15.c13,12/11 夜
アキュラの港町、雑居ビル街。十二月十一日、夜――
「じゃあダテくん、ここ自由に使っていいから」
点いたばかりの白熱灯が淡く光る一室。
ダテを通したムクィドのマスターは、彼にとってもう三度目となる融通を利かせてくれていた。
「すいません、助かります」
「気にしないで。丁度従業員募集中だったからね、こっちも助かるんだ」
「ありがとうございます」
「じゃ、お休み。明日からよろしくね」
「ええ、それじゃ」
一言一句、仕草すらも変わらないマスターの言動を、あえていじろうなどとは思わない。
ダテはただ流れに任せるまま、その真っ新に戻った埃っぽい部屋へと帰ってきた。
「さて……」
『行くっスか?』
「ああ」
腰を落ち着けることなく玄関へと戻ったダテは、マスターがいないか廊下を見回し、戸外へと出ていった。
商店街外れの三叉路に、がんがんとシャッターを叩く音が響く。
ややあって音を立てて上っていくシャッター。中から現れた人物は真夜中の訪問客を見留め、うなずきながらに言う。
「む…… ああ、もうそんな頃合いか」
「よう」
ダテは寝間着姿のデイトルへと、軽く腕を上げた。
「来るにしても、もう少し先ではなかったかな?」
全く悪びれないその様子に苦笑するデイトルは、彼を本屋へと招き入れた。
「それでどうした。来訪と就職の報告かね?」
本屋の二階。例によってコーヒーの置かれたテーブルを挟み、二人は対面する。がらんとした部屋の雰囲気も、置かれたテーブルの位置も同じ。閉じた世界の中、この場の者達だけの時が進んでいるという、奇妙な感覚を催す光景だった。
「そんな用事で来るわけないだろ。あんたに尋ねたいことがあってな」
「ほう……」
ダテは二周目の最後に見た、テレビの件についてを話した。
ナタリーが参加していたこと、彼女の隣には面識の無い、浅黒い肌に眼鏡の外国人風の男が映っていたこと。そして、巻き戻る寸前の時間帯であったことなど、わかりうる限りの内容を伝えた。
「……そんなことが」
「知らないのか?」
「ああ、知らんな。この部屋を見てみるといい」
デイトルの居住スペースにはテレビが置かれていなかった。一階の本屋部分にも見た憶えは無い。デイトルは持っていない様子だった。
「その後があれば別だろうが、先が存在しないこの世界では知りようが無い」
「そうか……」
ただの一般人ではあっても、ナタリーは客商売をやっている人間だ。テレビに映ったとなると、あの翌日にはちょっとした騒ぎとなっているだろう。だがこの世界には「あの翌日」は存在しない。デイトルが知らないというのはもっともだった。
どうしたものかと腕組みをするダテ。その肩をクモがちょいちょいと叩き、耳元にささやきかけた。
「……テレビ欄だ」
「なに?」
「新聞か何か、番組の一覧表が載っているものはあるか?」
「ああ、そうだな…… 調べてみるとしよう」
クモの意見をそのままに伝えると、デイトルは納得したようにうなずいた。
一応伝えるには伝えたダテだったが、それで何かわかるかは望み薄と考えていた。彼女が出ると事前に決まっていたとすれば、周りからすでに何かしらの話が耳に届いていただろう。そして彼女自身にも、そんな大事が控えているという様子は一切見られなかった。
おそらくは彼女の番組への参加は直前か、寸前か、急遽に決まったもので、今探る方法は無い。一見間の抜けた素振りを見せているデイトルも、彼と同じ考えのようだった。
「しかしどうした? 彼女が何かあるのかね?」
小首を振り、不思議そうに尋ねてくるデイトル。ダテはわずかな逡巡の後、口を開く。
「……鍵だ」
「鍵……?」
「これは聞いて、全然論理的じゃないというか、理屈になっていないと思う話だろうが…… 俺は彼女が、このループの鍵になっていると見ている」
「……聞かせてもらえるかね?」
淀むダテの物言いに、デイトルは身を乗り出して尋ねた。
それで全く構わない。そう言い切るようなその態度に、ダテは当たって砕けろと自らの勘と経験による、非論理を展開する腹が決まった。
