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玄人仕事  作者: 千場 葉
#8 『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』
272/375

19.c13,12/17 夕


 太陽は海へと傾き、港は青とオレンジのグラデーションに染まっていく。

 光り始めた街灯の通り、酒場の前に立つ男が、チリトリをホウキでかんかんと叩いた。


「あらダテさん、お早いですね」


 掛けられた声に、掃除用具を持ったダテが顔を上げる。

 まだ店に入る前の、髪をまとめていないナタリーの姿があった。


「おう、おはよう」

「そろそろこんばんはですね」


 「たしかに」と頭を掻くダテに、ナタリーがくすくすと笑った。


「機嫌良さそうだな、どうした?」

「え? いや、なんでも。じゃあね」


 ナタリーが手元に持った封書に目を落とした一瞬を、ダテとクモは見落とさない。

 彼女はムクィドの建物に張り付く、二階への鉄骨階段を上っていく。


『クモ』

『あいっ!』


 クモが上昇し、(あらかじ)め開けておいた二階の窓から侵入した。


 ――あの封筒だ……


 十二月十七日。彼女が手に携えた一通の封筒。その中に入っている手紙こそが彼女の動向を決め、世界をループへと陥れる。

 わずかな情報達の中から導き出された自らの答え。ダテは二階を見上げ、その正否の確証を待つ――


 やがて二階の窓から、金色の光の粒子とともに妖精が飛び出した。


『どうだ?』


 ダテの思念の先、小さな指先が「OK」のサインを見せた。





 深夜、ムクィドでの労働を終えて戻った仮住まい。

 テーブルに敷かれた紙の上を、ペンを抱えたクモがよちよちと踊る。


『ふ~、大将、これで出来上がりっス』

『ああ、よくやった』


 クモによって書かれた数行に亘る文章。

 ダテは静かに、並ぶ異国の文字へと手のひらをかざした。


『気がとがめるっスな……』

『他のやりとりはともかく、こればっかりは確かめねぇとな……』


 その一連の文章は、ムクィドの二階にてナタリーが開いた、例の封筒の中身だった。

 クモは一度目にした物の造形を完全に記憶することが出来る。それは例え、読むことの出来ない文字であっても変わらない。そしてダテには――


「『解読(ディサイファ)』」


 並べられた文字の一群を、自らの慣れ親しんだ言語へと変換する魔法が備えられていた。


 手のひらに白に近い灰色の魔力―― 「時空」属性の魔力が集まり、薄いもやが霧のように紙の上を戯れる。「解読(ディサイファ)」の魔法が効果を現し、文章が「日本語」へと塗り替えられていく。




 ――親愛なるケリファへ。


 少し忙しく、乱筆になってしまうが容赦してくれ。

 何より、らしくもなく楽しみのあまり少しばかり興奮しているのだ。


 突然のことで驚くかと思うが、今度私はアキュラへと赴くこととなった。

 そう、君の住む、アキュラの港町だ。


 今私は、その準備に追われて忙しい。


 君と文を交わすようになり、もう一年以上になるのか。

 人生に迷う君が気になり、せめて力になれればという想いで続けていたこの文通だったが、

 君という人間の優しさに触れ、気づけば私の方こそが癒やされるようになっていた。

 本当に君には、感謝の念が絶えない。


 どうだろう?


 このような機会がまたあるかはわからない。

 よければ私と、一目会ってくれないだろうか?


 私は君と一緒に君が手紙で語る、君の町を見て、一緒に寒さに震えてみたい。

 飲めない酒をなんとか舐めながら、君と目を合わせ、この口をもって、

 これまでさんざと手紙で語り合った、「人間」について論じたい。


 そして一緒に、賛同と批判を交えながら、来たるジャドの講演を見よう。

 全て叶うのならば、今それに勝る喜びは考えられない。


 この手紙が着く頃、私はもうその町にいる――


 願わくば親友でありたい文の友、ワシムより。




『大将、こちらを』

『……これは』


 ダテが読んでいる間、クモが書いていたもう一枚の紙を手に取る。無数の線と文字が描き込まれた、地図らしき一枚へとダテは手をかざした。


『俺がホットドッグを食っていた広場だな…… 時刻は十九時半、白い帽子を被って待っていると書いてある』


 「解読(ディサイファ)」によって注釈が日本語化され、地図は周辺のものであることがわかった。町の上空からの風景はクモによって一度脳内へと送られている。記憶している特徴のある建物からも、場所に間違いは無いようだった。


