追憶のシャーリー・テンプル
『BARネクタル』には、今日も彼らを除いて客はいなかった。
「俺の手落ちです、ほんとにすいませんでしたっ」
薄暗い店内の奥の二人席。黒ジャンパーの男が、スーツ姿の男に頭を垂れる。二人が囲む卓の上には、場所に似つかわしくない、アラビアンナイトを模したようなロボットのプラモデルが突っ立っていた。
「……うん、で、兄ちゃん…… これは?」
スーツ姿の男、伊達恭次がそれに指を差す。
「え~と…… 写真が…… ダメだったもんで、そっくり精巧なプラモをクモに作らせてみたんだが……」
「じゃあ、これが……」
「お、おう…… 一応、これが例の――」
黒ジャンパーの兄、伊達良一。彼は『仕事』の報告と、『ミッション』の失敗についての申し開きのために直接会う機会を作っていた。
そして失敗を取り繕うために、小さな相棒に部屋にあったプラモデルをもとに、魔改造プラモを作らせていた。
「よく出来てるね」
プラモを手に、そう言って細い眼鏡の奥から視線を送る、恭次の顔は笑っていなかった。
「そ、そうだろ? クモが二時間でやってくれたんだ。あいつの物に対する記憶はブレたりしないからな、完全に百四十四分の一、SM0――」
「あー! 実写で見たかったなー! バーニア噴かして飛んでる所見たかったなー!」
ひどい棒読みっぷりで不満の声を上げる恭次に、良一は「うぐ……」と言葉を詰まらせた。
「か、勘弁してくれよ…… これでも一応クモがぶっ倒れるまで頑張ってくれたんだぜ? まぁ、頑張らせたんだけど…… なんなら他にも見たやつ作らせるから……」
なんとかご機嫌ナナメな弟をなだめようとする良一、そのタイミングでバー『ネクタル』のマスター、目つきの鋭い無愛想な初老の男が二人の横に現れた。
「フィディッ…… いや、ソルティドッグ」
「……シャーリー・テンプル」
注文の催促、言われずともわかる二人は、メニューを開くこともなく端的に注文した。マスターは頷きを見せることもなくキッチンへと戻っていく。
良一は眉を上げ、弟へと首を傾げた。
「……? シャーリー・テンプル?」
「ノンアルコールのカクテルだよ。このあとまだ会社に戻らなきゃいけなくてね」
「それは…… 言ってくれよ、日を改めたのに……」
「かまわないさ」
『日を改める』。普通に思える選択が、弟には出来ない選択だった。この兄の場合、明日ここに存在するのか、しないなら次はいつ戻るのか、わかったものじゃない。
ため息一つ、恭次は手にしていたプラモを置いた。
「……まぁ、クモちゃんにも悪いし、すねたふりはこれくらいにしとくよ」
「あぁ?」
「いや、後々考えて、無茶なことを言ったなとは思ってたんだ。技術の遙かに進んだ世界…… ネットに繋げない電子機器なんて逆にニッチ過ぎる。ネガフィルムなんてあるとも思えないし、あったとしてどうやって現像するんだって話にもなる。それこそポラロイドなんて、今やこっちでもニッチだしねぇ……」
「お、おう…… いや、ポラロイドカメラ、あるにはあったんだぞ? まぁ、買えた代物じゃなかったが……」
良一の言葉に少し笑みをもらした恭次は、膝に置いていた鞄を開き、中からクリアファイルに閉じられた紙束を取り出す。それをテーブルの上に置くと、プラモを回収して鞄を閉じた。
「とりあえず渡しておくよ? 今回は長かったからね、めぼしいニュースは無いけど量は結構ある」
「おう…… いつもすまんな……」
こちらの世界での、常識とも言えるニュースソース。弟のまとめたそれが、良一が時代に置いて行かれないための儚い糸のようなものだった。
「……苦労してんな」
「え?」
「いや…… なんでも」
良一は床から小さめのナップサックを拾い、クリアファイルをしまった。
鞄を床ではなく、膝に置く。この平和なはずの世界でそうすることが普通な弟を、ついと気にかけてしまう。
盆に二つのグラスを乗せたマスターが現れ、テーブルの上に置いていった。
「……それにしても、ロボットか。なんだか懐かしいね、兄ちゃんと二人がかりでプラモ作ってた頃が」
バーの間接照明に照らされた黄金色に輝くカクテルを一口呷り、恭次は目を細めた。良一はグラスの口元に付けられた、塩を一舐めしてそれに答える。
「父さんがマンション買って引っ越したばっかの頃か。あの怪しい駄菓子屋が近所に無かったら、ハマることも無かったんだろうな」
「ああ、そうそう、妙にマニアックなもの置いてるんだよね。とっくにブームも終わってるのに、ミニ四駆のパーツとか定価で売ってるんだよ」
「まだあんのか? あの店……」
「いや、さすがに…… 店の人、あの頃すでにおじいちゃんだったしねぇ……」
会話が途切れ、二人はグラスを口に運ぶ。
尋常ならざる非日常にいて、過去を想う一時だけは、誰しもにある日常の感慨だった。
「あのマンション…… 今は母さん一人だよな。あれ、どうするんだ?」
「……それは保留かな。僕か兄ちゃんか姉ちゃんか、誰かが落ち着くまではどうしようもないかな」
「そうか……」
裏路地から繁華街へと抜けた先、二人は寒気に打たれ足を止めた。
「じゃ、兄ちゃん、悪いけど落書きでいいから他のロボットのイラスト頼むね」
「おう、なんとかやってみるわ、じゃあな」
兄弟は互いに軽く手を上げ、背中を向けて歩き出す。
十一年――
非日常に巻き込まれ、兄弟が秘密を持ったその日から、気づけばそれだけの月日が流れていた。
なんら解決策は無く、何一つの先も見えない。
兄はいつでも見捨てられる覚悟と、弟は何がなんでもかじりつく覚悟を決めていた。
二人互いに、それぞれの悲願への到達を胸に――




