってるほどには無いのだろうよ」
「そうかい……」
思わぬ気遣いに、ダテは苦笑してカップを手に取った。
辿り着いた四周目、最後の一幕。
何度と飲んできたデイトルのコーヒーもそろそろ終いかなと、ダテはそのありふれた香りを噛みしめた。
「では、うまくいくように祈っとるよ」
「ああ、お互いにな」
アキュラの港町が、夜へと包まれる。
方々の窓と街灯に灯される明かり。遠く海にたゆたう赤い灯台の明かり。
十日にして約四十日。長く過ごした町の夜景を、ダテは港の一画、高い屋根の上から見下ろしていた。
空の彼方、彼の後方から一点、金色の粒子を散らしながら小さな妖精が近づく。
『そろそろです、大将』
「ああ」
ダテはこの世界で、おそらく半世紀以上と先に生まれるであろう携帯電話を開いた。
デジタルの表示が示す時刻はまもなく、十八時四十五分となる。
「長い見張り役、ご苦労だった」
『いえいえ。それよりもお早く、もう通りますよ』
ダテは屋根を走り、建物と建物の境へと飛び降りると、路地裏から壁を背にして通りをうかがった。
通りの反対側には、波にゆるやかに揺れる停められた小さな小舟達。
『来ました……!』
クモの合図で、ダテは通りへと足を踏み出す。
そしてふらふらと歩み、彼はその場所で―― 地面へと突っ伏した。
その場所は、ムクィドから少し離れた場所。
ダテが彼女と出会い、そして後の世界の運命を決めた、その場所。
「……!」
雪の残る地面。倒れた彼へと、人の歩み寄る気配――
「大丈夫ですか……?」
その声は知っている。これで四度目だ。
「ん……」
伸びてくる手を感じつつも、ダテは動かずにいた。
「どうしたんです!? しっかり……!」
「う……」
緩慢に顔を上げた先には、心配そうなナタリーの顔。
スーツ姿に、明るい色合いのコート。普段よりも幾分と上品に見える。
「す、すみません…… お金から何から全部盗まれて…… 行き倒れてしまって……」
ダテは彼女の手を取ろうとはせず、再び地面へと突っ伏する。
「起きてください! 凍死してしまいますよ!」
「……ど、どなたか存じませんが…… 救急を……」
そしてそれだけを言い残すと、意識を失った体を装い、目を閉じた。
「……っ!」
倒れたままにダテは、時を待った。
彼女が傍を離れる様子は無い。だが、自らの体に触れる様子も無い。
今が今だ、きっと逡巡があるのだろう。
ダテは「悪いな」と思いつつ、ただただ、時を待った。
「え……?」
小さく発せられた、彼女の声。
数分と待つこともなく、唐突にまわりを囲む複数人の足音が聞こえた。
うっすらと目を開けた視界に、オレンジの制服を着た男達と、その登場に驚くナタリーの様子が映る。
「……これはひどい、すっかり冷たくなってる」
男達が手際良くダテを持ち上げ、転がし、担架へと乗せていく。
そしてダテは、救急車へと運ばれていった。
『あなたが通報してくださった方ですね?』
『え? いえ……』
その会話をダテは車の中から、クモを通して耳にする。
『すみませんがご一緒にお願いします、一刻を争いますのでお早く』
『あ、いえ、私は……』
数秒の、戸惑いとためらいを感じる沈黙。
だがその答えは、『定められて』いる。
『……わかりました』
現れ、押し込められた救急車。
その車体はダテとナタリーを乗せて、遠く港を離れていった――
「……そうですか、無事病院に。ああ、いえ…… 十数分前に倒れているのを見て、今更ながらどうなったかと心配になったもので。いや、どなたかが通報してくださったのなら何より。教えてくださってありがとうございます」
町の広場近くの通り、一基の電話ボックスからフードを被った男が出る。
「いやはや、申し訳無い。お待ちいただいて」
「いえ、こちらの予定は…… 無くなってしまったようですから」
白いコートに白い帽子の男が、寂しそうに首を振った。
「……お相手の方は、きっと避けられない急用が出来てしまったのでしょう。お気を落とさず」
「そうであれば救いなのですが……」
フードの男は蒼く深い色の瞳で、行き交う人々と町の彼方を見つめた。
「さ、行きましょうか。こういう日は飲んでしまいましょう」
「あ、いえ…… 私は酒は……」
「大丈夫、こういう日は飲めるものです。飲んだ方がいいと体が求めてくれるのです。人間というやつはね」
その口ぶりに、白い帽子の男が口元を緩ませた。
そして二人は町を歩き始める。
「ありがとう、私はジャドと言います。あなたは?」
「デイトル、しがない古書店の主ですよ」
この世界、最後の夜――
誰知ることの無い小さな変化が、この町の中に起きていた。




