35.接続した絆
三十二型モニターの中、ムーンライトから強引にツメを外されたダテのリーチリフトが、横殴りの力を受けて猛回転する。遠心力でスポンと小さな妖精が投げ出され、尚もグルグルと片輪で回転する。
やがて、リーチリフトは奇跡の安定性を見せ―― どすんとその場に立ち止まった。
その立ち席には、ボロボロの灰色のツナギを着た男――
「や、やりやがった……」
まさかの勝利に、ジミーが震える両手を握り込む。
「あいつ…… 生きて……」
まさかの生還に、金髪のツナギが涙腺を緩める。
ジミーがぐっと屈みこみ、拳を天井に突き上げた――
「よっしゃああぁーっ! 勝ったぞー!」
その予想外の光景が、格納庫に男達の歓声を湧き起こした。
ブースト燃料低下のアラートが鳴るマーメイドコックピット。シェリーは警告音を切ると操縦桿を操り、マーメイドを地上へと仰向けに寝かせた。
座席の背もたれからコントロールパネルを踏み台に胸部ハッチを開き、上半身を外へと出す。ひやりと感じる大気の中、見下ろす先に、その人物はいた。
「よぉ! すまんな、遅れた」
ツメを下ろしたリーチリフトに乗り、笑いかけるダテ。その隣には、ふらふらと目を回しながら彼に近寄る、小さな妖精の姿がある。
「お兄ちゃん…… 生きて……」
「脱出が間に合ってな。代わりのヒューマノーツを探してたんだが、これしかなくてよ」
ダテがリーチリフトを操作し、その場で一回転を見せた。
ポップコーンとともに跡形も無くいなくなった―― もう生きてはいないはずの人物の元気な姿に、シェリーは溢れかけた涙を堪え、笑った。
「無茶苦茶だよ…… リーチリフトでヒューマノーツに突っ込むなんて……」
「おっ、わかってるな。そうだ、こいつはリーチだ」
うぃんうぃんと、ツメが上下に傾きを変える。なんだか生き物が返事をしているようで、ひどい戦闘のあと奇妙に微笑ましく感じた。
「ありがとう…… なんとか勝てたよ」
「ああ、見事なもんだ」
「でも……」
シェリーは遠く、倉庫街の向こうを望む。霞がかかるような距離でも、それとはっきりわかる禿げ山じみた黄土色の巨体―― 要塞空母パブロの姿。その最悪の艦はエルドラードの戦車に撃たれ、戦闘機にたかられようと止まる様子を見せず、周囲のヒトデマンとともに港へと接近し続けていた。
「さすがにもう、ここまでだよ…… マーメイドももう限界…… あれは抑えられない」
例えるなら、出来の悪い怪獣映画。たった十数キロ先、悪い夢のような現実。
「そのようだな」
平静な声でパブロを見るダテの後ろ姿。どうしてこんなところまで助けに来たのか、なぜそうも落ち着いていられるのか。何にせよ、落ち着いていてくれるなら有り難い。シェリーは早々に、言うべきことを言っておくことにした。
「……それなら、歩くよりは速いでしょ? お兄ちゃんは早く逃げるんだよ」
「逃げる?」
「多分…… もうじきこの港は放棄されると思う。爆弾か、艦砲射撃か…… 本部は港ごと、あれを消滅させる手段を取る」
「おいおい…… 物騒だな」
「私ならそうするよ。港から先へ侵攻されると、被害はどれくらいのものになるかわからないからね」
後ろに広がる市街地。避難命令は出ているが、全ての人が避難出来ているとは考え難い。何より人々の住む街、生活のある場所。壊させていいわけがない。
被害を天秤にかければ、その決定は下されて然る。
「……君はどうする?」
見上げてくるダテから視線を逸らし、シェリーはマーメイドの装甲を撫でた。修理されたばかりのはずの装甲は、素手で触れば怪我をしかねないまでに傷ついていた。
「最後まで戦うよ。まだ仲間のみんなが残ってる…… 一人でも多く助かるように、ちゃんと戦わないとね」
「……死ぬ気か? シェリー」
呼び捨て。艦内では「中尉」と付けられていたと思う。思えば口調もいつもより軽く、遠慮が無い。怒っているのだろうかと感じてしまうが、自分の選択を変えるつもりは無い。
