20.c13,12/19 夜 (前)
三周目、最終日前夜。
やはりデイトルを迎えたムクィドでは、やはり今までと変わらない会話が繰り返されていた。
カウンター席を挟むのは、知人の来訪に楽しげに話すマスターと、ぶれの無い返答をするデイトル。そして、なんだかサカナのような目をしたダテ。
ナタリーが休みの十二月十九日。会話のくだりは「どうしてデイトルは一目でダテが、客商売よりも体を動かす仕事の方が得意と見抜けたか」、丁度そこを過ぎたところだった。
「デイトルさんはね、知る人ぞ知る「賢人」なんだ」
「よしてくれ」
同じくだりを三度繰り返し、既に知りながらに演じているダテとデイトル。彼らの前で何を知る由もなく、ただ定められた通りに動くマスター。普通な者が歪に見え、歪な二人が普通に思える。ナタリーがいなくてデイトルがいる、たったそれだけで逆転してしまう立場をダテは奇妙にも思う。
「隣国ダンニワスにおわす賢者様達に認められるほどのお方でね。今でもたまに、デイトルさんの古書店には色々な国から教えを求めて迷える人々がやってくる。実のところ、こんな粗暴な港町にはもったいない人なんだよ」
「はぁ…… そうなんですか……」
ついとダテは、よく飽きないなという目でマスターを見てしまった。それが当然であることは、わかりきっている。マスターにはデイトルのように、あえて同じ内容を演じているという雰囲気は無い。ただ、一生のうちの一回を演じているだけなのだ。それを不憫と思っていいのかは、ダテにはわからなかった。
そしてマスターはこれまでと全く同じ、今でこそ意味を持つ噂話を口にする。
「なんか今度、どこかの国から思想家? っていうか、結構有名な偉い人が来るみたいなニュースをテレビで見たけど、そんな人はデイトルさんがいるこの町には必要無いと思うね」
――ジャド…… か。
盗み見た手紙に踊った、その名前を思い出す。
昨日一日、おそらくは手紙のことを考えていたのだろう、ナタリーは上の空という様子だった。ここでのやりとりと同じく、一周目も二周目も、彼女は同じ様子だったのだろう。何も気づかずにいた自分を、ダテは情けなくも思う。
今日、ナタリーは例の手紙の相手に会いに行く、それはまず間違い無い。そして明日の昼、彼女はジャドとともにテレビ番組に参加することとなる。
手紙を受け取った彼女の行動が、どうその結果に繋がるのか。
それを知るためには今は待つより他は無く、それがダテには歯痒かった。
「――ってダテくん、聞いてる?」
「へ?」
物思いに耽っていたところに、マスターから声がかかった。
「あ…… 聞いてますよ?」
「そうかい? 最近ちょっとぼんやりしてない? 大丈夫?」
これまでにはなかったマスターの言動に、油断していたダテは焦って取り繕う。
「あ、いやいや、そんな。しっかりしてますよ、マスターの名前がケリファだってこともちゃんと覚えてます」
「いきなり何言ってんの? ……うん? あれ? 名乗ったかな?」
観客として見ていた芝居の壇上から、突然に声をかけられる。現実と非現実が一緒くたになったような、そんな感覚だった。
「ほう、マスターはケリファというのか、良い名前だな」
ダテが生んだこれまでに無いパターンに興が乗ったのか、デイトルが割り込みを入れた。つい漏らしたわけのわからない弁解だったが、追究からは免れそうでダテはほっとする。
「知らなかったんですか? それはショックだなぁ……」
「いやいや、初めて聞いた。戦記の名将と同じ名前じゃないか、男らしくていい名前だな」
「いや、ははっ、名前負けのようでお恥ずかしい」
マスターの名前を素直に称えるデイトル。
――……? 今…… なんて言った?
そこに妙なひっかかりを覚え、ダテは眉を潜める。
「マスター、ナタリーが文通してる時のペンネームって知ってます?」
「ん? ああ、私の名前だろ? 知ってるよ。かっこいいから使いたいって言われて、いいよ、って言っちゃったからね」
「ふむ、匿名にはいい名前だな」
「あの子意外と…… ってほどでもないか、恥ずかしがり屋だからね。性別も内緒でやりとりしてるんだってさ」
何か前提が大きく崩れたような、奇妙な違和感がそこにあった。
「性別も内緒…… そういうもんなんすか?」
そこに意味があるのかどうかは、わからない。だが聞かずにはいられなかった。
グラスをからんと回したデイトルが、愉快そうに笑みを浮かべる。
「別に珍しいことでも無いな。素性を伏せているからこそ、しがらみを抜けてただ人間同士として話せることもある。文字は不自由な道具だが、そこから生まれる真の友情があっても不思議ではないかな」
「深いですな、さすがデイトルさん」
「だから適当言ってるだけだってば」
――『願わくば親友でありたい文の友、ワシムより。』
「真の友情……」
ダテは手紙の文言を振り返りながら、夜の港が映る窓へと目をやった。
雑多に人が行き交う、商店に挟まれた二車線の道路の町並。
一周目の明日、ダテが散歩していた通りをナタリーが歩いていた。
『ん~、もうすぐ十九時半っスな。さすがはナタリーちゃん、時間ぴったりに着きそうっス』
彼女の隣には誰の目に留ることも無い、ファンタジーな存在が浮かんでいた。
ダテに命じられるままに監視についたクモ。一緒にいながら気に掛けられさえしないことは寂しくもあれど、ただ見ていればいいという今は有り難くも思う。
上の空だったりソワソワしていたり、着ていく服に悩んだりするところまでを見る羽目になっていたのだ。普段クールに見える彼女のそういった一面を覗き見た身としては、いないものとして徹していていいならば、それが一番でもある。
『……これで相手が来ないとかいう展開は、無しにして欲しいスな』
やはり初めて会う手前、礼儀を重んじたのだろう。カタ過ぎないにしても、選ばれた服はスーツだった。そこにいつもの出勤の時とは違う明るい色のコート。一緒に過ごしていた身内贔屓を抜きにして、洒落た町並に彼女は溶け込んでいた。
『やはり大将とは、ものが違うっスな』
いつも安っぽい黒ジャンパーな宿主に対して失礼なことを考えていた矢先、彼女は例の広場へと足を踏み入れた。
『ん……? あれっスか?』
待ち合わせに訪れる人々の中、『白い帽子』を被った背の高い人物はすぐに目に入った。
白い帽子に、白いコート。その人物は彼女らに背を向けて、中央の時計台を見上げていた。
戸惑うような動きで、やや早足にナタリーが歩み出す。
「あ、あの……」
白い帽子の人物が、振り返る。
『……!』
「えっ……?」
振り返った、男。
思わずと目を見開くクモと、声をあげるナタリー。
「……? どうかしましたか、お嬢さ…… まさか……」
男とナタリーの間に、戸惑いが生まれた。
互いの戸惑いの一致が、二人の間に理解を生む。
「ワシムさん……!?」
「え? え? 君が…… ケリファ…… なのかい?」
その男は浅黒い肌に優しい顔立ち、丸い眼鏡をかけた男――
――ジャド本人だった。




