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玄人仕事  作者: 千場 葉
#8 『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』
274/375

21.c13,12/19 夜 (後)


 広場のある通りから数分と離れた閑静な一画。

 この町ではただ一件の、格付けガイドブックにも記された高級料理店に二人の姿はあった。


「驚いたよ…… まさか女性だったとは……」


 華美に過ぎない装飾が彩る店内を、間接照明と窓から差し込む街灯が上品に照らし出す。今日のためにとこの席を用意してくれていた男の雰囲気は、店の空気感に溶け込むようだった。


「は、はい…… すみません……」


 店は穏やかにして静か。環境音は食事の音と、ごく小さなクラシック音楽の調べ、そして離れて配置された別席からの歓談のささやき程度。それでも彼女の心は静まることとは無縁だった。


「いや、驚いただけだよ。君がケリファ、それならそれで、僕はただ会えて嬉しい」

「……すみませんでした」

「え? 何がだい?」

「いえ…… まさかワシムさんがご本人だとは思いもせず、これまで随分失礼なことを……」


 もちろん、自身には不相応に思える店への気後れはある。だが彼女にはそれよりも、対面する相手へのいたたまれ無さの方が大きかった。


「はっはっ……! いやいや、気にしないで。むしろ僕の方こそ謝らなきゃ、早く本当のことを言うべきだった。いや、やっぱり、言わなくて正解だったかな、言っても信じてもらえないで縁が切れたかも知れないし」

「……かもしれません。時にワシム…… いえ、ジャドさんは――」

「呼びやすい方でいいよ」

「では…… 時にワシムさんは、ご自分でご自分の書いたことを否定なさったりしていたわけですし……」

「うん、そうだね。でも、それは君ならわかるはずだ。これだけは変わらずにずっと言ってきているように、記憶も物もいつかは消えてしまう―― 正しいのかもわからない不確かなもの。過去なんてものは存在しないんだ。僕の書いたことや言ったことは、そこに置いた時点で過去のもの、今の僕には関心の無いことなんだ」


 緩やかに、饒舌に、紡がれていく彼の言葉。


「……本当に、ワシムなんですね……」

「……?」

「ごめんなさい、ご本人だとわかっていても…… その言葉の投げ方がやっぱり私の知るワシムで…… す、少し混乱していますね、はは……」


 彼の言葉が彼女に、少しだけ落ち着きを戻していた。

 教師としての、講演者としての、訓練を積んできた者の口調の効果というだけになく、彼の言葉には彼女に響く、積み重ねられてきた年月が入り込んでいた。

 彼女の様子に、彼は一心地置くように体を背もたれに預けた。


「……呼び捨てがいいな」

「はい?」

「いつからか、僕たちの手紙の中に敬称はなくなっていた。実際に会ったからといってそこを戻す必要は無いと思うんだ。僕は随分と年上だけど、君のことは親友だと思っている。どうぞワシムと呼び捨てて、気軽にしてくれると嬉しい」

「……はい、ワシム」


 伏し目をして、少し照れくさそうに笑顔を送る彼へと、彼女は同じように笑顔を返した。

 初めて顔を合わせて、まだ半時間も経っていない。それでも彼女からは、この時を境にもう警戒心は消えていた。例え本人がジャドであろうと、やはり出会えた人はワシムだった。そこに偽りは無かった。


「でも、君のことはさすがにケリファとは呼べないな、えっと、君は……」


 本名を聞いてよいものか、そんな迷いを感じた彼女は、ためらいを見せることなく明るい笑顔を覗かせる。


「ナタリーです、ケリファは今の私の雇い主から借りました」

「そうだったのか、ではナタリー、改めてよろしく」

「はい」


 お互いに本名を明かし合う。奇妙に改まった雰囲気に、二人して笑い合った。


「ああ、そうだ、これは…… ()()()から」


 ジャドは上着のポケットから二つ折りの財布を取り出す。中から一枚の紙片が引き抜かれ、彼女の前に置かれた。


「あっ…… これって……」


 紙片を前に、彼女が息を呑む。


「明日の集いのチケット。嫌じゃなければ、是非最前列でどうぞ」


 『ゲスト用』と印字されたチケットをナタリーは手に取る。その瞳は、わずかに潤んでいた。


「いいんですか……! 本当に……!?」

「もちろん。『一緒に見よう』とか書いておきながら、まさかこんなに遠くの国で、即日満席になるとは思っていなかったんだ。ひょっとしたら抽選にもれちゃったかと思って持ってきたんだけど……」

