20.蒼を受け継ぐ者
「強い…… 強すぎるよぉ……」
ぐったりと、滑走路の上に大の字になるシェリー。彼女を降ろした教官の昇降機が、離れた位置へと立つ訓練機へと向かっていく。
出会ったあの日から、軍服の大人―― ブルーは暇を見ては彼女の元を訪れるようになった。
彼が士官学校に来た目的は、現職のパイロットとしてのカリキュラムの視察だった。彼女の前に現われたのは是非にと教官に会うように頼まれたからであり、特別予定されていたことではない。その出会いも、その日のみ、その場限りのものであるはずだった。
しかし彼は間を置かず、突然プライベートとして二度目の来訪を行い教官に腰を抜かさせ、三度目にはシェリーへの直々の指導を申し出て教官の目玉を飛び出させた。無論、後者は比喩である。
「疲れたかい?」
流れる汗をそのままに、アスファルトを抜けていく温い風を受けていた彼女に人影が差す。
スポーツドリンクをかざして微笑むブルー。シェリーは上体を起こし、ドリンクを受け取った。
「ブルーは疲れないの? 今日はもういっぱい乗ったんだよ?」
基礎的な飛行訓練から、模擬弾による実戦演習。
自分と一緒に長時間の訓練をこなしたはずのブルーは、いつもの涼しそうな笑顔のままだった。
「慣れてるからね。これくらいじゃなんともないよ」
「うそだぁ…… 教官達でも二時間も乗ったらぐったりなんだよ?」
ブルーは軍人らしくない細い体つきをしていた。顔つきも全く怖そうではなく、お世辞にも体力や根性があるようには見えない。
スポーツドリンクのストローをちゅーちゅーやるシェリーに背を向け、彼は自らが先ほどまで乗っていた訓練機へと目を細めた。
「……ヒューマノーツに逆らわない、それがコツかな」
「逆らわない……?」
「ありのまま、受け入れるんだ。これは生きていくことも全部、同じことなんだよ」
「ふーん……」
訓練機を見ていたブルーが振り返り、彼女の前に屈み込む。
「ああ、そうそう……」
「……? あたっ!?」
こつん、と、シェリーの額をブルーが軽くノックした。
「った~! なにするんだよ!」
「あの模擬弾の当たり方は実弾なら死んでいたよ。だから罰ゲーム」
「叩くことないじゃん!」
「こうしておくと、パイロットは危ない場面で段々無茶をしなくなっていくんだ。おまじないみたいなものだよ」
涙目で「む~」と膨れる彼女に、ブルーが笑った。
ブルーは彼女に色々なことを教えてくれた。軍の偉い人間だというのにまったく偉ぶることなく、いつも優しく、笑いかけてくれた。
訓練の結果が芳しくなくても責めることはなく、うまくやったとして誉めることもない。そんな彼の指導だからこそ、シェリーは見違えるように腕をあげた。何も言わずに、ただ「強い目標」として彼女の前に立ったブルー。それをどう攻略するべきか、必死に考えた結果だった。
彼の教えを通し、彼女は「自分で考えて、工夫して強くなる」、その面白さに目覚めることが出来た。
そしてその指導は今日の、彼女が天才と呼ばれる背骨を作っている。
何度と何度と、彼との訓練の日々が重ねられ、三ヶ月、四ヶ月と、あっという間に月日は経っていく。週に二回ほど現われるブルー。彼女は気づけば毎日、今日は来るか、明日は来ないかと、彼の来訪を楽しみにするようになっていった。
「ねー、ブルー」
訓練の中休み、滑走路に一緒に寝転がる。
シェリーは彼の伸ばした膝を枕に、頭をもたれるままに尋ねた。
「なんだい?」
それは出会った頃に気になって、今に聞いた今更な質問。
「ブルーはどうして、忙しいのに私に教えてくれるの?」
ブルーは空を見上げる。遠く、吸い込まれそうな秋の空の先、その先を見ているようだった。
「……忙しいから、かな?」
「どういう意味?」
「僕には君と同じくらいの子供がいるんだ。遠くにいてかまってやれないからね、君にかまうことで、罪滅ぼししてるつもりなのかもしれない」
「そうなんだ……」
青しか見えないその先に、その子のことを想っているのだろうか。そう思い、シェリーは「つまらないな」と、そう感じた。
「でも…… 最近は違うかな」
見上げていたブルーの頭が動き、膝元の彼女と目が合う。
「君といるのが楽しい。どんどんうまくなっていく君と、訓練しているのが楽しいんだ。長く忘れていたけど、思い出したよ。ヒューマノーツに乗るのって、楽しいんだね」
その顔には、いつもの涼しげな微笑み。
「……うん!」
満面の笑顔を浮かべるシェリーの頭に手をやり、ブルーは髪を撫でる。温かな手のくすぐったさに、彼女は笑う。
「君がエースパイロットになったら…… みんな楽しいだろうな……」
彼がどうしてそう思うのか、彼女にはわからなかった。それは彼にとって、本当に何気ない呟きだったのかもしれない。しかしその一言は、彼女の心に強く残った。
