36.ソリッドタイヤ・オンザロード
洋上から港へと、じりじりと一定の速度で前進し続ける要塞空母パブロ。その内部にあるブリッジは、艦の泥臭い外見からは想像も出来ないほどに近代的で、洗練された空間だった。
白壁の広い会議室に機材を積んだ長デスクを並べ、前面に大画面モニターを配した一室は、軍艦のブリッジというよりは航空宇宙局のコントロールセンターのようにも見え、隔壁に守られたこの場所には空戦の音すらも届かない。
世界最強の艦。そのコントロール施設は、ガンダラーの先端テクノロジーの在り方が凝縮されたような核だった。
ブリッジ中央部には年嵩の、眼光鋭い黒髪と口髭の軍人。艦を指揮して数十年、パブロの設計段階から関わり、以来乗艦し続けてきた名うての艦長が座る。
情報が錯綜する喧騒の中、大画面モニターを注視し続ける艦長へと、スマートな眼鏡のクルーが歩み寄った。
「艦長、ムーンライトがやられました」
「何? 大尉がか……?」
これまで全神経を指揮に集中し、微動だにしなかった艦長が驚きとともに姿勢を崩した。
「脱出はなされたようですが……」
「大尉のムーンライトを撃墜するとは…… やはりマーメイドも侮れんな……」
マーメイドを追って、ムーンライトが単機港へと入り込むまでは確認していた。しかしその後のことは、エルドラード市街より放たれている強力なジャミングにより追えてはいなかった。
見失ってしまった形ではあったが、『新型』にして搭乗者はあのタンバリンマン。撃墜は予想の外だった。
「どうされます? 作戦に支障は無いと思いますが……」
眼鏡のクルーが、眼鏡のクルーらしく眼鏡の中央をくいっくいっとやりながら尋ねる。
ムーンライトが墜ちた。だが、マーメイドが沿岸に戻っている様子は無い。仮に戻ったとして、これまでの戦闘でエルドラードの戦力はもう充分に疲弊している。問題にはならないだろう。
眼鏡のクルーの言う通り、『作戦に支障は無い』。
「うむ…… そろそろ頃合いだろう、出ている戦力を全てパブロへと帰還させろ」
「はっ!」
ガンダラーは見抜いていた。追い詰められたエルドラードは、港ごとパブロを消失させるであろうことを。
そして見抜いていたガンダラーは、それを誘っていた。
「『HOシールド』を最大出力で展開する。準備急げ」
『Hidden Order』―― ガンダラーが近年偶然発見に至った、科学にとっての未知のエネルギー。パブロにはその力を用いた、強力なバリアが張られていた。
それは今の中程度の出力にして、戦車やヒューマノーツからの集中砲火に晒されようとびくりともしない、理不尽なまでの耐久力を持つバリア。希少な材料を必要とするために替えのきかない一点物にして、世界ただ一隻、パブロのみに許された特殊装備。その力を軍事機密に止めておくためにこそ、パブロには重装甲の鈍重な外見が採用されている。時には敵を、時には味方をも欺くために。
そして今、その欺きは最大の効果を得ようとしている。
港が消し飛ぶほどの攻撃を浴び、尚もその上空に悠々と浮かぶパブロ―― 観測するエルドラード側が哀れに思えるほどの、完璧な勝利のイメージだった。
決着への最後の指示は下した、あとは時を待つのみ。
艦長は静かに目を伏せ、座席に体を預けた。その時――
「艦長! 正体不明機! 戦線をまっすぐに接近してきます!」
辞去したはずの眼鏡のクルーが振り返り、報告を叫びながら艦長のもとへと駆け戻ってくる。脱力した瞬間に声をかけられ、狼狽を見せながらも艦長は身を起こす。
「正体不明機……? それはもう撃墜されたと聞いたが……」
「わかりません! 識別コード不明! すでに上陸したヒトデマン二機が撃破! 止められません!」
「なんだと!?」
意識に油断があろうとなかろうと、驚かずにはいられない報告だった。この作戦に投入されたヒトデマンは八機。激戦の最中であろうとも、これまで六機がほぼ無傷の状態で残っていた。今でこそ『新型』が現れ出したとはいえ、これまで幾多の戦局を制してきたガンダラーの主力ヒューマノーツ、そうそう簡単に落とされる機体ではない。
「カメラ射程に入りました! モニターに出します!」
パブロ周囲の戦闘を映していたモニターが切り替わる。
