39.凱旋
翌日、エルドラード本部基地――
地表へと降り立ったシャトルの廊下を、ジェイルは歩む。
コツコツと床を踏みしめる足音の響きと、戻ってきた体の重み。
わずか一日にして忘れかけていたこの感覚は、地球というものを教え直してくれるようだった。
「さぁ、どうぞ」
前を歩いていた赤髪の女性クルーが、ハッチの脇に立つ。身の回りから戦闘中のオペレーターまで、親身になって世話をしてくれた彼女に、ジェイルは一つ頭を下げた。
シャトルのハッチが開き、星の大気が、太陽の光が流れ込む――
「ジェイル少尉に、敬礼!」
ハッチに繋げられたタラップ車の下、横一列に並ぶ二十名ほどの軍人達。揃いの紫の軍服に身を包んだ彼らは、堂々としたたたずまいでジェイルに向け、軍式の敬礼を捧げ続ける。
事前に何を聞かされることもなく、案内されるままにハッチをくぐったジェイルは、驚きと戸惑いの表情を浮かべて女性クルーへと振り返る。彼女はくすくすと、いたずらが成功したという風に笑っていた。
思えば彼女に案内されている間も、すれ違うクルー達が妙によそよそしく、中途に笑んでいたことを思い出す。ある種のサプライズ―― そう思い至るまでは、長くはなかった。
見下ろせば、堅苦しい姿勢の中、どこか顔の緩んでいる軍人達。
ジェイルは気を取り直し、タラップを降りる。最後の一段、地上を踏む。
そして、ここ数日でさんざんと叩き込まれた、エース仕込みの答礼をもって彼らへと応えた。
中央には一人の老人。色は同じにして、物々しい勲章や腕章を配された軍服に身を包んだ、白髪の軍人が立っていた。
思わずと目を合わせた老人が笑顔になり、ジェイルへと頷きを返す。ほどなく老人の腕が解かれ、周囲に合わせ、ジェイルも答礼を終了した。
「始めまして、ジェイル少尉。大活躍だったようだね」
笑顔のままに歩み寄り、差し出された老人の手をジェイルはとった。ジェイルより頭一つ高い、軍人らしい、体躯に見合ったがっしりとした手だった。
「あなたは……」
「陸軍大将をやっている。ビッグだ、よろしくな」
「た、大将!?」
ジェイルは思わず、再びと敬礼の姿勢を見せてしまった。
笑いながら、老人は下げるように手を振る。そして振り返ると、軍人達の列から一人の人物を手招きした。ビッグへと会釈を見せ、進み出てくる中年の男。
どこか覚束ない足取りの彼は、ジェイルの前に立つと握手を求め、強めに握りながら深く一礼した。
「すまなかった、ありがとう…… 私はマイセルフ大尉。本当なら、『新型』とともに宇宙へ行くはずだった男だ」
聞き覚えのある名前に、すぐに記憶が働いた。
予定されていた『新型』のパイロット。別れ際、シェリーが語っていた人物だった。
「あ、ご病気だと聞きましたが……」
「ああ、もう大丈夫だ。それより……」
マイセルフの目が、ジェイルの足下から顔までを、見定めるように動く。それはほんの数秒も無い時間。そのわずかな時間で、彼の表情が優しく穏やかなものになったことをジェイルは感じた。
「やはり似ているな、ブルーそっくりだ」
「え……?」
ため息交じりに出された、父の名前。
場を譲っていたビッグが、どこかマイセルフと同じような表情で、口を挟む。
「こいつは君のお父さんの友人でね…… 是非出迎えたいというので連れてきた。実は私も同じで、ここに並んでいる連中も皆、同じだ」
「父さんの…… 仲間……」
「ああ、そうだ」
周囲へと促すように手を差し向けるビッグに、ジェイルは居並ぶ軍人達を見回す。改めて見れば、彼らの制服はそれぞれに違いがあり、読み取れる階級も所属にもまとまりがなかった。中には数名ながら女性もいて、ビッグに近いだろう年嵩の人物もいる。
ばらばらな彼らは、皆が昔を見ているような緩やかな笑みを浮かべ、あるものはうっすらと、瞳を潤ませているようだった。
「ありがとうジェイル少尉。この戦いの勝利と、やつの大事な君の成長に、心からの感謝を贈る」
