21.絆の比翼
まぶたの裏、光を受けた橙色の世界に覚醒し、両手を伸ばす。
差し迫った状況―― もがくように意識は、戦うための三本の武器を探り求める。
「……?」
その手は空を切り続けた。いくら手繰り寄せようとも、目的のものには触れない。そして、伸ばした腕がやけに重い。
焦りと違和感に、眩しさに構うことなく目を開ける。
滲む瞳に飛び込んできたのは、光を放つ四角い電燈と、薄青い天井――
「あれ……? 操縦桿は……?」
目を閉じ、目を開けただけ。
たったそれだけで切り替わった世界に、シェリーは呆然と、天井に向かう自らの腕を見ていた。
「お目覚めですか? シェリー中尉」
聞き覚えのある、女性の声。
首を横に向けると、小さな丸眼鏡に緑の長い髪を揺らす女性が、事務机から椅子を回してこちらを向いていた。見知ったアンダースロー号の女医の姿。
「昏倒したようですが、幸いと軽い火傷と打ち身だけの症状です。日頃の鍛錬の賜物ですね」
椅子から立ち上がり、歩き寄ってくる女医。
今更ながら、彼女は自らが医務室のベッドに横になっているのだと理解した。
――そうか、私は気を失って……
二丁のサブマシンガンを手にコックピットを開け放って、連装砲の中をめがけて乱射したところまでは覚えている。
その先は――
「敵襲は!? 艦はどうなったの!?」
何があったのかはわからない。ただ、あの戦いで自分が敗北したとなると――
「中尉を始め、戦ってくださった皆様のおかげでご覧の通り無事です。ご安心を」
「無事……?」
にっこりとほほ笑む女医に、シェリーの昂ぶった感情が止められ、疑問だけになっていく。
「お噂には聞いていましたが、熱心に指導した甲斐がありましたね、中尉」
「え?」
「直接にあなたを救い、敵機を追い払ったのはジェイル少尉です。あなたをここに運びこんでくれたのも、彼ですよ」
「ジェイル少尉が…… 私を?」
その名前に、あの頼りなげな、自分を見るたびにおっかなびっくりしていた、深い紫の髪をした青年の顔が思い浮かぶ。
「ええ、あなたが危ないと思って、命令も出てないのに勝手に飛び出して行っちゃったそうです。この艦に迫っていたガンダラーのヒューマノーツもあっという間にやっつけてくれたそうで、今では艦のちょっとした英雄ですね」
嬉々として語る女医から目を離し、シェリーは言葉を失い、うつむく。
シェリーには信じられなかった。
「少尉」という役作りのためにと一応の指導を命じられ、与えた。しかしその指導には、自分でも不必要としか思えない、過剰な厳しさが入ってしまっていた。
『新型』のレコーダーに残っていた彼の技術。その映像を初めて見たその日以来、彼女の中には、こびりつくような暗い澱みが蔓延っていた。
未熟にして、雄大さを感じさせる堂々たる飛び方。
自分が思い描き、目指す形。それを凌駕した先を思わせる、鮮烈なアクロバット――
胸に生まれた嫉妬と、優秀な後進への焦燥感。
そして、恩師―― あの人と同じ翼を持つ可能性への、あの翼を空へと還せる可能性への期待――
過分な私情。
今思えど、恨まれこそすれ、助けられるいわれは無い。
「……あなたに、感謝しているそうですよ」
項垂れ、陰を落とした表情のシェリーに、女医が耳元から囁くように言った。
「感謝……? でも、私は……」
「あなたに毎日鍛えられて、一緒に飛んでいるうちに、思い出したそうです――」
その先の言葉が、彼女の心を激しく打つ――
「ヒューマノーツに乗ることは、『楽しいこと』だって」
世界が縮み、眩暈を覚えるように、胸が締め上げられた。
一瞬と彼女の意識が、あの秋空の日へと飛ぶ。
「あなたのことを、なんとしてでも助けてくださいってお願いされました。上官思いのいい部下を持ちましたね」
体の底から、小さな震えが湧き起こる。
ずっと肩に乗っていた何かが抜けていったような、淋しいような、嬉しいような、泣いていいのか笑っていいのかもわからない、どうしようもない感情の渦が、胸元を駆け巡っていた。
「シェリー、無事かね」
ベッド脇のパーテーションから、顔を覗かせる長身に白髭の顔。
きっと、このタイミングで現れなければ、わけのわからないままにひとしきり泣き崩れることを選んだだろう。そんなタイミングで、医務室に艦長は現れてくれた。