空の映像から一転、港町の道路。そこに走る、一機というよりも一台――
「……フォークリフトじゃないか」
「リーチリフト…… ですね」
爆走する、ダテのリフトの姿があった。
倉庫街の二車線道路。上陸し、地上から戦車隊へと連装砲を向けていたヒトデマンへと、ダテのリーチリフトが滑る。ダテは機体の足下を目指しながらレバーを引き、前進とともにツメを高く上げていく。
「ううらぁっ!」
ヒトデマンの背後から股下に入り込んだリーチリフトが、凄まじい勢いで三百六十度回転し、直進して抜けていった。
唐突な小さな機体の接近に反応出来なかったヒトデマンが、去って行くリーチリフトを見る――
と、同時、その右足の関節がぐにゃりとずれ、鋭利な切れ目を覗かせて巨体が地響きとともに道路を陥没させた。
その様子を顧みることもなく突き進むリーチリフトの前に、倉庫の影から鳥のような逆関節の脚を持つ三機の小型機体が現れ、素早く転換してそれぞれが砲塔を向ける。
「大将! 前!」
「耳元で怒鳴るな!」
左手でハンドルを右へと三回転させ、ダテのリフトが直進から直角に右へと曲がる。加えて今度は左九十度。車では考えられない奇抜な小回りが、放たれてくる弾丸を次々と回避していく。
「くらえやああっ!」
ガタガタとアスファルトの破片を踏み、速度を上げて小型機へと突進するリフト。衝突の寸前、車体はダテのハンドリングにより真横を向き、リーチリフトには不可能なドリフト走行が実現される。
ダテの魔力により強化された、白く光り輝くブレードが一機の逆関節を分断し、小型機が道路に転がった。ダテは残る二機を無視してパブロへの前進を再開する。
――リーチリフト。
いわゆる乗用車のような形を持つフォークリフトとは違い、搭乗者が立ち乗りにて操作するという、見た目に奇妙な未来感を感じさせるリフト。微細な操作が要求されるニュートラルから左右目一杯まで三回転を要するハンドルと、二本のツメを上下出来る部分こそフォークリフトと同じだが、その最大の違いはやはり、立って乗るというその機構である。
足下には微妙にしか強弱の無い踏めばオフ、離せばオンのブレーキペダルがついており、前進と後退は右手側にある前後進レバーを前後に倒すことによって行う。アクセルやシフトは操作に存在しない。
都合ふにゃふにゃと不安定に感じる左側のハンドルを左手で操作しつつ、右手で真ん中にある三本~四本のレバーを倒してツメを操作し、右手首で前後進レバーを倒すという、書いていてよくわからない操作で動かす複雑な乗り物となっているが(※)、挙動全てを手先で可能とする機構は細かな作業への利点でもあり、大きな事故を避けられる要因にも繋がっている。
フォークリフトと比べた場合の車体の小ささ、小回りの良さ、そしてリーチリフト特有である「ツメの前後操作」による狭所対応力。同重量を持ち上げられる能力を持つならば、フォークリフトの上を行く性能を持ったリフトと言えるだろう。
が――
「ぬはははは! 行くぜぇええ!」
「ぎゃああああ! 吐きそうっスー!」
リーチリフトは基本室内用であり、前後に着いたタイヤは硬質なゴムのカタマリである。間違ってもコンクリ破片だらけで路面がガタガタな戦地を突っ走っていいものではない。最悪タイヤが割れ、TOY●TAの人に来ていただくはめになる。
そして、『※上記の操作手法は絶対禁止です。荷役装置の操作は必ず停止後に行い、レバーは右手で一本ずつ、注意しながら行いましょう』である。
「ん……?」
そのまま直進すれば正面からパブロへと砲撃を繰り返す、居並ぶ戦車隊へと突き当たる。その防衛ラインへとあと数分の場所で、ダテは唐突にハンドルを左へと回転させ、二車線道路から脇道へと逸れていった。
「大将? どこへ……」
眉を潜め、幾分真剣な表情で細い路地を走るダテ。終始無言のまま、途中右へとハンドルを切ったダテは、パブロから大きく左に逸れた位置から再び海へと突き進む。
やがて左右に立ち並ぶ倉庫が終わりを告げ、最後の二棟の先に埠頭が広がる。その境にて、ダテはリーチリフトを停止させた。
「ど、どうしたっスか? 大将……」
「あれは……」
ダテの視線の先、一台の小さなモノリス――
マーメイドの『ACアダプター』が突っ立っていた。




