41.バグ・イン・ザ・プログラム
同行室に入ってきたのは憲兵ではなく、青いタイトスカートにブルーのシャツ、ネクタイをあしらった、警備服に身を包んだ女性だった。比較的長身ではあっても、華奢な体つきを見るに軍人とは思えない。裁判所に詰める事務方の係官なのかと、シェリーは思った。
中に入り扉を閉めた女性が、ちょこんと制帽を乗せた長い金髪を揺らして一礼する。
どこか甘えたくなるような美人だなと、そんな印象のお姉さんだった。
「シェリー中尉、お知らせがございます」
にこやかに話す、係官らしきお姉さん。
「お知らせ? 私の番が来たんじゃないの?」
立場上、威圧的な物言いを受けるはずのシェリーは、面くらいながらも返した。
「いえ、少々面倒が起こりまして、まだしばらくお待ちいただくことになりました」
「え? そうなの?」
「はい、なんでも…… 先に取り急ぎの裁判があるそうで」
「急ぎ……?」
現職のエースパイロットである自分の審理を、急遽後回しにしてまでの審理。
長い退屈のせいもあり、ついと興味が湧いてしまう。
「なになに? 大事件の犯人とか? あの戦いの裏にすっごい工作員とか隠れてたの?」
「いえいえ、そういうわけじゃないっスけど……」
「『っス』?」
上品そうなお姉さんから放たれた、似つかわしくない口調に思わずつっこむ。
ぴょこんと背筋を伸ばし、お姉さんは手を前にパタパタと振った。
「おっと、それでは私はこれにて……」
そそくさと退室され、首を捻るシェリーが一人、部屋に残った。
軍事裁判所、第一法廷。十時三十分。
旧世代の軍法会議や簡易裁判所などとは違い、最高裁判所にも劣らない広さと設備を持ったこの場所には、職業裁判官から選ばれた裁判長を筆頭に、軍属の裁判官、検察、憲兵。四十名を超える人間が詰めかけていた。
中央奥に裁判官が席を置き、左右に検察、弁護人を置くという伝統的な裁判所のスタイル。しかし、今回の審理においては「弁護士」は配置されてはいない。それは被告が軍人であり、下されるのは違反に対する執行であるためだった。
軍人に対する軍事裁判とは、法が絡むという側面を除けば辞令と変わらない。被告は黙して沙汰を受ける以外に無い、団体としての規律を守ることに重きを置いた裁判なのである。
黒いマントの裁判長が、壇の下、傍聴席の前に置かれた証人席に座る五人の内の一人、白髭の軍人に目配せする。
一つ首を振り、裁判長は木槌を手に取り、叩いた。
「では、始めよう。被告人をここに」
まばらに数人の軍人達のみが座る傍聴席の奥。法廷の正面扉が開かれる。
法廷内の誰もの視線が、連れられてくる被告―― シェリーの方へと向けられた。
――法廷に、数秒の間を開けて、ざわめきが訪れる。
現れたのは金髪の係官らしき女性と、手錠をはめられた異様の人物。
緑のチノパンに、安っぽい合成繊維の黒のジャンパーという時代の知れない出で立ちの人物が、いかにもしょっぴかれたという風体で入り込んでいた。
「……? 誰だ? 男のようだが…… シェリー中尉はどうしたのかね?」
裁判長が訝しげというより、予定外のことに頭が追いつかないという様子で、金髪の係官に尋ねた。どういうわけなのか、黒ジャンパーの人物は顔全体に包帯を巻いており、その風体が事態に不気味さを乗せる。
対して係官は落ち着いた仕草で一礼し、裁判長へと顔を上げる。
「いえ、この方が、是非お先に裁いていただきたいとのことで」
「な、なに……?」
顎を突き出す裁判長をよそに、係官は謎の包帯男の方へと向き、その手錠を外した。
拘束されていた手を軽く振った包帯男が、一歩と前へ踏み出す。
「いや~、実はですね、私~。中尉と同じく勝手にヒューマノーツで出撃しちゃいまして~、お咎め無しはどうかな~と、思いまして~」
男の陽気でふざけた物言いに、裁判長が突き出す顎の角度を深めたと同時、証人席にガタリと立ち上がる軍服の姿があった。
「……! その声は……」
アンダースロー号の艦長だった。
法廷内の皆が闖入者か艦長か、どちらに注視するかで目をさまよわせる中、包帯の男が悠々と顔に手をやり、包帯をぐるぐると外し始める。
やがて――
「やぁ皆さん、地獄の底から帰って参りました。伊達良一と申します」
――そこには黒髪の、一人の日本人が現れていた。
「ダテ?」「誰だ?」「階級は……?」「いや待て、確か……」
両手を広げ、ご披露とばかりに周囲を見渡すダテ。
法廷内に、声を潜めた男に対する詮索が飛び交う中、艦長が叫ぶ。
「ダテ!? まさか生きていたのか!?」
「よう艦長! ひさしぶり!」
アンダースロー号の艦長、その人物の狼狽ぶりに、場にいるほとんどの軍人達がその男の正体を得た。
――アンダースロー号に乗艦していた、アルバイトの民間人男性。
先日の戦いの際、自ら戦場へ赴くことを志願し、特攻して果てたという勝利の立役者。
港のどこからか、突如改造リーチリフトに乗って現れ空を泳ぎ、マーメイドの機密システムを起爆させてパブロを沈めた。大爆発とともに消失した、悲劇の英雄。
あくまで民間人であり、加えて日本人であることから人権問題に発展することを危惧され、その存在は上層部にて秘匿されていたが、戦闘に関わった軍人達の間に噂は絶えなかった。
エルドラードに吹いた神風。その謎の人物と、謎の旧日本製リーチリフトの噂が――
その人物と例の戦時の大爆発が結びつき、おののく軍人達。その中を堂々とダテが歩む。
彼は検事席と弁護人席の間―― 被告人席へと立つと、再びその両手を大仰に広げた。
「さぁさ、裁判長! 私めは軍人でもないのにポップコーンなる珍妙な機体で出撃をかました大悪人! いかような判決が下りますでしょうか!」
突然の芝居がかった台詞に、聴衆が水を打ち、息を詰まらせる。
「当然ながら! この私への判決はシェリー中尉よりも相当に重いものとなる! 当たり前ですなぁ!」
ちらりと、ダテが後方に振り返った。
「……!」
その先には、白髭の艦長。
わずかに目を見開いた艦長の顔に、ダテはニヤリと笑みを見せ、
被告人席から、高く高く跳び上がった――
ダン、と音を響かせ、その体が裁判長の眼前、デスクの上へと膝を付いて着地する。
「……だったら俺が無罪なら、当たり前であの子も無罪だよな? おっさんよ」
「あ……」と、口を開き、裁判長の口からうめき声が漏れた。
「へっ……」
一つ笑った彼は、驚き絶句する裁判長の頭をペシンと叩き、デスクに立ち上がって後方へと振り返る。
そして動けないままでいる軍人達を見回し、呆れた顔を見せた。
「はぁ…… で? こん中で何割くらいのやつが、これ仕組んだアホの一味なんだ?」
彼の視線が一点、証人席の一人へと、
――艦長へと注がれる。
ガッと椅子を跳ね飛ばし、ダテの後ろ、居並ぶ軍服の裁判官の一人が立ち上がった。
「何をやっている! 憲兵! 取り押さえろ!」
その大声に、「おお?」と幾分間の抜けた顔で背後を向くダテ。
彼の周りへと、廷内に待機する十数人の憲兵達が四方八方、弾かれるように駆けだしていった――