幼い頃から施設で育ったシェリーは、父を知らなかった。
彼女にとってブルーは、突然現れた父であり、年の離れた友達でもあった。
エースパイロットになる。そんなことはまだ思いもしない。将来なれるのか、なれないのか、それもどうでもよかった。
ただ、いつか一緒にこの滑走路の先の空を、肩を並べて飛べたらいいなと、そう思っていた――
「えっ……?」
夜の学生寮。自室に訪れた教官の一言に、世界が揺らいだ。
寝ようと手にしていたままだった枕が、床へと音もなく落ちた。
「軍部からも正式に連絡があった――」
教官は間を置いて、彼女に届かなかった言葉をもう一度告げる。
「ブルー少佐は…… 亡くなられた」
ドアの前、うつむく教官へとシェリーは詰め寄る。
「そんな! 嘘だよ……!」
「残念ながら、嘘じゃない。内乱の鎮圧に向かった少佐は、暴徒の対戦車ミサイルにコックピットを撃たれ――」
「嘘! ブルーに素人の弾なんか……!」
「機体が整備不良だった……! レーダーの表示が見当違いを指して――」
そこから先は、覚えていない。
ただ翌朝の、腫れぼったい瞼と、乱雑に散らかった部屋の様子は、よく覚えている。
シェリーはその後数日の間、自室を出なかった。
――『君がエースパイロットになったら…… みんな楽しいだろうな……』
そして自室を出た日から――
彼女はエースパイロットを目指した。
「……そう、だったよ」
うつむいていた顔を起こし、活力を漲らせた目でヒトデマンを睨む。
「私は……! エースだった!」
――そう、あの人から繋がる、エルドラードの『エース』。
銃口を向けるヒトデマンへと、シェリーは一切の惑いを見せずにマーメイドの右腕を振りかざす。
『ショットガンか……!』
相打ち覚悟での、至近距離からの散弾の構え。
その気迫に押されるように、回避へと動くタンバリンマン。
しかし、シェリーは右腕を前にかざしたままで、尾ひれのブースターを点火した。
『体当たりだと!?』
避けるであろう方向を読んでいたシェリーは、ヒトデマンへと一息にマーメイドの巨体を詰める。
マーメイドのかざした右手がヒトデマンの左腕サーベルを握り、そのままの勢いで二機は体躯を激しくかち合い、互いに背に炎を噴きあう押し合いとなった。
『くっ……! 愚かな戦術だ、シェリー中尉。押し合うだけならこちらとて負けはしない……! 何より――』
ヒトデマンの右腕―― 連装砲が、コックピットへと向けられる。
『こちらの腕は、二本ある!』
交渉決裂からの、もう一度のチェックメイト。
もはや返事を待つこともなく、弾丸は放たれる――
『なっ……!?』
そんな空気を押し破り、シェリーは――
――コックピットを開いた。
開いた胸部ハッチへと立つ彼女の両腕には、二丁の「サブマシンガン」。
「戦いは発想だよ!」
脇を締めた彼女の両腕から、サブマシンガンが火を噴く。
かつてPDW(個人防衛火器)とも言われた、鉄板をも撃ち抜く特殊弾頭を装填された近代型短機関銃。
その弾丸は全て突きつけられたヒトデマンの連装砲、その砲塔へと入り――
『いかん!』
危険を感じたタンバリンマンが右腕を引くと同時――
連装砲が、大爆発を引き起こした。
『くああっ!?』
爆発に右腕をもがれたヒトデマンが機体のバランスを大きく崩す。
爆風に煽られたシェリーの体がマーメイドの座席へと叩き付けられ、コックピットが閉じられた。
『ぬぅっ……! なんという無茶苦茶な……!』
奇策にしてやられたタンバリンマンが体勢を立て直し、マーメイドを睨む。
彼の眼前で、マーメイドはぐらりと揺れ――
『……!』
地表に向かい、落下を始めた。
『……哀れな。だが、その意地、たしかに見せてもらった……』
その通信は、彼女の耳には届いていなかった。
サブマシンガンが転がる、アラートの鳴るコックピット内。
衝撃に気を失った彼女の足が操縦桿を倒し、機体を下方へと落とし続けていた。
詰みの状態から咬みつき、右腕を中心に大破させられ、撤退をよぎなくされるまでに追い詰められた。
その健闘を称え、もはや助からないであろう敵のエースを想い、タンバリンマンは彼女の最期を、墜ちていく水色の機体を見守る。
そこへ――
「なにっ!?」
飛び込んでくる、白い機体。
太陽を反射し、驚異的な速さで低空を走るその機体が――
落下するマーメイドをその両腕に受け止めた。
「……! 『新型』、だと……!?」
タンバリンマンが目を見張る、次の瞬間――
現れた『新型』、シャイニングムーンの両肩から、発射される三十二発のミサイル。
「ぬぅっ!? わっ! またかー!」
空に無数のひこうき雲を描く、以前の倍の数を誇るミサイルが集中してタンバリンマンを追いかけ――
「くっ、これは、さすがに相手にでき―― あふん!」
被弾しながら撤退する青いヒトデマンとともに、小さく空に消えていった。