「艦長……」
「どうした? 浮かない顔だが…… 敗戦には敗戦だったかもしれないが、君はよく――」
「ジェイル少尉は…… どういう子なの?」
「うん……?」
片眉を上げて不思議そうな顔をする艦長。士官学校時代から変わらない、どんな偉い人が来てもどうでもよくて、普段ならまずしない、「人について」という質問。そんな顔をされるのは仕方が無いと彼女も思う。でも、彼については聞いておきたかった。
「あれだけのスペックをもつ新型を初めてで操ったり、あのタンバリンマン大尉を二回も退けるなんて…… あの子には何か、人よりも優れたセンスのようなものを感じるの」
センス。その違いと、その磨き方を教わった彼女には、それを見抜く目が備わっていた。
「……センスか、それは抜群なのかもしれないな」
顎に手を当て、どこか懐かしむように、遠い目をして艦長は言う。
「彼はかの、初代ヒューマノーツ部隊エースパイロットだった、ブルー少佐のご子息だよ」
「……!?」
「いやぁ…… 懐かしい。彼が入隊したばかりの頃はよく飲みに誘ったもんだ、若いのに色々わかった男で――」
艦長の昔話は、過呼吸になったシェリーには聞こえていなかった。
薄暗い、コンクリート打ちっぱなしの部屋でジミーが呟いた。
「そろそろだな……」
腕を枕に、床に寝そべっていたダテが答える。
「何もしないと、長いもんですねぇ……」
艦長を欺いた越権行為により、ジミー、ダテ、そしてジェイルの三人は、例の懲罰房に放り込まれていた。
「なんかお前、こんな場所だってのに妙に寛いでるな、ダテ……」
「ああ、いや…… まぁ慣れてるもんで……」
騒ぎが済んでからの丸一日の禁固。それだけで済んだのは、何よりジェイルのもたらした戦果のおかげだった。ヒトデマンの撃破、シェリーの救出とマーメイドの回収。ツナギ達やクルー達の猛烈な進言による、艦長公認の形だけの罰である。
「ん? どうしたジェイル」
座りこみ、チラチラと鉄格子の向こうに見える、壁掛け時計を目にしていたジェイルにダテが声をかけた。
「い、いえ…… ちょっと、困った時間だなぁと……」
「あぁ? 時間?」
訝しげに、ジミーが時計に目をやる。
さんざんに確認した時計の針は間もなく正午。解放される時間へと進んでいた。
「……丁度、お昼じゃないですか。この艦って、今日の夕方には基地を発つって聞きましたし…… 今解放されるとなると中尉が……」
「ああ、昼飯か…… 狙ってくるかもなぁ……」
「昼飯?」
一人話についていけないジミーに、ダテは簡単にジェイルがシェリーとの間に約束した、『おごり』についての説明をする。ブルーノート基地での訓練機による実機訓練。負けた方が食事を奢る。そういう話である。
結局の所、あの襲撃の一件でそんな勝負をする暇もなかったわけだが、ジェイルはこの時、シェリー中尉ならば今からでも訓練機に無理矢理乗せて、一戦で決着しようと言い出す可能性が極めて大だと踏んでいた。
さんざんに殴られて、最早性根に刷り込まれつつある恐怖である。このままいくとジェイルは、矯正されて極めて犬になるかもしれない。
そんなジェイルの心配を、ジミーは一笑に付した。
「なんだよ、しょうのねぇやつだなぁ。階級は上だろうが二コ下の女だぞ? いくらかかろうが気前よくいってやらんでどうする?」
「う……」
しわがれ声でのやれやれといった諭しに、縮こまってしまうジェイル。はたで聞いていたダテも、思わずと「それもそうだよな」と、納得しかり。
「ま、その心配はいらん心配ってやつだがな」
唐突に、訳知り顔で鉄格子の向こうを見るジミー。
「え?」と、ジミーを見るジェイルの隣、ダテは廊下に漂いだした「よく知った匂い」に身を起こし、ジミーの向いている方向を目で追いかけた。
ぺたぺたという足音が、廊下に響く――
「どうもー、ベントー屋『くろ』でーす」
ぽかんと、ジェイルとダテが、現れた男を見る。
それはダテにとって妙に馴染み深い、白い割烹着に身を包み、銀の岡持を手にした、メガネの痩せた男だった。見た瞬間に、「ごはんで●よ」が頭に浮かぶ、そんな男。
二人の様子にくっくと笑うジミー。ひょこっと、檻の向こうの死角から、シェリーが顔を出した。