多少以上に無理筋であろうとも、ここから先の「仕事」は、この考えを話しておかなければ進められそうになかった。
「今から六日後のことだが…… 俺はこの世界で初めて世界に乱れ―― そうだな、テレビの映像がブツ切りに、なんというか、ブレながら遅くなるような、そんな感覚を味わうことになる」
「六日後……? うむ…… そういえば、初めて知覚出来るのはその頃だったか……」
クモはダテほどはっきりとはその感覚を捉えていなかった。デイトルがその感覚を理解出来ていたことは、話す上での救いだった。
「その時のナタリーは、手に封筒を持っていた」
「封筒……?」
「おそらくは、最終日…… 例の番組でナタリーと並んで座っていた男からの物だと、俺は思う」
はっと、クモがダテを振り返った。デイトルは更にと身を乗り出す。
「どういうことだ?」
「あの番組の成立が、何かこの「世界」にとって都合が悪いんだ。だから巻き戻す」
ダテはカップを手に取り、口の中を軽く湿らせた。
そして数秒と目を瞑り、考えを口にした。
「ナタリーの持っていた封筒には多分、あの番組の、あの形での成立―― 番組へのナタリーの参加を促すようなことが書かれているんだろう。世界は人や物が実際に起こした事柄だけになく、それを起こそうという個人の思考までもを察知する。彼女が文面に当たった時点で、世界は巻き戻しの準備に入ったんだ。だから世界は、あの時を境に乱れ始めた」
『『禁則』…… いや、『矯正力』っスな……?』
顔はデイトルへと向けたままに、ダテは頷いた。
「世界」には、自らの思う自らの姿を保つ「矯正」の力がある。それは全ての存在の理解を超えた、慈悲も冷酷さも無い、ただただ絶対的な力だ。時には理不尽に自然を操り、時にはある人の一生や、これまで歩いてきた道を全てをすり替え、時には歴史そのものを改変する。そしてその力の行使は、「世界」に結いつけられた存在達には認識すらも叶うことは無い。
それはほんの一握りの「世界」を知る者達にとっての常識であり、「世界」に関わり続けたダテにとっても、経験によって裏付けられた常識だった。
それがどれだけ荒唐無稽に聞こえようとも、彼が見せつけられてきた現実だった。
「ふむ…… 「世界」か……」
デイトルは白い無精髭をひと撫でし、目を閉じて黙り込んだ。
頭を掻きながら目を開けたデイトルは、深い蒼の瞳でダテを見据える。
「なるほど…… 彼女一人の行動であれば、普通に考えればこのような大規模な事態を招くことは考えられない。だがテレビを通し、一度に大量の人間に影響を与えてしまうような状況が起これば、その考えは理解できる話だな」
ダテが口をぽかんと開け、デイトルを見たままに固まっていた。
「どうした?」
「い、いや…… あんた…… あっさり、信じるのか?」
「うむ、長年の謎が解けたという感じだ」
うなずいてコーヒーをすすり始めるデイトルには、訝しむ様子は微塵も見られない。
「お、おいおい…… こんな突拍子も無い話……」
「突拍子も無いからこそ信じるしかあるまい。すでに世界のループなどという意味不明なものに巻き込まれているのだ。意味不明、理解不能。そんな状況では、普通の理屈なんぞは寝言にしかならんよ」
心底さも当然という体で言ってのけるデイトルに、ダテは苦笑する他無かった。
これまでも必要に迫られてこの手の話をした経験はあるが、一切疑わない、質問さえしない相手はデイトルが初めてだった。
「はぁ…… もう、お手上げだ」
その存在そのものが怪しさの塊であり、何を考えているのかさっぱりな『要人』であったはずのデイトル。
だがもうダテは、それでかまわないことにした。『要人』であれ『変人』であれ、これはこういうものなのだろうと受け入れることにした。
「世界」は限り無い。わけのわからない、こういうものに出会うことは、あるにはあってかまわないのだ。
そんな思いで、ダテはコーヒーを飲んだ。
「では、行くとするか」
くっとコーヒーを呷ったデイトルが、席を立つ。
「ついてくるがいい。約束通り、手を貸すとしよう」
「へ……?」
呆気にとられるダテに向け、デイトルがにやりと笑っていた。