『大将…… お手紙にはなんて?』

『……どうやら、当たりみたいだな。ワシムってペンネームの男が、ナタリーに会いたがっている。そしてこっちは場所の指定だ』

『イジワルしないでお手紙を読んでくださいよぉ』

『それは勘弁しろ、人の手紙だ』

『ぅむぅ……』


 「解読(ディサイファ)」の魔法は、術者であるダテ以外には効果を共有出来ないものだった。せっかくの自らの働きによる収穫であり、内容の気になるもの。クモが知りたがるのもわかるが、ダテは口外をやめておいた。

 個人的なものであるということもあるが、単に口にするのが気恥ずかしいという面もある。日本人として育った彼の気質には、その文面は大げさに、情熱的に過ぎて映った。


『クモ、これを読んでいた時のナタリーの様子は?』

『ああ、そりゃもう…… 嬉しそうというか感極まったっていうか涙ぐんで……』

『そうか……』


 だが、表現の文化は違えど、その気持ちは理解できる。受け取ったナタリーにしても、送ってきた相手にしても、お互いに一年もの間のやりとりがあるのだ。手紙に文字を書き、送り、そして待つ。その面倒を越えて続いた一年。相当な信頼関係が生まれているのだろう。

 そんな経験は持たないダテにも、想像は(かた)くない。


「う~む……」


 ダテはテーブルを離れ、ベッドにごろりと横になった。


 彼女ら個人の気持ちはさておき、文面から読み取れる情報を整理してみる。

 以前にナタリー本人から聞いた通り、文通はお互いに匿名で行われていた。受け取ったナタリーは「ケリファ」、送り主は「ワシム」というペンネームになっている。

 海外にいて、心理学を教えていた大学の教授。そして、二周目の最後の日にテレビで見た親しげな様子から、ダテは「ワシム」がジャド本人である可能性を考えていた。だが文面には、「一緒にジャドの講演を見よう」とある。単純にその内容通りであれば、ダテの前提は早とちりであり、ただの思い込みともなる。

 今持っている情報からだけでは、「ワシム」の正体を特定することは出来ないようだった。


 しかし、これではっきりとしたこともある。

 ダテが仕事中、ムクィドに置かれている新聞で調べたところ、ジャドの講演は十二月二十日―― 最終日の午前中となっていた。この手紙の差出人が誰であろうとも、ナタリーは相手に会いに行き、翌日ジャドの講演へと行くことになるのだろう。そしてその機会をきっかけにして、最終日のテレビ出演へと繋がる流れがあるのだ。

 結果に至る過程の大部分は不透明。だがそれでも、大筋はダテの予想通り。この手紙こそが彼女の行動を決め、世界をループへと導く起動キーであることに間違いは無いようだった。


「人の手紙を見るってのは、やっぱよくねぇな……」

『大将?』

「いや……」


 わざわざと、手紙を盗み見た成果はあった。しかし成果よりも、人の秘密を覗いたという後味の悪さが残った。そして自らがこれから「仕事」の解決のために、やらなければならないことへの予感。

 ダテは沈黙に沈みそうになる気分を振り払い、頭をクモへと向けた。


「……とりあえず、明後日はまたお前頼りだな」

『はい?』

「考えてもみりゃ、明後日はデイトルがムクィドにちゃちゃを入れに来る日で、ナタリーが急に休みを取った日だった。その手紙の通り、相手に会いに行くんだろうよ」

『ああ! ガッツリ監視っスな!』


 クモという存在は、ダテやクモ自身が許さない限り相手に気取(けど)られることがまず無い。忍ばせるにはうってつけの存在であり、クモもそういった形で彼に貢献できることを喜んでいた。


『でも…… 正直気がすすまねぇス……』


 しかし今回はケースがケースだけに、さすがに完全に乗り気とはいかない様子だった。必要なこととはいえ、出歯亀のような行為。気が咎めるのか、両手の人差し指をちょんちょん合わせながら項垂れる。


「我慢してくれ、報告の中身もお前に任せる」

『はぁ…… わかったっス……』


 一応の納得を見たダテは、枕を引き寄せて頭の下に敷いた。


「頼んだぜ、ワシムさんとケリファさんの監視、会話を聞き逃さないようしっかりな」

『……?』


 項垂れていたクモが、顔を上げた。


「……? どうした?」

『……ケリファさん?』

「ああ、ナタリーのペンネームだが……」


 冒頭にあった彼女を示す名前、カタカナに変換されたそれに見間違いは無いはずだった。


『それ、マスターの名前っスよ?』

「はぁ!?」


 寝に入ろうとしていたダテが、がばりと身を起こした。



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