7.c11,12/20 「 」
『召還されて都合良くナタリーに拾われたところまではよかったが…… なんだ難易度高いぞ今回……』
ホットドッグを不満そうに咀嚼しながら、ダテは今回の「仕事」の厄介さを噛みしめていた。
『ほんと最初都合良かったっスよね。行き倒れになった外国人装って、バーに連れて行ってもらって、たまたま出くわした酔っ払い同士のもめ事をチョチョイと捻ったらスカウトですもん。『世界』さんはいい仕事してるっス』
『だがその後どうだ…… 明らかにこの『世界』、何事もなく日常が続いているだけだ。これといったイベントの影すら――』
そこまで言って、ダテの脳裏にただ一片の「非日常」が過ぎる。
デイトル―― 見た目や雰囲気からいって五十か六十か、気にかけずにはいられない、「魔力の無い男」。
『……同じことか。わからないんじゃ、手の下しようもない』
気にはかかる。だが、気にかかるにしてもそれだけだ。今唯一といっていい特異点であるデイトルも、それだけに過ぎなかった。彼もまた、ただ日常の中にいるようにしか見えなかった。
『なぁクモ、何かないか? 怪しいこととか、怪しい人物とか……』
『ホントにお困りなんですなぁ……』
ダテの「仕事」を知り、常にそばにいるクモだが、ここまではっきり頼られることは珍しいことだった。一向に先の見えない展開に、相当に参っているのだなと思う。
『……そうっスな、これまでの例から言えば、答えはすでに出会っているんでしょうな』
『……?』
『いや、だってそうっしょ? あれだけバッチリなお膳立てのスタートっスもん。もう十日目なんスよ? まさか今から出会う人や出来事が鍵とか、そんなの回りくどいじゃないっスか』
ちらとクモを見たダテが、ホットドッグを飲み込んで腕を組む。
重要なポイントは、ことの始まり方にある。それは絶対では無いにしろ例の多いことであり、彼自身が「仕事」の検討によく使う材料だった。
「ふーむ……」
ダテはジャンパーの内ポケットから黒い手帳を取り出すと、パラパラとページを手繰る。
開いたページには、出会った人物達の概要が順序バラバラ、知った順に雑然と並べられていた。
『相変わらずきったないっスなぁ、今回時間あるんですし、まとめたらどうっス?』
『そう思うならお前がまとめてくれ。お前なら消しゴム無しでも中身書き換えるくらいできるだろ』
『ページごとにバラバラの大きさの紙になってもいいならやってもいいっスよ』
ダテは舌打ち一つ、これまで書き留めた内容を読み返していった。
『……む~、結局のところ、マスターとナタリーちゃんと、デイトルさんくらいしか交流無いですなぁ』
『そうだな…… 働いて数日じゃ客のほとんどは一見だし、名前すら知らねぇやつばっかりだ』
『おお? ナタリーちゃんって二十三なんスか、大将の一コ下っスな』
手帳を脇からの覗いていたクモが、ちっさい手で「ナタリー」と日本語で書かれた項目を指さす。その項目の末尾には、小さく「12/13」とある。十二月十三日、この「仕事」が始まって、三日目に記されたメモだった。
『一コ下でも、俺と違って結構な大学まで出てらっしゃる上に、先輩だがな』
同じ場所には、「勤続二年以上、大学出」とある。
『あ~、そりゃ無理っスな。ハナから身分違いでしたか!』
『やかましい』
この世界、この国で「大学を出る」ということにどれくらいの価値があるのかは、正確にはわからない。周りの口ぶりからは、それほど珍しいことではなさそうだという印象のみだった。
ただ、ダテは彼女が休憩時間に、よく厚い本を手にしている様子を目にしていた。真面目で勤勉、この一週間で抱いた彼女の人物像はそんなところだった。
『気をつけてくださいよ、大将。この手帳落としたりしたら変態ストーカーとして最悪逮捕っス』
『あのな……』
クモのひやかしをかわしながらページをめくり、これまでの書き込みを俯瞰するように見ていくと、気になっているデイトルも、一応として抑えているマスターやナタリーも、書き込まれている情報量にはそれほどの差は無かった。せいぜいが名前、職業、容姿、略歴、その程度に留まっていて、それはともすれば初めて会って知れる範囲にもある。
「あれ……?」
『どうしたっス?』
「いや…… マスターの本名が…… まぁいいか」
どこかで聞いたような聞いていないような、だがどうでも良さそうだと結論付け、ダテは手帳を閉じた。
「なんとも、締まらねぇな……」
閉じた手帳を胸ポケットに戻そうとして思い直し、素早く紫の切れ目を見せる「空間」へと放り込む。
『案外と長期のお仕事なのかも知れませんっスよ? ここスタート地点なだけだったり』
『魔法だなんだで好き勝手出来ない場所だ、そうじゃないことを祈りたいな』
ため息を一つ、ダテは二つ目のホットドッグを手に取って頬張る。くるくる、くるくると喉を鳴らす数羽のハトが、今か今かとダテに首を振っているように見えた。
やれやれと、ダテはパンを指先程度にちぎり、一番手前の一羽に放ってみる――
「……!」
――飛んでいくパンのカケラが、一瞬ブレたように見えた。
――空に浮かぶ雲、アキュラの町並。目に映るもの全てが、端々に四角くモザイクを走らせたように、歪む。
ダテが首を一つ振ると、視界は元に戻った。
『大将?』
『いや…… なんか、疲れてんのかな……』
『大丈夫っスか?』
その心配には答えず、ダテはホットドッグを一気に食べ終えると、包み紙を手の中に握ってベンチを立った。
『……とりあえず、デイトルの本屋にでも行ってみるか』
『何か思いついたっスか?』
『いんや、動かないと始まらんから動こうってだけだ。会って話せば、何か動くかもしれんだろ』
『本当に締まりませんなぁ…… まぁ、行きましょうか、他にアテもありませんし』
確実に起こった「何か」。内心の冷や汗を悟られまいとするように、ダテは平静を装って広場を歩く。
待ち合わせに立ち止まる人や、休憩に訪れる人をかわし、入り口近くのくずかごへと、包み紙を放った――
「っ……!?」
突如世界が真っ暗に、黒一色になる。
――これは…… なんだ……!?
町の輪郭も、太陽から射す光も、音も、自らの姿も、声も、全てが飲み込まれた真の闇。
空気すらも感じない、全てが止まったような世界の中、ダテの意識のみが数秒の感覚を刻み――
瞬時に、視界に広場の光景が戻った。
くずかごから、包み紙がダテの手へと返る――
ダテの足が、意思に反してベンチへと後ろ歩きし、着席する――
ハトがかじったホットドッグのカケラがダテの手に戻り、開いたダテの口からホットドッグが現れ――
――……!? ……! ……!?
一連の動きに、一切の抵抗は許されなかった。
指一本、表情一つすらも、意のままに出来ることはなかった。
ビデオの「巻き戻し」。
その数百倍という速度で、ダテの体が、風景が、世界が「後退」を続ける。
それは彼の尋常ならざる目を以てしても捉えきることが出来ない、電光石火を超えた速さで展開し――
「つ…… てて……」
身を起こした手には、冷たく湿った感触。
眼前には暗がりの中、淡い光を跳ね返す、白い道。
――なんだ……? 雪……? 俺は…… 倒れていたのか……?
「大丈夫ですか……?」
振り返ったダテの目には、夜の港町、手をさしのべてくるナタリーの姿があった――




