2.うろつきバケーション
「結局押し切られてしまったか……」
絶景の島を歩きながらダテは独りごちた。
「兄ちゃん、何やってんの? 早く行くよ」
「へいへい……」
家にごろごろしているわけにも行かず、ダテはタストの島案内を受けている。あちこちみれば記憶が戻るかもしれない、というアーニリアの言葉の実行―― という建前の子供の遊びの誘いだ。
見れば見るほどに、島は平和そのもの。高くなった陽は白壁に反射し石畳の歩道を明るく照らし、遠く、さざなみの音が耳をくすぐる。南国のような陽気の中に美しい欧風の建物が並ぶ、観光地、別荘地の見本のような場所だった。
「しかし、人の少ない島だな…… 誰にも会わないぞ」
「あと二週間もしたら嫌というほどいるよ。あちこちお客さんだらけさ」
「ああ、それがシーズンか」
度々、看板の一つもかかっていない、売り子すらいない「屋台」らしきものは目にしていた。
中には客がいないにもかかわらず奇妙な食べ物を売っている屋台も見たが、それはごくまれなものだった。きっと「時期はずれ」なんだろうとダテは納得した。
「よくわかんない偉い人がいっぱい会いに来てさ、せっかくお父様が帰ってくるっていうのにゆっくりさせてくれないんだ」
前を歩くタストはつまらなさそうに一軒の家を見上げ、羽ばたいて逃げる小鳥を目で追いかけていた。
「お父様? タストの父さん何やってる人なんだ?」
「国で偉い人みたいだよ、どんなことやってるかまではよく知らないけどさ」
「へぇ…… どうして離れて暮らしてるんだ? あのメイドさんの話だとこっちは別荘なんだろ?」
「偉すぎて一緒に暮らしてるのは危ないんだってさ」
トコトコと、歩みを止めているダテに近寄ってきた。子供の距離は妙に近い。
「危ない? それはなんとなくわかるけど…… ここは危なくないのか?」
「この島は色んな国の人が使ってる島だから大丈夫、って、アーニリアが言ってた」
「なるほど」
ダテは腕を組み、目を閉じた。
「……? わかるの?」
そんなダテを、タストが下から覗き込む。
「ん?」
「実は僕、何回言われてもよくわかんないんだけど……」
「なんで大丈夫かってことか?」
「うん」
「そうだな…… タストが悪いことをするとあのメイドさんに怒られるだろ?」
「う…… うん……」
よく怒られているのだろう。ちょっと恥ずかしそうに答えた。
「でも、バレなきゃ怒られないよな?」
「そ、そうだね……」
「それとおんなじことさ。いろんな国の人がいるってことは、お前に悪いことをしたやつはすぐにバレちゃうってことなんだ。そんで、そいつはこっぴどく怒られる。怒られるのわかってて目の前でイタズラするバカはいないだろ?」
タストの父親は国の中でも偉い立場にいる。それもただ偉いというわけではなく、おそらくは煙たいと思われる立場にいる人物だろう。ならば当然、その人物に害を成そうとする者は少なからずいるものだ。特にそれは国外ではなく、国内に多い。
ならば自らの弱点を国外の、出来るだけ多くの国が関わるような観光地に置き、利害関係の及ばない中立な地域で保護しておきたいと思うのは考え方としてはおかしくはない。上等な観光資源を持つ国ほど人の出入りには厳しくなる。どうやろうとも足が付く。
あちこちに見える豪奢な別荘には庭先に様々な国の国旗らしきものが見え隠れしていた。おそらくはこのバロア島と呼ばれる場所は多国籍な貴人の場所であり、観光地として以外にもそういう島としても成り立っているのだろう。
タストの話から推測するに、ダテの見解はこうだった。
「ああ、そっか…… したくてもみんな見てるから出来ないんだね?」
「おう、わかったか?」
「でも…… ここ誰もいないし、誰も見てないよ?」
「お前にはもっと簡単なことから教えないとダメっぽいな……」
~~
二人は島をめぐり、ダテが発見された港の辺りまでやってきていた。
「そっかぁ、国と国って考えずに人と人で考えればよかったんだね」
「ああ、ややこしいことは別のものに例えて考えれば意外と簡単になったりするんだ。それが難しいんだけどな…… と……」