「そうなんですよ! すごい人気で……! 誘っていただいてるのに手に入らなくてどうしようかと……!」

「喜んでもらえて嬉しい。感想も優しいと嬉しいかな」

「それは…… どうでしょう?」


 二人はまた、笑い合う。


 ――楽しそうに語り始める二人の様子を、空飛ぶ妖精が一つ、穏やかな瞳で見つめていた。





 料理店を出た二人が、アキュラの町を歩く。

 二人は人の多い通りから離れ、港の方へと流れて行った。


「ああ、これがそうなのかい?」

「ええ、神話の人物タカが迫り来る津波を打ち払ったという伝説、その碑です」

「いやぁ、一度見てみたかったんだけど…… 思っていたより小さいな」

「観光の方は皆さんそう言われます、有名な絵画に出てくるこの碑は大きく描かれていますからね」


 港の一旦に、コートを身に纏った、杖を掲げる男の像があった。


『この国の神話の服装は現代的っスなぁ……』


 異世界に見る神話の像は、ローブを纏っているわけでもなければ、古代ギリシャっぽい服装をしているわけでもなく、なんとなくどこかの大将をおしゃれにしただけの感じに見えた。

 どこかの大将の普段の寝間着姿を思い出し、ジト目になるクモ。


『うちの人ももうちょっと身なりに気を使えば少しはマシに…… おっと、いけねっス』


 再び歩き出したナタリー達を、クモは慌てて追いかけだす。

 人種の違いはあれど、親子のようにも見えてしまう二人の間には、もう出会ったばかりの頃のようなよそよそしさは感じられなかった。二人の会話は間断無く続く。それはまるで、直接会うことが出来なかったこれまでを埋めようとする、僅かな時間も惜しむような語らいの時間に思えた。


『よっぽど、会いたかったんスなぁ……』


 話している内容はやや哲学的で、クモにはよくわからなかった。ただわかる話をしていたとしても、クモはさらりと聞き流していただろう。

 「仕事」に直接関わらない個人の事情には触れない。


 ――俺達は違う「世界」に結びつけられてるんだ。よそ者がなんでも関わっていいもんじゃないのさ。


 どこかの大将の信条は、クモの中にも生きていた。




「そうだ…… ムクィド、見に行ってもいいかな?」


 港を右手に、足を止めたジャドがぽつりと言った。


「ムクィド……? 私の職場ですか?」

「ああ、君の日常の在る場所が見てみたい。僕は酒は飲めないけど、料理も美味しいんだろう?」


 彼が狙ってここへと歩いていたのかはわからない。だが今いる場所は、クモもよく知っているいつものダテの通勤経路だった。ここからならば、ムクィドへは数分の距離だ。


「えっと……」

「心配しないで、長居しようってわけじゃないし、君と交わしていたやりとりはケリファさんには言わないよ」


 突然の申し出にナタリーが迷いを見せる。職場での日常と個人の日常。二つの違う世界の垣根を崩し合わせることに、抵抗はあったのだろう。しかし彼女はほどなく――


「……はい」


 と、頷き、小さく微笑んだ。


『ちょ、こ、これはマズイっス!』


 歩き出す二人の穏やかな表情とは裏腹に、クモは焦って羽をバタつかせる。

 今時分のムクィドには、自分に偵察を頼んだダテ本人がいる。こっそり見ていなければならないはずの二人を、彼らのもとへと行かせるような予定外のことは――


『……あれ?』


 そこでクモは思い至った。

 今時分、ムクィドにはダテがいる。マスターも当然いて、今日はデイトルもいるだろう。


『……? この日って、お二人がムクィドに来るようなことは……』


 出会ってこれまでに何かがあって、『変化』が生まれて二人がムクィドへと向かうことになった。それならばわかる。しかし、クモは()()()()()()だ。二人の行動や会話に対して、影響を与えるようなことは何一つしていない。

 二人は二人の中だけの、自然な流れの中で行き先を決めたことになる。

 しかし十二月十九日―― 最終日の前日であるこの日、彼らがムクィドに現れたという記録はこれまでに無い。


「あっ、この場所……」

「どうかしたかい?」


 小首を傾げ、空中に立ち止まっていたクモが声に振り向く。ナタリーが足を止め、地面を見つめていた。

 右手には海、左手には倉庫や船会社が並ぶ。彼女が見ているその場所は――


「……一週間前になりますか、この場所で人が倒れていたんです」

「人が?」


 彼女との出会いの場所。今も冷たく雪が残る、ダテとクモにとってのスタートポイント。


「外国人の方で、旅先で何もかも失って行き倒れになってしまったそうで……」

「なんとも気の毒な話だね…… こんな寒い中で……」


 帽子を取り、祈るように胸に当てるジャド。

 そんな彼へと、くるりとナタリーが明るい笑顔を覗かせた。


「今では元気に働いていますよ、この先の酒場で」

「え?」

「ワシムの言う通りですね、出来る人助けは多少の勇気を以てでもするものです。助けた彼は私達を助けて、毎日一生懸命にムクィドの一員として何から何までやってくれています」


 街灯の下、ナタリーは笑みを灯らせて歩き出す。

 その後ろで胸に帽子を当てたまま、ジャドは立ち止まっていた。


「ワシム?」


 着いてこようとしない彼へと、彼女が振り返った。

 放心したようにうつむいていたジャドが、彼女へと顔を上げる。


「……ナタリー、もしよかったら――」


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