10.鉄箱の艦
青いヒトデマンがひょろひょろと、左右に傾きながらも遠く飛び去っていく。
「しぶといな、あいつ……」
損壊した左肩が起動しなかったとはいえ、三十二発中の十六発。すでにダメージを受け、絶望的な体勢に陥っていながらも、それを数発の被弾で逃げ延びたタンバリンマン。その腕はやはり相当なものと言えた。
だが、彼とても、今は撤退する他無いらしい。
「追いかけないのか?」
「……攻めてこないのなら、僕の立場では戦えませんから」
「そっか……」
一応の終わりを見せた戦い。
くるりと、ジェイルが複座へと体を向ける。
「ところであなた、誰なんです?」
――青空に陽光を弾く機体の背後、巨大な鉄箱の艦が姿を見せていた。
夜半――
染み入るような寒さに、固まっていた体を身じろぎする。
閉ざされていた意識が戻り、周囲の様子が両の目へと入り込む。
体を横に預けた硬いベッド。清潔には見えるが優しさは感じない、白く薄いシーツ。狭い一室に射し込む常夜灯の光が、床に縦縞の影を落とす。
上体を起こした彼は、自らに起こった現実を思い出した。
「どうしてこんなことに……」
堅牢な鉄の格子を眺めながら、ジェイルは半端に目覚めてしまった夜を呪った。
戦いの後、現われた艦に誘導され、薄青い壁面の一室に通されたジェイル。
彼の目の前には白いテーブルを挟み、紫の軍服を着た老年の男。男の背後には二人の男が立ち、ジェイルへと目を配っている。
正面の男、整えられた白髭を口元に蓄えた男の軍服は、一見にして背後の男達に比べ上等なもの―― 上位に当たるものだと見受けられた。
「あいつらの言う『新型』が本当にあるとすれば、知り合いの倉庫屋しかないと思ったんです。それで、実際に行ってみたら――」
テーブルに揃いの白いソファーも、壁にかかる森林の絵画も、まるで心を解さなかった。
ジェイルはまとまらない頭で、促されるままに必死に事の次第を打ち明けていく。
「――倉庫屋さんは作業中に鳴ったサイレンにびっくりしたらしくて、転倒して気絶してたんですけど…… なんとか起こして説得して、乗せて貰いました」
幾分と支離滅裂になってしまうジェイルの弁解。それに腰を折ることなく静かに耳を傾け続ける男。
やがて男は、ジェイルの弁解が終わりを見せた頃になって、ようやくと頷きを一つ返した。
「……事情はわかった。町を守りたい、そういう一心で動いた、その気持ちは充分にわかった。シャイニングムーンも損傷はしたが、結果としては問題無い。修復は可能だ」
男の口調は冷淡なものであれ、ジェイルの胃の腑に生きた心地が戻る。「気持ちはわかった」、「問題は無い」。大事にはならない、そんな期待を持てる一言だった。
一つ息を吐いたジェイルは、変化に乏しい男の顔色を窺いながら言葉を差し挟む。
「あの…… 『新型』は、どうしてあんな町に……? なんなのですか? あの機体は……」
あんな町―― ジェイルの故郷であるディストーションは荒野の辺境の町にして、ガンダラーとの国境沿いに位置する。そんな場所になぜ『新型』が置かれていたのか、結局倉庫屋には聞けずのまま。
巻き込まれた手前だけになく、それによって危機にさらされた町の住人の一人として、ジェイルは尋ねずにはいられなかった。
「……ガンダラー国のモニカ博士を知っているか?」
「それって、ヒューマノーツの第一人者の?」
「そうだ。彼女は半年前、ありがたいことにガンダラーから亡命し、我が国に入った」
モニカ博士。ヒューマノーツ乗りでなくとも、ニュースなどで一般に知られる人物だった。
だが、そのような話は聞いたことが無い。
「そして彼女は、我が国で自らの研究、その最先端の技術を用い『新型』を設計した。それが『SM01』だ」
――『SM01』。
乗り込んですぐにコントロールパネルで確認した機体名。『01』という表記が、まだ後継機の無い新規開発されたタイプであることを示していた。
「彼女自身が設計した、「ヒトデマン」タイプ。あの悪魔に脅かされる私達に時間はなく、我々は急造のため、建造を各ユニットごとに国内各所、別々の機関にて行い、補うことにした。その完成品が集まる場所こそが、君の町、ディストーションだったのだよ」
「……なぜです? ガンダラーの目と鼻の先ですよ……?」
「だが、ガンダラーからすれば戦略上意味の無い場所だ。そして、例の倉庫屋は彼女の夫でもある」
「倉庫屋さんが!?」
意外が過ぎる事実に、ジェイルは目を見開いた。
あの青っパゲ―― もとい倉庫屋は、確かに報道に聞くモニカ博士とは同年代の老人ではあるが、幼い頃より知っているジェイルから見れば、近所の独身の禿げたおじさんであり、彼以外の町の住人からも概ねうだつが上がらないといった印象の人物だった。
「彼は彼で、ヒューマノーツの元研究者だ。広い敷地を構える、口止めの効く内縁。我々は、博士の案に乗ることにした」
「そう…… だったんですか……」
信じ難い話ではあっても、実際に『新型』という動かぬ証拠がある以上、疑う余地の無い話だった。
別段、「ハゲ! 謀ったな! ハゲ!」、などとは心優しいジェイルは思わない。
何故そこまでハゲに辛辣なのか。
「まさか完成し、回収のくだりになってガンダラーに漏れていたとはな……」
その『新型』の回収を命ぜられ、現われた男―― アンダースロー号の艦長が、ソファーから立ち上がった。
「ジェイル君、今日のことは感謝しよう。よくやってくれた」
艦長が腕を振る。軍服のクルー二人が、ジェイルの両脇へと移動した。
「……!?」
彼を立ち上がらせた男達は、強引にジェイルの腕を後ろに回し、手錠を掛ける。
「どういうことですか!?」
「法律は法律だ…… 軍人として艦長として、無断での運用を放免するわけにはいかん」
「っ……!」
スピーカー越しに話した、ガンダラー軍ジュード中尉の言葉が脳裏に蘇る。
ジュードの言った通り、ジェイルの行いは事情を問わない、紛れもない犯罪であることに間違いは無かった。
「……君のお父さんのことは良く知っている」
「……!」
「悪いようにはならないから、大人しくしてくれたまえ」
そうして、その日の夕刻から今に至るまで、ジェイルは懲罰房に入れられていた。
別段、入れられている以上のことはされていない。夜には食事も提供された。食事を運び入れてきたクルーも愛想こそ無かったものの、それは「初めて会う人に対するもの」という程度。不快な扱いを受けるようなことはなかった。
ジェイルは肌寒さに、再び薄いシーツに包まる。
見張りすらもいない懲罰房とその廊下には、艦に響く、エンジンの音だけが静かに聞こえる。その音が、窓一つ無い場所にいるジェイルに、広がっていく故郷との乖離を知らせていた。
ガンダラーの襲撃により、ひどく壊されてしまった町。別れてしまった母や町の人々は気になれど、もう戻ることは出来ない。
これからの自分のことさえも、見通しは立たなかった。
「……あれ?」
そういえばと、今更になって思い出す。
「あの人…… どこ行ったんだろう……」
アンダースロー号へと乗り込み、一緒にシャイニングムーンを降りたはずの複座の男。
「ダテ」の姿は気づけば無く、忽然と消えたままだった。