小さな子供に外交のイロハを教える。どうしてこんな流れになったんだろうと思いつつも、ダテは目に入ったものに足を止めた。
「どしたの?」
ダテの見つめる先、海岸沿いに洞窟が見えた。
「あー、洞窟だね~、あれがどうかした?」
「タスト…… あそこには入ったことは?」
少しだけ、真剣な面持ちでダテが聞いた。
「あ~、あるよ? でも行かない方がいいよ? お化けでるし」
「お化け?」
「アーニリアに行くなって言われてたんだけど…… 前に一回だけ行ったことがあるんだ。びびって逃げちゃったからよく憶えてないけど確かになんかいたよ」
「そうか…… いつくらいの話だ?」
「え? 一週間くらい…… かな?」
つい最近のことじゃないかと、ダテは思った。
「あ、内緒ね? これバレてないイタズラだから」
「ああ、言わん」
ダテは後ろ髪を引かれる思いで、洞窟を後にした。
~~
タストとともに別荘に戻ると、アーニリアは夕食を用意して待っていた。
パンと野菜のスープ、サラダに鶏肉のソテーといったダテにも馴染みのある料理が並び、味は素朴にして上品に整えられていた。国家の要人であり、別荘まで構える人間の家にしては質素な内容の食事だった。
普段何を食べているのか、ダテはここぞとばかりに見ている方が胸のすくような気持ちのいい食べっぷりで次々と皿を綺麗にしていった。タストが便乗してこっそり嫌いなおかずをダテの皿に盛っていたが、それさえも気づかぬ体で平らげていく。
あっけにとられるように見ていたアーニリアだったが、自分の作ったものを美味しそうに食べてもらえるのはまんざらでもないのか、タストに注意をくれたあと、途中、二、三品と料理を追加で出してやっていた。
食べ終わり、手の平を合わせて作ってくれた人への感謝を捧げるダテ。気に入ったのか、タストが真似をした。
食後、そういう設備が屋内にあったことには驚いていたが、ダテは入浴に預かり、食卓のテーブルに戻ってまどろんでいた。彼が食卓に戻ってきてすぐに、アーニリアは隣接するキッチンへと入った。入浴を先に済ませ、彼に勧めたはずのタストも今はこの場にはいない。
ダテは一人になり、目を閉じ、何をするでもなく座り続けた。疲れたというわけではないが、久々に満たされた食事をしたことや、この島の作り出す環境音が安らぎを生み、そうしてゆっくりと座っていたい気分にさせていた。
ふと、気配を感じ目を開ける。
「兄ちゃん、寝てるの?」
見知った少年が横に来ていた。こうして座っていれば、まだ若干高いが目線は会っている。
「いや、起きてるよ」
少年の服装は柔らかそうな生地のパジャマになっていた。ダテはなんとなく、その由緒正しき寝巻きな佇まいに対し、海外のホームドラマを思い出した。
「お前はもう寝るのか?」
「ううん、これから勉強」
タストはこれから、今日ダテと遊んで放り出してしまった分の課題を済ませなければならないと言った。この島には学校は無いが、タストに必要な学習はアーニリアが行っているらしく、彼が今から取り組もうとしている課題も彼女のお手製だそうだった。
「じゃあ終わったらそのまま寝るから、また明日ね」
そういって手を上げて部屋を後にするタストに、ダテも中途半端に手を上げて「おやすみ」と返した。
嫌がるそぶりも見せず、自ら進んで退屈なものに向かっていく少年に彼は素直に感心した。そして大したものだなと思いつつ、彼をそう教育したであろう立派な先生のいる方向へと目を向ける。
見ると彼女は丁度、キッチンから湯気の立つ二つのカップを盆にこちらへ向かってきているところだった。
ダテは反射的に、さっと合いそうになる目線を外した。
「早く記憶がお戻りになるとよろしいですね」
アーニリアが食卓に、白一色のシンプルにして一目で上等な物だとわかる造りのティーカップを置いた。黒色の液体から立つ香ばしい蒸気がダテの意識を少し覚醒させた。
「そうですね、世話になりっぱなしというのもよろしくありませんし」
ダテは陶器の持ち手に指をかけ、熱い液体を少しあおった。
自らの持つ知識そのままの寸分違わぬ味に、彼は少しだけ「現実感」がぐらつくのを感じた。
