10.c12,12/14 午前
二度目の四日目。天気の変わりやすい港町の、曇り空の午前。
ダテは自宅のある雑居ビル街から、港の方向へと歩いていく。港まで出て左に曲がり、数分と歩けばムクィド。通い慣れた店へと辿り着く。
しかし今日のダテは道の途中を右へと曲がり、小さな商店街へと足を運んだ。
『え? マジっスか?』
『ああ、路線変更だ』
口を開くことなく会話する彼の隣には、彼以外には見えない小さな妖精が飛ぶ。
『え~? 昨日まではまだ何も変えない方がいいって言ってましたのに……』
『事情が変わったのさ、出勤してる間にな』
客のまばらな商店達を通り抜け、ダテは住宅街との境目へとさしかかる。汚れの目立つ黄色い外壁のアパート群の途中に、その店は建っていた。
レンガ造りの二階建て。古民家程度の大きさに、緑のビニル製の日除け屋根。建物中央のガラス戸からは、入り口すぐのカウンターに座って本を読む、一人の老人の姿が見られた。
『いつも通りっスね…… お客さんがいない時のデイトルさんです』
時間が巻き戻ってからの数日、昼夜を問わず張り込みを続けていたクモにとっては、もう見慣れた風景だった。彼は一日のほとんどをそこで過ごし、生活用品の買い出しや数少ない宅配など、用が無い限りは動くことが無いのだという。店を閉めてからは二階に上がるが、本を読む場所が変わっただけにしかクモには見えないらしい。
隠居した老人の、見るところも無い地味な生活。そうにしても不自然なくらいに、何も無い日々を送っているようだった。
店へと歩みよったダテは、そのまま通り過ぎ、離れた位置から壁を背にして店を窺う。
『……? 行かないんスか? 会いに来たんでしょう?』
クモの思念には答えず、ダテはじっと店へと視線を送り続ける。
やがてダテが歩いてきた商店街の方向から、一人の婦人が歩いてきた。婦人はまっすぐにデイトルの店へと向かうと、ガラス戸のノブを引いて中へと入っていく。
『あ、お客さんスね―― って大将?』
つかつかとダテは歩きだし、接近して店の窓から中を覗く。
店内を数分見回した婦人客がカウンターのデイトルへと近寄り、何か話しかけている様子が見える。うなずいたデイトルは、自分の足下から一冊の本を取り出して客に渡した。
その様子を確認し、ダテは再び離れていく。
『何やってんスか?』
ダテは答えない。ただ笑顔を浮かべているだけだった。
そして二人目の客が訪れ、ダテはまた接近を始める。
壮年の男性客は入ってすぐにデイトルに話しかけ、本を受け取って店を出た。
「……よし、いいだろう」
『何がっス?』
去って行く男性客を背中越しに、満足そうに言ったダテが店の入り口へと向かう。
彼はドアノブに手をかけると、躊躇無く店へと踏み込んだ。
『ちょっ、大将……!』
壁一面を埋め尽くす、満載の本。入り口から奥までを、中央に立つ背中合わせの本棚で仕切っただけの細長く、狭い店内。入り口のカウンターに座る人物が、僅かに本から顔を上げた。
ダテはその視線を無視し、見回すようにしながらゆっくりと店内を歩く。奥まで入り込み、入り口へと戻ってきた彼は、一人目の客がそうしたようにカウンターへと話しかけた。
「すみません。辞書か何か、この国の言葉を学ぶのに使える本はありませんか?」
ダテと目を合わせたデイトルは、再び本へと視線を戻し、ページをめくりながらに言った。
「……お前さんは、この国の言葉を話せているようだが?」
「いやぁ、話せはしても、文字は読めませんでね」
ため息を一つ、ぱたりとデイトルが本を閉じる。
彼は立ち上がると、ダテを置いて店の奥側へと向かっていく。
「おや? 俺の探してる本は、そこには無いのかい?」
挑戦的な口調でデイトルを振り向かせたダテは、カウンターに寄りかかり、指し示すように一点を見つめていた。
彼の目はカウンターの椅子の足下、木箱の台に積み上げられた、十冊ほどの本に注がれていた。
「こんにちはー」
ダテのすぐ脇、入り口のドアが開き、若いスーツ姿の男性が入ってきた。
「……? ……?」
無人のカウンターと、その前に立つダテを見た男が、店の中程に立つデイトルを見つける。
「あ、デイトルさん。頼んでいた本を受け取りにきました」
「ああ……」
うなずき、カウンターに戻ろうとするデイトル。
だがカウンターにいるダテが、彼に先んじて動きを見せた。
「はい、これかな?」
「え? ああ、これです」
ダテが手に取った本は、木箱に積まれた一番上の本だった。
その様子に無言でカウンターへと入ったデイトルが、ダテの手から本を取り、紙袋へと入れた。
代金を払った男は、デイトルとダテに会釈をして店を出て行った。
店の窓から小さくなる客の背中を眺めつつ、ダテは口を開く。
「俺の名前は…… 今更言わなくていいよな?」
「……案外と、冴えた男だったのだな」
デイトルの顔が、ダテへと向けられる。
「ダテ、リョウイチよ」
その顔には、愉快そうな笑みがあった。
――『あのお店、小さくてそれほど蔵書が出来るはずも無いのに、求めた本はたいてい置いてあるんです』
――『直接デイトルさんに尋ねた時なんかは、絶対に見つかりますね』
――『まるで頼むのが分かっていたように、探すそぶりすらなくカウンターの足下から出されるんですよ?』
――『本当に、どうやっているんでしょうね?』
ダテはデイトルの案内で店の二階、彼の居住スペースへと入った。
簡素な部屋の中には本棚は無く、二人が囲むテーブルの上には、数冊の読みかけの本が乗っていた。
「なるほど…… ナタリーがそんなことを」
「ああ、それで今日、実際に観察させてもらって確信した。あの足下に積み上げられていた本…… あれは順番に積まれているんだろう?」
極めて限られた空間に、数え切れないほどにある本の中から客の求める一冊を置き、客が頼むであろう本を、来る客の順番に並べて用意しておく。
そんなことが出来るとすれば、今思い当たることは一つしかない。
「あんたは『ループ』を、認識しているな」
デイトルが、薄く笑った。




