9.c12,12/13 夕
二度目の労働二日目。開店準備を終えたダテはナタリーと共にカウンターに立ち、最初の客の訪れを待っていた。奥の狭いキッチンで仕込みを行うマスターを除き、二人には特にすることもない手持ち無沙汰な時間。ダテはぼんやりと玄関を見つめている体で、「仕事」へと頭を巡らせる。
――続けるか、踏み切るかだな……
労働初日である昨日、十二月十二日。ダテはその一日を出来うる限り記憶の通りに動いた。時間が十日前に巻き戻ったという事実は、もう今更確認するまでもない。目的はその「再現性」の確認だった。
例えどれだけ意識的にやったとしても、完全に記憶の通りに動くことはできない。言動やその順序に、大なり小なりと違いは生まれてくる。生まれた違いがどれだけ出来事の流れを変えてしまうのか、まずはそれを捉える必要があったのだ。
彼の経験上、こうしたいわゆるタイムスリップ現象―― 過去に戻るという現象は、誰もが思い描くような「あの頃に戻ってやり直せる」、そういう単純な考えだけで対処出来るものではなかった。
あるべき未来の形。「世界」はその変化の幅に、いつも目を光らせて制限をかけている。過去から現在、未来へと、幾通りもの変化を許す世界もあれば、一本道以外を許さない世界もある。
何を変えられて、何を変えられず、何を変えることが許されないのか。それはタイムスリップ現象というケースを抜きにしても、彼の「仕事」上、常に把握しておかなければならない事柄だった。
「ダテさん?」
「え? あ、ああ……」
考えごとに気を取られていたダテの背に、ナタリーの声がかけられた。
「ダテさんはこれまで、旅をしていたんですよね?」
「ああ、うん…… そうだよ」
――そういや…… 前にそんな話題が出たな。
昨日調べた結果として、この世界の制限はかなり強いらしいことがわかった。
些細な言動の違い程度では何も変化は起こらず、出来事や会話は一度目を綺麗になぞった。おそらくと、放っておけばこの先も同じ道筋を辿っていくのだろう、今のところはそう見ていて間違いは無さそうだった。
しかしまだ、この強い制限に対し「変化」が起こせるかは掴めていない。
おそらくが、もう少しはっきりしたものになるまで「調査」を続けるか。思い切って何か「変化」を起こすことに踏み切ってみるか。
相変わらずの手探りな「仕事」の中、ダテは選択を思案していた。
「旅って、やっぱり大変なんですか?」
「ん? ああ…… 旅か、旅ね……」
以前も同じ話題が出たはずだったが、どうはぐらかしたのかは忘れてしまっていた。だが、どう答えようともなんら影響は無いことはもうわかっている。
ダテは適当に、思いつくままに任せることにした。
「そうだな…… 言葉も文字もわかんねぇ所はあるし…… 面倒に巻き込まれることもある。あえて身を投げるような、無茶な旅はオススメしないかな。楽しむなら、ただの旅行くらいにしとくのが無難だと思う」
「そういうものですか?」
「ああ、どうせ帰ったら、やっぱり家が一番だ~、なんて言い出すもんさ」
旅行の定番のオチに、くすくすとナタリーが笑う。この辺りはどこの世界も共通らしい。
「でも…… そう思うならどうして旅を―― あ、ごめんなさい」
「ん?」
「いえ…… 人に言えないことも、ありますよね……」
失言だったという風に、気まずそうにするナタリー。
少しばかり生まれた沈黙にダテは思い出す。この居心地の悪さには憶えがあった。
「……いいさ、よく聞かれることだ。まぁなんて言うかな…… 世の中理不尽が多いってだけの話さ」
どうやら、適当に答えたつもりが前回と同じことを言っていたらしい。彼が彼だから同じ回答をしたのか、世界が何か仕掛けたのかはわからない。だが、たしかに会話の展開と帰結は、同じところに入っていた。
この後は特に会話も無く、ダテは玄関を出てなんとなくな掃除のふりをし、彼女はカウンターにいたと憶えている。しばらくの後、最初の客が訪れるまで。
「――そういえば…… 旅って言えば俺の国で、今はどうなのかな? 一時、『自分探しの旅』なんてのが流行ったっけな」
「自分探し……?」
それは一時の、反発。同じ結果に対する衝動的な反抗。
「どっか違うところに行って刺激を受けて、自分も知らなかった新しい自分を発見! みたいな?」
「変化」を起こそうなどとは狙ってはいない。ただ素直に流れに従うことが嫌なだけだった。
「へぇ…… なんだかステキですね」
「どうかな? 残念だけど、俺はそうは思わない」
「どうしてです? 知らない土地で何かを見るのって、いいことに思えますけど……」
気まずいままに終わるはずの結果に、「変化」が見られた。
ダテは笑みを灯し、軽口に合わせておどけてみせる。
「それはいいとは思うけど、目的が遠回りなんだよなぁ~」
「遠回り……?」
「だってよ、『自分』なんて探さなくても、いつもここにいるじゃねぇか」
彼女の口元から、はっと息を呑む音が聞こえた。
「わざわざ高い金使って旅行するってんなら、んな細けぇこと考えずに、ただ徹底的に遊んだ方が楽しいだろ」