「お気になさらないでください。何も覚えていないというのは心細いことだと思います。迷惑などとは考えず、養生してください」
そう言って、彼女はダテの対面に腰かけ、自らのカップに口をつけた。
なんとも言えない沈黙が、ダテを気まずくさせる。
「記憶が無い」などという馬鹿馬鹿しいまでの嘘をついた引け目もある。
だが、本質的には。
「あっ、このコーヒーうまいっスね、ご自分で挽いてらっしゃるんですか?」
ダテはこういった大人っぽい、若干厳しそうな感じの女性があまり得意ではないのだった。
「ご自分で……?」
加えて、ほとんど初対面で盛り上げられそうな話題も思いつかない。
「え、ええ……」
アーニリアが眉をひそめたことで、思わずしどろもどろになる。何か気に障っただろうか、タストというクッションが手元に欲しいという気持ちでいっぱいだった。
「最初に言ったとは思いますが、この家には私とタスト様以外はいませんよ?」
ダテは思わず、「あっ」と呟いていた。
『インスタント・コーヒー』は存在しないようだった。
~~
「では、こちらをお使いください」
ダテは案内されるままに、客室に通された。
小奇麗な一室だった。
広くは無いが、最低限の調度品と生活感の無さが奇妙な安らぎをたたえている。
「ああ、ありがとう、おやすみなさい」
「はい、おやすみなさいませ」
挨拶を済ませるとアーニリアは去り、伊達は一人になった。
「電気は通ってて、文化のレベルも高い。骨休めには丁度いい場所かもしれないな」
言いながら、伊達は部屋の隅へと歩く。パチリ、と部屋を消灯させた。スイッチ式、伊達の六畳間よりも上等だった。悪目立ちすることも多い伊達の服装も、今回は特に気にされない。文化や文明のレベルは相当に高いと言えるだろう。
暗がりの中、ベッドに腰掛けてみる。アーニリアがやってくれたのだろう、一切の乱れ無くメイキングされたシーツが心地良い。横になりたいという誘惑をかわしながら、伊達は目を閉じ、頭の中を整理することにした。
苦し紛れに口をついて出ただけの言葉だったが、コーヒーを褒めたのが正解だったのかあの後の会話は悪くない内容となった。
具体的な話題としては今日の昼間にタストを伴い、歩きまわったことについてだった。
タストという少年の今の境遇から彼の父親の仕事、このバロアという島の名所やその由来、島を取り囲むタストの本国やその隣国についてなど、今の伊達を取り巻く基本的な環境はほぼ知識として得られた。
勧められるままに都合三杯のコーヒーを飲むはめにはなったが、初日で得られるとすればかなりの情報量になった。
それはもちろん、タスト個人のみならず家族に関わる過去や、話し手本人であるアーニリアの細かな素性など、語られるはずもないようなことはある。彼にしてもそこまでは望んでいない。
何より、記憶を取り戻す一助になればという気遣いで彼女との一時は成り立ったのだ。思いの他話が弾み、彼女も不愉快そうではなかったが、さすがにプライベートなことまで教えて貰おうなどとは思わなかった。
伊達は目を開け、ひとつため息をついた。
得られた情報の量に対し、彼の表情には全くといっていいほどに満足感が見受けられない。
伊達は頭を一振り、気持ちを切り替えるようにしてズボンのポケットから携帯を取り出した。
時刻は二十三時になろうとしている。着信履歴とメールが一件ずつ入っていた。
彼に電話をしたが通じず、メールを寄こしたのだろう。二件とも同一人物、よく見知った相手からのものだった。だが、生憎と左上の表示には「圏外」とある。
伊達は内容を確認せずに携帯を閉じ、立ち上がって壁にかけてあった見知ったカーキ色のミリタリージャケットを着ると、携帯を内ポケットにしまった。
ジャケットは外が暑いということで、タストと家を出る時にアーニリアに預けておいたものだったが、いつの間にやら気をきかせて客間の壁にかけてくれていたようだった。
「さて、行ってみるとしますか。どうせ休むなら自宅がいいしな」
重ねた年月の経験から来る勘が、まだ見ぬ終業の糸口を探せと彼に提案していた。




