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玄人仕事  作者: 千場 葉
#8 『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』
279/375

26.c14,12/14 午前


 冷たく暗い、石の一室。

 床の上には豪奢なカンテラが置かれ、暖かな光を揺らいでいる。

 その僅かな時間は彼にとっての稀少な温もりであり、唯一つ、希望でもあった。


『ねぇリョウイチ…… 『未来』って、あるのでしょうか?』


 背中合わせに座る、少女が言った。


『いきなりだな…… どうしたんだ?』


 彼はパンを咀嚼(そしゃく)しながら、少女へと振り返る。

 ラベンダーの花のような淡い色合いの、触れれば手を流れそうな長い髪が、カンテラの明かりを返す。彼と少女の背の間には、錠前を掛けられた鉄棒の群れ。彼は未だ少女の姿を、格子無しに見たことはなかった。


『今はこんな世界ですけど…… この国ももとは緑に包まれた、美しく豊かな地だったのです。『未来』があるとすれば、そのような地に戻っているのでしょうか?』

『……わからないよ、おれは今のこの世界さえもロクに見ていないんだ』

『申し訳在りません……』


 小さくなってしまう少女に、彼は自分が嫌になる。

 本当は、そんな答え方をしたいわけじゃなかった。ただどうしても口調が尖ってしまう。それはきっと全身の痛みと、切れてしまった口の中のせいだ。そう思いたかった。


 『未来』――


 『未来』とは、どうなんだろう。『明日』よりはマシなのだろうか。

 黙し、ただ座っている少女の存在を背中に感じながら、彼は自分の手元を見る。


『……パンが、食べたい』

『パン……?』


 少女が振り向く。

 彼の手元には、食べかけのパンがあった。

 塗ったバターが救いなだけの、味気の無いこの世界のパン。


『餡子とか甘いクリームとか、中身が入ってるパンだ。『未来』はわからないけど、いつかここを出られたら、おれはそれが食べたい』

『リョウイチ……』

『その時はまた…… 紅茶を入れてくれ』


 こんな場所には似つかわしくないティーセット。そのカップを手に彼は言った。

 彼は顔を背け、一気に飲み干す。

 ゆらゆらと踊る明かりの中、少女の顔に小さく微笑みが灯っていた。





 アキュラの町――

 往来する商店街のまばらな人々の中に、紙袋を抱えたダテの姿があった。


『デイトルさんがお金くれてよかったっスね』

『ああ……』

『今日は…… 四日目ですな。ってことは以前なら確か――』

『ムクィドで酔っ払いが暴れる日だ』


 紙袋の中からパンを取り出したダテは、歩きながらにかじりつく。

 時折吹き抜けていく冷たい潮風の中、焼きたてのパンは熱く体を通っていった。


『それって…… 朝ご飯ですか? お昼?』

『さぁな』


 ムクィドと関わりを持たずにおいた四周目の日々。直接訪れることはなくとも、店の様子は(うかが)っていた。

 そこにダテがいなくとも別段変わったことは無い。半ば用心棒として雇われていたダテではあったが、こんな場所で店をしているマスターはそもそも騒ぎには慣れている。きっと今日の騒ぎも、ダテがいなかった一周目以前のように、何事も無く終わるのだろう。確定している未来に、心配の必要は無い。

 ダテがムクィドにいるいないに関わらず、日常は過ぎ、終点へと向かう。

 そして世界はまた繰り返す。何事も無く、平穏に――


『……大将、どこか悪いですか?』


 もくもくと、パンを食べつつ想いを巡らせていたダテが足を止める。


『何か今日は、一段と元気が無いようで……』

『……俺が病気と無縁なのはよく知ってるだろ』

『それはそうですが……』


 間が抜けているようで、面倒なほどに勘がいいなとダテは思う。


 ――「お前さんは、どうするかね?」


 あれ以来、口には出せないが答えに迷い、参っているのは確かだった。

 そして今日は、()()も悪かった。


『なぁクモ……』

『はい……?』


 最後の一口を呑み込み、ダテは歩き出す。


『『未来』ってのは、なんだろうな…… あった方がいいんだろうか……』

『それは…… あった方が……』

『十年後…… 俺はどこかの「仕事」で死んでいるかもしれん。もしかしたら何かの弾みで力を失って、「仕事」とも縁遠くなって…… ただの歳を食っただけの、食うにも困るただの中年になってるかもしれん……』


 有り得ない話ではない。明日も未来も、今日さえも不確かな生き方だ。

 人生はチェス盤では無く、その気質はルーレット。それは最早痛いほどに理解出来ている。

 ただ自身の人生には、癖のわかるディーラーも、有効な賭け方も用意されていなかった。


『今を壊してまで、前に進む意味はあるんだろうか……』


 確実に壊れる、誰かの今がある。

 そしてわざわざと、壊した先に待つものは、なんだろうか――



『……あると言わなきゃ、大将じゃないっス』

『え……?』


 振り返った先には、いつもの笑顔。


『何言ってんスか、食うにも困ってるのは今も一緒でしょ? 周りがみんなバカみたいに強すぎて、大将の力が通用しないような世界だってこれまであったじゃないっスか』


 その笑顔には、まるで違うはずなのに、あの面影が映る――


『それでも、いつもガチでつっこんできたから今があるんしょ? きっとこれは世界の、あの…… おおいなる……? おおいなる……?』

『『大いなる計算』、か?』

『それそれ! それだけで成り立ったってもんじゃないっスよ、ちゃんとご自分のお力と意思で「仕事」をブチ抜いてきたっス。これから何があったって、大将なら大丈夫っス! もし一般人になって無職中年になっても、大将ならどっかで年収二百万くらいの就職をこなすっしょ!』


 ()()か、賭ける気力すらも失いかけていた自分を、今へと導いてくれたもののあの面影――


『……それはまた、希望ねぇな』


 ダテは苦笑して、歩き出す。

 気づけば商店街の向こう、見知ったあの本屋が見えていた。


 二人の子供が路上で遊んでいる。

 二階の窓が開き、デイトルが顔を出して子供達に手を振った。


 兄弟らしき子供達はデイトルに手を振り返すと、ダテの横を走り抜けていく。


 笑いながら商店街を小さくなっていく、二つの小さな背中――

 小さく、小さく、ダテにも見えない通りの先まで、駆け抜けていく――


「よし…… やるか」


 ダテは軽く片手を、握り締めた。


『はい?』

『やるぞクモ、このループをぶっ壊す。こいつは俺の、わがままだ』

『……あい!』


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