言葉に出来ない温かさに包まれ、戸惑うジェイルにビッグが声をかけた。
そして軍人らしい固い表情に一変した老人は、靴を鳴らして姿勢を正し、高らかに叫ぶ――
「敬礼!」
揃う靴音と衣擦れの音が、一糸乱れずシャトルの前に木霊した。
「ジェイル! 戻ったのか!?」
シャトルの降り立ったエルドラード本部基地を歩き、アンダスロー号を訪れたジェイルを出迎えたのは、開いたゲート前にてタバコをくゆらせていたジミーだった。
もう見ることは無いかもしれない、一時はそう思っていたはずのダルマのような体との再会に、ジェイルから笑みがこぼれる。
「ええ、作戦終了です。シャイニングムーンも僕も、無事帰ってこられました」
「おお! よくやった!」
ジミーの大声に、ゲートの奥で作業中のツナギ達が手を止めて振り返っていく。
「ジェイルだって!?」
「戻ってきたのか!? マジでか!?」
ばたばたと、ツナギ達が彼へと駆けよってくる。
ジェイルの周りに人垣が生まれ、彼の到着を聞きつけたのか、艦内のクルー達もが次々と格納庫へと殺到した。
ツナギから軍服まで、五十名以上もの人々が乗り、住んでいるアンダースロー号。知っている人から知らない人まで、誰も彼もがジェイルのもとへと、笑顔を覗かせて集まりを見せる。
――ああ、そうか……
この場所に集まってくる人々。出迎えをくれた父の仲間達。そして、宇宙での作戦が終わったあと、十年来の知己を迎えるように自分を受け入れてくれた、シャトルのクルー達。
短い非日常の日々で、これまでに出会った皆の顔が、ジェイルの意識をよぎっていく。
――これが、父さんの見ていたもの……
じわりと体の奥から流れてくる温かな感覚の中、ジェイルはわかった。
――父さんも、僕と同じ…… 『夢』を持って、見ていたんだ……
『夢』というのは、未来に抱くものだけをいうわけではない。そう気づいた、深く奥底に届いた瞬間が、そこにあった。
父にとっては、こうして出会う全ての人々と過ごし、喜び合う。その瞬間瞬間が『夢』であり、刹那でしかない今の連続が、大事な『夢』だったのだ。
今は今の一瞬に過ぎず、儚い。しかし、未来に描く夢も、描くことは出来ても移り気で、それは頭の中にしかなく、やはり儚い。
どちらも『夢』で、儚いもの。だから父は選び取ったのだろう。
今にしっかりと存在している、人々の中にある『夢』を。
そして、人々がそれぞれに持っている―― 今の中にある『夢』を守り抜くことを。
父はじっと、今の『夢』を見ていたのだ――
「ジェイル? どうした?」
「あ、いえ……」
ジミーの言葉にはたと、自らの頬に流れる涙に気づき、ジェイルは目元を拭った。
「なんだよ、ようやく帰ってこれたって実感が湧いたってか?」
「はは…… そうかもしれません」
ひやかしてくるジミーに答え、誤魔化すように首を振る。
そこでジェイルは、集った皆の顔ぶれと、喜びの表情の中にある奇妙な違和感――
「あれ……? 中尉は…… それに、ダテさんも……」
「……!」
染みのように落ちていたかげりに、ようやくと思い至った。
ざわついていた皆が、押し黙った。
目線を逸らし、皆を代表するように、ジミーが重く、口を開く――
「中尉は…… 拘置所だ」
「……拘置所!? なんでそんなところに……」
瞬間、意味がわからず、頭を打たれたように感じた。
「もう聞いているとは思うが、でかい戦闘があった…… 中尉はみんなを守るために…… 命令を無視して出撃した」
「そんな……!」
どういうことなのか、なぜそうなっているのか、聞こうとして言葉が出なかった。
心痛を表に出す、黙り込んだ皆の表情が言葉を阻んだ。
「それと…… それとな? 落ち着いて聞いてくれ、ジェイル……」
うつむき、視線を逸らしていたジミーが、ジェイルの目を真っ直ぐに見据えた。
その真剣な表情と、意識を逃がそうとしない注視に、悪い予感が首をもたげる――
「ダテは…… 死んだ」




