6.c11,12/20 昼
ムクィドのある港近郊から離れ、黒いジャンパー姿のダテは、人通りの多い町中を歩く。
倉庫や船会社が並ぶ港周辺とは違い、アスファルトを挟んだ二車線の通りには、ガラス張りのブティックやレストランなど、小洒落た商店も並ぶ。行き交う車はどれも「クラシック」で、見た目にはモノクロの外国映画に出てきそうな町並だった。
町の一角に広場を見つけたダテは、出店で買ったホットドッグ二つを手に、空いているベンチへと腰掛けた。
『えっと…… 今日で何日目だっけか……』
『十日目っスな~』
広場の中央、ベンチと石垣に囲まれた石柱には、大きな時計が埋め込まれていた。背もたれに寄りかかって頭をのけぞらせた彼の目に、逆さまに映った十三時を示す針が見える。
夜の酒場で働き始めて、九日目にして訪れた休日。夕方から夜中までの労働生活な昨今、普段ならそろそろ起きようかという時間だった。
「ふぁ…… ねみぃ……」
ホットドッグをかじり、もふもふと口を動かすダテ。鳩がばさばさと集まり、ダテをうらやましげに見つめていた。
『参ったな……』
『何がっスか? ちょっとちぎってあげりゃいいじゃないですか』
『ハトじゃねぇよ、「仕事」の話だ』
一向に進みを見せない今回の「仕事」。
彼はその始まりの時へと、鈍く頭を巡らせた――
無機質な、ざらざらとした冷たい壁の一室と、目線の遙か上、鉄格子越しに見下ろしてくる赤い服を着た者達の視線――
「ん……」
薄く、ダテは目を開ける。
ぼんやりとした暗がりの中、温かく柔らかな布団から手を伸ばして、畳の感触を指先に感じる。
――大丈夫、俺の、家だ……
目を瞑ると再開されそうな夢の残滓。一つ息を吐き、身を起こしたダテは、頭を振ってそいつを追い払った。
カーテン越しに差し込む街灯の光。真夜中の自宅六畳間、彼は空中へと手を吸いこませていく。
「ありゃ……」
すっぽりと手を差し込んだ、紫の切れ目を見せる「空間」。しばし探った彼は小首を捻った。
「ねぇ…… な」
探り続けるも、彼の求めるものはその中には無かった。白い一本が詰められた紙箱、そのストックは尽きているようだった。
「しゃあねぇ…… 買いに行くか」
腕を引き抜いたダテは、めんどくさそうに布団から立ち上がった――
真白いアスファルトの上に、新たな足跡をつけていく。張り詰めたような、透き通っているような、冬の夜の空気が心地よかった。世界にただ一人、自分だけが止まった時間の中を歩いている。そんな錯覚すらも感じるほどに、辺りは静かだった。
「ありがとうございました」
コンビニから出たダテは、紙箱三つとコーヒー一缶の入った袋を手に、来たばかりの道を引き返していく。
「寒いの…… だろうな」
その感覚は、最早わからない。凍てつくような寒さ、焦げ付くような暑さ。体にひどく害を成すような気温の変化は、自動的に遮断される。彼の体はそういう仕組みになっている。いつからそうなったのかは、もう思い出せない。
ただ遮断されているからには、今の気温が相当に低いのだろうとは思った。
一軒家、文化住宅、遠くには高層の市営住宅。昭和と平成の入り交じった、中途半端な田舎の帰り道。彼は道すがら、立ち止まってコンビニの袋を漁った。
「……旅行か」
袋の中には買った金襟のデザインの紙箱と、熱い缶コーヒー。そして店が入れたのだろう、航空会社のパンフレットが入っていた。
――もうひとりのあなたに会う、モンゴルの大地。
「金出して飛行機なんざ乗らなくても、俺ならひとっ飛びだ」
モンゴルの人と日本人はなぜか似ている。そして世の中にいるという、自分そっくりな三人のうち一人は、なぜかそこにいるのだという。
そんなロマンティックでどうでもいい情報に口の端を上げ、
「俺がもう一人とか、さすがにぞっとするな」
ダテはパンフレットをくしゃりと袋に押し込み、紙箱と缶コーヒーを取り出した。
紙箱から白い一本を引き抜き、缶コーヒーを開ける。
喉元から沸き上がるコーヒーの香り。吐く息に混じって夜空に白く浮かぶ紫煙。
見上げた空には、オリオン座がはっきりと見えた。
「ふむ…… これはこれで、風情があるな……」
しんとした夜の静寂の中、お祭り騒ぎのような自身の人生に、束の間の安らぎを感じる。ただ一人佇む夜道での一服に、彼は目覚める前に見ていた夢のことすらも忘れ、安堵の時を――
と、突如、オリオン座が形を変え、中央の星二つが左右に拡がった。
「はっ!?」
砂時計のような形のオリオン座が長方形へと変形し、それはまさに『ドア』の形となって降り注ぎ――
「嘘だろっ!?」
後には、雪道を茶色く染める、空き缶のみが転がっていた。
「つ…… ててっ……」
頬に感じる固く冷たい地面の感覚に、ダテは意識を取り戻す。
手をついて身を起こすと、夜道に街灯の光を受ける、白い雪道が見えた。
だが、顔を上げて見上げる風景に、これまでいた場所の面影は微塵も無い。
「……強制召還かよ」
右手には、桟橋と海。左手には、レンガやコンクリート造りの大きな建物が並ぶ。日本の片田舎にいたはずの彼の眼前には、どこか古めかしい、西欧諸国のような印象の港町が広がっていた。
その意味は、彼にとっては慣れたものである。
「大丈夫、ですか?」
「……?」
不意に真横から、声がかかった。
振り向いた先には、厚手の手袋に包んだ手を差し伸べる、女性の姿があった――