「はーい、ご苦労様ー! みんな解放だよー!」
かしゃんと、彼女の手によって牢が開錠され、開いた入口から岡持を持った男が中へと入った。
「では、置いていきますね。器は十五時頃に取りにうかがいますので」
「うどん」。それは見まごう事なき、「うどん」。
岡持から、盆の上に鰹出汁の臭気を放つ四つの器を並べた男は、「あ、これサービスです」と、おにぎり二個とたくあんの乗った小皿を並べて立ち上がった。
「ありがとうございましたー」
そそくさと去って行くベントー屋。明らかにおかしい場所であるのに、表情一つ疑う様子を見せないあたりが玄人の気概を感じさせる。
「ささ、食べよう食べよう、ここのUDONは絶品なんだよ!」
三人の前に座り、ひょいひょいと器を配りだすシェリー。
「UDONかぁ、俺はKITHUNEよりKAMAAGEが良かったな……」
慣れた手つきで、配られた割り箸をぱきんと二本にするジミー。
急展開についていけてないジェイルと、知ったる食べ物に口を半開きにするダテは、結構な置いてけぼりだった。
「あ、あの…… これは……」
「え!? うん! 気にしない気にしない! 私のおごりだよ!」
「はい?」
勇気をもって、ジェイルは今の展開につっこんでみようとするも、跳ね返ってきたシェリーの反応が何か焦ったような違和感だらけ。ジェイルの勇気は、不安感を増殖させただけに終わる。
「ブルーノート基地の名物だ、安くて旨い。ありがたく食っておこうぜ」
「は、はぁ」
そんなジェイルに一声かけ、ジミーはうどんに細長い容器からささっと七味をぶっかけ、箸を持って食いはじめる。
「うどん、うどんか……」
ダテもそれに習い、当たり前のように箸を器用に扱って食べだした。一口食べて、ダテは確信する。それは本当に「うどん」だった。つるつるとした喉ごしと、もちもちとした食感。爽やかなネギの風味。彼の中で『いいなぁ、大将』という声が聞こえたが、ダテは無視した。
「うん、うめぇな、やっぱここに来たらUDONは食わねぇとな。気が利くな、シェリー」
「そりゃあもう、定番だしね」
それぞれがそれぞれに、懲罰房でうどんをすするという、シュールな光景。
急展開やら初めて見る食べ物やらについていけず、三人を見守っていただけのジェイルも、ようやく見よう見まねで二本の棒を握って麺を口に運んでみる。
「あ…… 美味しい……」
「でしょー!」
思わず漏れた素直な感想に、にっこりと微笑むシェリー。
今までにない眩しい笑顔に、ジェイルはわけもわからず、不器用にうどんをすする。箸を使わない地域に育ったジェイルは、なんとか頑張って麺を挟むも、何度となく逃げられていく。
仕方無く、というか、あまり失敗しているとなぜかこちらをじっと直視している中尉さんが怖いので、ジェイルは器を口に近づけて食べる作戦に出る――
「……食べさせてあげようか?」
「ぶはっ……!」
真っ赤になって「何言い出すのこの人!?」と、声の主を見るも、「冗談冗談!」とばかりに手をぱたぱたやる中尉さん。ジェイルの中で、新たなイジメの予感がきゅるきゅると胃の腑を鳴らした。お腹が空いてるだけなのかもしれない。
「おいおい、むせるには早いぞ、これぶっかけてからむせろ」
と、そこへジミーがにこやかに、ご満悦な様子で七味をジェイルに渡す―― と思いきやバサバサと直接ジェイルのスープを赤くしてくれた。本人に悪気は無いが、こっちがホントのイジメである。
戦い終わり、ようやく訪れたブルーノート基地での平穏な時――
和気藹々と、ちょっと様子のおかしくなったシェリーとともに塀の中での食事は進んでいく。
『あらら、これはこれは、おもしろくなりましたな♪』
『そうだな……』
『ひょっとすると、もう夜のバーで一緒にのんだくれる必要はなくなるんじゃないスか?』
『……そうだな』
妙にべたべたと、かいがいしくジェイルを構うシェリーを見ながら、妖精はニヤニヤ楽しそうだった。
そしてダテは――
『赤は、ねぇよな……』
『はい?』
ベントー屋の白いズボンの裾からチラリと見えた、赤い靴下が妙に気になっていた。
補給と修繕パーツを得たアンダースロー号は、再び首都へと向けて発進する。
エルドラード首都。ジェイル達の旅の終着点。
そして、ダテの『終業』の地へと――




