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玄人仕事  作者: 千場 葉
#8 『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』
259/375

6.c11,12/20 昼


 ムクィドのある港近郊から離れ、黒いジャンパー姿のダテは、人通りの多い町中(まちなか)を歩く。

 倉庫や船会社が並ぶ港周辺とは違い、アスファルトを挟んだ二車線の通りには、ガラス張りのブティックやレストランなど、小洒落た商店も並ぶ。行き交う車はどれも「クラシック」で、見た目にはモノクロの外国映画に出てきそうな町並だった。

 町の一角に広場を見つけたダテは、出店で買ったホットドッグ二つを手に、空いているベンチへと腰掛けた。


『えっと…… 今日で何日目だっけか……』

『十日目っスな~』


 広場の中央、ベンチと石垣に囲まれた石柱には、大きな時計が埋め込まれていた。背もたれに寄りかかって頭をのけぞらせた彼の目に、逆さまに映った十三時を示す針が見える。

 夜の酒場で働き始めて、九日目にして訪れた休日。夕方から夜中までの労働生活な昨今、普段ならそろそろ起きようかという時間だった。


「ふぁ…… ねみぃ……」


 ホットドッグをかじり、もふもふと口を動かすダテ。鳩がばさばさと集まり、ダテをうらやましげに見つめていた。


『参ったな……』

『何がっスか? ちょっとちぎってあげりゃいいじゃないですか』

『ハトじゃねぇよ、「仕事」の話だ』


 一向に進みを見せない今回の「仕事」。

 彼はその始まりの時へと、鈍く頭を巡らせた――





 無機質な、ざらざらとした冷たい壁の一室と、目線の遙か上、鉄格子越しに見下ろしてくる赤い服を着た者達の視線――


「ん……」


 薄く、ダテは目を開ける。

 ぼんやりとした暗がりの中、温かく柔らかな布団から手を伸ばして、畳の感触を指先に感じる。



 ――大丈夫、俺の、家だ……



 目を瞑ると再開されそうな夢の残滓(ざんし)。一つ息を吐き、身を起こしたダテは、頭を振ってそいつを追い払った。

 カーテン越しに差し込む街灯の光。真夜中の自宅六畳間、彼は空中へと手を()()()()()()いく。


「ありゃ……」


 すっぽりと手を差し込んだ、紫の切れ目を見せる「空間」。しばし探った彼は小首を(ひね)った。


「ねぇ…… な」


 探り続けるも、彼の求めるものはその中には無かった。白い一本が詰められた紙箱、そのストックは尽きているようだった。


「しゃあねぇ…… 買いに行くか」


 腕を引き抜いたダテは、めんどくさそうに布団から立ち上がった――




 真白いアスファルトの上に、新たな足跡をつけていく。張り詰めたような、透き通っているような、冬の夜の空気が心地よかった。世界にただ一人、自分だけが止まった時間の中を歩いている。そんな錯覚すらも感じるほどに、辺りは静かだった。


「ありがとうございました」


 コンビニから出たダテは、紙箱三つとコーヒー一缶の入った袋を手に、来たばかりの道を引き返していく。


「寒いの…… だろうな」


 その感覚は、最早わからない。凍てつくような寒さ、焦げ付くような暑さ。体にひどく害を成すような気温の変化は、自動的に遮断される。彼の体はそういう仕組みになっている。いつからそうなったのかは、もう思い出せない。

 ただ遮断されているからには、今の気温が相当に低いのだろうとは思った。

 一軒家、文化住宅、遠くには高層の市営住宅。昭和と平成の入り交じった、中途半端な田舎の帰り道。彼は道すがら、立ち止まってコンビニの袋を漁った。


「……旅行か」


 袋の中には買った金襟のデザインの紙箱と、熱い缶コーヒー。そして店が入れたのだろう、航空会社のパンフレットが入っていた。


 ――もうひとりのあなたに会う、モンゴルの大地。


「金出して飛行機なんざ乗らなくても、俺ならひとっ飛びだ」


 モンゴルの人と日本人はなぜか似ている。そして世の中にいるという、自分そっくりな三人のうち一人は、なぜかそこにいるのだという。

 そんなロマンティックでどうでもいい情報に口の端を上げ、


「俺がもう一人とか、さすがにぞっとするな」


 ダテはパンフレットをくしゃりと袋に押し込み、紙箱と缶コーヒーを取り出した。


 紙箱から白い一本を引き抜き、缶コーヒーを開ける。

 喉元から沸き上がるコーヒーの香り。吐く息に混じって夜空に白く浮かぶ紫煙。

 見上げた空には、オリオン座がはっきりと見えた。


「ふむ…… これはこれで、風情があるな……」


 しんとした夜の静寂の中、お祭り騒ぎのような自身の人生に、束の間の安らぎを感じる。ただ一人(たたず)む夜道での一服に、彼は目覚める前に見ていた夢のことすらも忘れ、安堵の時を――



 と、突如、オリオン座が形を変え、中央の星二つが左右に拡がった。



「はっ!?」


 砂時計のような形のオリオン座が長方形へと変形し、それはまさに『ドア』の形となって降り注ぎ――


「嘘だろっ!?」


 後には、雪道を茶色く染める、空き缶のみが転がっていた。




「つ…… ててっ……」


 頬に感じる固く冷たい地面の感覚に、ダテは意識を取り戻す。

 手をついて身を起こすと、夜道に街灯の光を受ける、白い雪道が見えた。

 だが、顔を上げて見上げる風景に、これまでいた()()の面影は微塵も無い。


「……強制召還かよ」


 右手には、桟橋と海。左手には、レンガやコンクリート造りの大きな建物が並ぶ。日本の片田舎にいたはずの彼の眼前には、どこか古めかしい、西欧諸国のような印象の港町が広がっていた。

 その意味は、彼にとっては慣れたものである。


「大丈夫、ですか?」

「……?」


 不意に真横から、声がかかった。

 振り向いた先には、厚手の手袋に包んだ手を差し伸べる、女性の姿があった――


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