「私はね…… エースなんだ。ジェイルくんのお父さんから、勝手に跡を継いだエースなんだよ。きっと、次のエースはジェイルくん…… お父さんから子供へと、バトンが渡されるの。それは素敵なことだと思わない?」
シェリーの中には、自覚があった。
自分の役目は終わった。すでに終わっていたのだ。
「なら中継ぎは、精一杯走らないとね」
――『ヒューマノーツに乗るのって、楽しいんだね』
その想いを彼へと繋げられた、その日に。
気づけば我知らず、笑顔が漏れていた。
ジェイルに助けられたあの時と同じ、肩の荷が降りた感覚に包まれ、笑顔になってダテに顔を向けていた。
ダテは目を伏せ――
「……いい顔してんじゃねぇよ」
そう言って、初めて見せるような大人っぽい顔で、苦笑した。
「……クモ」
「あい!」
妖精に声をかけた彼は、マーメイドを指さす。
「燃料はしゃあねぇが、ちょろっとアレを直してやれ」
「いいんスか? シェリーちゃんだけじゃなく、多分色んなところから見られてますよ?」
「かまうか、世界もかまってねぇ。やっちまえ」
「あいさー!」
元気に返事をした妖精が、弾丸のような速さで光の帯を引きながらマーメイドへと飛ぶ。
「え……!? なに……!?」
仰向けに倒れているマーメイドの全身を、光の残像を残し、目に捉えきれない速度で妖精が周回していく。小さく可愛らしい珍しいオーパスなのだと、そうとだけ思っていた彼女にとって、今の幻想の光景は意味のわからないものだった。
光の螺旋の中、戸惑うシェリーをよそに、ダテがレバーを引いてリーチリフトのツメを上げていた。そして妖精が止まり、シェリーがすっかり新品同様になったマーメイドに驚いた頃、彼は三メートルほどに上がったツメに両手をかけ、ぶら下がっていた。
ダテが逆上がりの要領で、ツメを支点に体を回転させ、その上に立つ。
「よっと……」
マーメイドの胸部から顔を出した自分と、ほとんど同じ高さに立った彼。人好きのしそうな笑顔を向けるその彼のことが、今更になってシェリーは気になった。
密航者で、ジェイルの短い友人で、フォークリフトに乗った姿ばかりが印象的だった彼。
こんな戦場にいて家の中にいるように落ち着いていて、聞いたこともない機能を持ったオーパスを連れていて、明らかに常人では無い身体能力の持ち主――
「……シェリー、これをあいつに」
『どういう人なの?』と問いかける。それよりも先に、ダテが胸元から一枚のカードを取り出した。
手首を返して投げられたカードが、受け取ろうと手を伸ばすシェリーの手に、何かに操られるかのように正確に飛んだ。
「これは……?
彼女の手には青と白のラインが入った、『第二ラウンジ』の看板と同じデザインのカード。
「次のエースへの、俺からの餞別だ」
カードの裏面には『ボトルキープ登録証』の文字と、今は宇宙にいる、彼の友人の名前がサインされていた。
「餞別って…… なにを……」
この場面での「別れの贈り物」。
それをなぜ自分に手渡すのか、手渡せないかもしれない自分に渡すのか、彼の考えがわからない。
「祝うのは君に任せた。その代わり、今のスポットライトは俺が貰っていくぜ? いいな?」
「え……?」
何を言っているのか判断が追いつかない内に、「じゃあな!」と一言、ダテがツメから飛び降りてリーチリフトへと乗り込む。
そしてごごんと、整備されていない地面を回転し、背を向けた彼のリーチが走り始めた。
「お兄ちゃん!」
叫んで呼びかけた声に、パンッと一声、遠ざかるリーチのクラクションが別れを告げた――
マーメイドを置いて走り出したリーチリフトが、倉庫街を港へと突っ切っていく。
「さて……! 『脇役』の見せ場を見せつけてやるかぁ!」
「あいっさー!」
目一杯に前に倒した前進レバー。
最高速度時速十二キロの車両が、彼の意思に応えるように限界速度を踏み超えだした。