「……そうですね」
柔らかく微笑むナタリーを見ながら、何を言ってるんだろうな俺はとダテは思う。
意図的に話題を出したわけじゃない、「旅行」という言葉が出たせいか、いつぞやのパンフレットが頭を過ぎっていただけだ。
ただ自分に呆れながらも、暗い雰囲気を払拭できたことには悪い気はしなかった。
「ダテさんは意外と―― いえ、お若いのに聡明な方なんですね」
はたと、ダテは彼女の顔を見る。「意外と」という部分は気になったが、彼女の微笑をたたえたその表情に、茶化そうとする気分は消えていった。信頼の距離が縮まったと、そう思わせるような笑顔だった。
「実は…… 私が今、文通をしている相手の方が同じことを言っていました」
「……!」
ダテは気づく。「変化」は正確には起こっていない、僅かにブレただけだ。
手帳によれば前回のこの日、ダテは彼女から彼女の身の上を聞き及んでいた。それは今から数時間の後の、客が引けた頃合いだったと記憶している。
一時の場の雰囲気は変わった。情報が出る間隔も早くなった。
だがやはり辿る展開は変わらず、同じ大筋を通るのだとダテは理解した。
「へぇ、文通……」
何度味わおうと背筋が薄ら寒くなる「世界」の矯正力の強さ。ダテは内心の動揺を隠しつつ、ナタリーとの会話に注意を払う。
彼女の身の上は一度聞いた。しかしもう一度最初から聞けるのなら、何か発見はあるのかもしれない。情報を得られる機会を無駄にする道はなかった。
「ええ、半年ほど前からですが海外の方と。心理学を教えていらっしゃる先生だそうなのですが、偶然縁が繋がりまして」
ダテの感覚からすれば、古風にも思う文通という習慣。それはまだインターネット網や携帯電話などといったものが無い、そういった場所においては特に珍しくも無い文化だった。この界隈の新聞にも、文通相手募集の欄や読者同士で投稿し合う、投書欄のようなものが掲載されている。彼女にしても、その利用者の一人に過ぎなかった。
彼の世界で言う出会い系やメル友募集、SNSなどの前時代的な姿。時代や文明は違っても、人が行うことは変わらないなとダテは思う。
「おカタそうな相手だなぁ、楽しいのかい?」
「あ、私はあの…… 一応大学を出ていまして、文系の大学で、学んでいたことに近かったものですから」
「へぇ…… 大学か、この近く?」
「ええ、進学をきっかけにこのアキュラに引っ越しまして、それでこのお店で――」
以前と同じ、憶えのあるやりとりが続く。文通をやっている。大学を出ている。数分続けてみるも、期待とは裏腹に入ってくる情報に大差は無いようだった。
何か思い切って違う話題を振ってみた方がいいのだろうか。一度聞いた内容の繰り返しに半ば飽き始めたダテは、両手を上に伸びをしながら、そんなことを思いだした。
「でも、残念ですね…… ダテさんはこの国の文字は読めないのでしょう?」
「うん? ああ…… そうだが」
飽きを見透かされたかと思い、手をあげたままギクリとダテは振り向く。
「ひょっとしたらダテさんになら面白いかな? と思える本が少し浮かんだのですが、お勧め出来なくて残念です」
「うん……?」
憶えの無い会話に、妙な違和感が湧く。だが、特に内容に意味があるとも思えなかった。
「あ~、気にしないでくれ。俺、読めたとしても本は元々苦手だからな~」
「そうなんですか…… 近くに古書店があって、いいお店なんですけどね」
――「いい店」……?
残念そうにそう言った彼女の一言から、一人の人物が浮かび上がる。
古書店の主、デイトル―― 彼女は「いいお店」と言った。
「なぁナタリー。ナタリーはその店、よく利用するのか?」
「え? ええ、本は好きですから」
ならば彼女は、ムクィドでの店員と客という間柄だけになく、個人的にもデイトルと親しい可能性がある。この世界で、現状最も探りを入れたい人物であるデイトル。
彼女を通して新たな情報を得られるのだとすれば、ここでの会話には価値がある。
「そっか、お店の人はどんな感じなんだ?」
「はい?」
「あ、いや…… ずっと文字が読めないままってのも不便だし、辞書の一冊も探してみようかと。ただまぁ…… 人によっては外国人に厳しい人もいるだろうしな」
「それなら心配ないですよ。店主のデイトルさんは外国の方ともよく会っていますし、もともと外国の方です」
「ああ、そうなのか……」
ここアキュラの港のあるロクソル共和国。海を越えたその南に、ダンニワスという国がある。デイトルはそこからやってきたのだと一度目にマスターから聞いており、手帳にもそうある。
「マスターが「賢人」と言っているのを度々耳にしますが、本当に底の見えない不思議な方ですね。お店の方も結構不思議なんですが、デイトルさんご自身を目的に訪れるお客さんも多いみたいですよ」
思った以上に親しいのだろう。幾分冗長に語る彼女からは、そんな様子が感じとれる。
その言葉の中の一点、奇妙な一言にダテの興味が向いた。
「……店が不思議? どういう意味だ?」




