102.現れしその時
二、三と煙をふかすダテとレナルド。
訪れた静かな空気の中、小さな足音が彼らへと寄った。
「ダテ…… 神父は、悪くないのか……?」
見上げてくる少女に、彼は一つ空へと煙を吹き、顔を向けた。
「ああ、お前ならわかるだろ? 誰だってちょっとくらい、とんでもないことは考える。そのちょっとを膨らませちまうのが暗黒と、聖なる魔力ってやつだ」
アロアは思い出す。ほんの一時間経ったかもわからない、前のことを。
「……そっか。そりゃ……」
彼女は神父へと顔を向け――
「仕方無いな!」
白い歯をのぞかせて笑った。
「アロア……」
レナルドは片手で顔を覆い、俯いた。言葉にならない感情に、大きな体で、小さく肩を震わせた。
「な、なんだよ…… いい歳して泣くなよ……」
アロアは腕を組み、照れ照れと横目を送る。
「む! な、なんだよダテ……」
「ん、いや…… なんにも」
ダテは顔を逸らし煙を吹いた。その顔は、笑っていた。
「ダテ様……」
空気が弛緩したことを察し、遠慮がちにシャノンが彼に歩む。ダテは歓迎するように片手を挙げた。
「先ほどのお話ですが…… 私達は大丈夫なのでしょうか?」
一本を口に運ぼうとしていた手を止め、ダテがシャノンの目を見る。
「神父様が前回の合月の時、力を失わないままになってしまい、そのためにお心を乱されたとうかがいましたので」
「ああ、それで自分達はどうなのかってことか?」
シャノンが「ええ」と頷き、自らも関係する話にアロアが顔を向けた。
「君らの場合、さっき多分…… 一回カラになるまで撃ち合っただろ? だったら大丈夫だ。神父が問題だったのは、合月の時になんの大きな力も使わず、その後も使わずにいた、そこだからな」
会話によせて欲しいとばかりに、彼のとなりへとパタパタと妖精が飛んだ。
「それって問題になるんスか? イマイチわかんないんスけど」
「……? なるぞ?」
「いや、だって、大将いっつも魔石やらなんやら、媒体見かけると貰っとこうとか言って体に吸収しちゃうじゃないスか。でっかい暗黒の魔力とかでも構わず」
「あ~、やるな」
「たしか…… ほっときゃ体の中で無属性に返還されるから~、とか言ってたと思うんスけど、大将が変態だから大丈夫ってだけなんスか?」
ぺちっとダテの手により、クモの高度が三十センチほど沈んだ。
「体の自浄作用ってのはたしかにあるが、限度ってもんがある。取り込み過ぎたまま放っておいたら、消化仕切れないでそのまま体に残っちまうんだ。取りだそうとしてももう簡単には取り出せん。まぁ言ってしまえば、猛毒をエサに太っちまうようなもんだな」
魔力の吸収と食物の摂取。エネルギーである以上その理は似通う。医学の発達した世界の現代人であるダテにとって、その理解は並の術者よりも明るいものだった。
「ダテ様…… それではレナルドは今後、回復した後はどうなります?」
イサがダテの右側に立ち、レナルドを見下ろして言った。
「……正直、すぐに目が覚めたことにびっくりするくらいです。完全に魔力切れ、もう前回の合月で得た力は吹き飛んでいます。二十五年前、その頃の神父に戻っていますよ」
彼の言葉に、イサが口元に手を当てて目を固く閉じた。
ダテはその様子に、やはり前回の合月を境に、間近にいた者には感じられた彼の変化、それがあったのだろうと思う。
聖なる魔力は暗黒の魔力とは違い、その偏りに気づくことは難しい。自らをも顧みないその思考は社会に受け入れられやすく、多くの人間の救いになることもある。
大きな独善のために、まわりの小さな不幸すらも見えなくなる魔力。
つくづくに厄介な力だと、ダテは思わずにはいられなかった。
「じゃあ神父はもう…… 変なことしたり考えたりしないのか?」
「ああ、大丈夫だ。俺の超必殺技を食らって無事でいられるやつなんて―― そんなにはいない」
いるには、いた。
「ちょ、ちょうひっさつわざか…… すげぇな……」
素直に感心していた。何か変な魔法作ろうとしないだろうなと、ちょっと心配になった。
「ダテ様……」
短くなった一本を地面に揉み消し、レナルドが顔を上げた。
「本当に、ありがとうございました」
ダテは内ポケットからビニルの小袋を取り出し、指先の一本を入れた。
「ああ、あんたを―― いや、神父を失わずに終われて、本当に良かったと思っています。アロア達に、感謝してあげてください」
ダテがしゃがみ、右手を差し出す。
「はい……」
レナルドが右手を伸ばし、短い握手が交わされた。
戦っていた者同士が作った、そのわずかな瞬間。皆が全ての決着の時を見、緩み始めた緊張の糸は完全と解け、安堵とともに消えていった。
「さて……」
ダテはレナルドが地面に置いた一本の残骸を回収し、立ち上がる。
「アロアは…… これからどうする?」
「へ? どうするって……」
「改めて本物の姉ちゃんが出来たわけだし、お父さんも出て来たわけだ。ちょっと俺達おっさん連中で暴れ過ぎたせいで教会もボロボロだし、しばらく実家にでも帰ってみるか?」
「あ……」
アロアはシャノンと顔を合わせ、どうしたらいいのかわからないという、恥ずかしそうな困ったような顔を見せた。
シャノンがはにかみ、少し離れた位置で佇むファデルへと平手を差し向けた。
「う…… と、とうちゃんか…… あれが……」
シャノンが姉だということにも困惑するが、初めて見る見知らぬ親。その存在には、冷静になった今はまったくもって接し方が浮かばなかった。
何より、その貴族然とした容姿。シャノンの父親だと言われれば納得出来るが、自分の親だと思うことには、図々しいような引け目すら覚えてしまう。
戸惑うアロアの視線を受け、ファデルがそれを避けるように手のひらを向けた。
「よせ、お前の父親は、そこにいるレナルドだ」
「お父様……」
腕を下ろし、ファデルは首を振る。
「私は今回のことで一度アロアを捨て、一族の繁栄とシャノンを取った。最早父親である資格は無い」
「あ……」
シャノンは思い出す。ファデルはたしかに『選ばれし道士』をアロアと知っていて、彼女に討つように命じていた。
「ただ…… 一つだけ、今更頼めるのであれば…… あれには会ってやってくれないだろうか」
「あれ……?」
ファデルに向け、アロアが小首を傾げる。
「お前の母親だ……」
「……!?」
アロアが眉を上げた。ダテがその隣から、控えめにシャノンへと尋ねる。
「シャノン、母親って……」
「……? どうかなさいましたか?」
「いや、その…… なんて言っていいか…… 家に行った時、いなかったし……」
言い辛そうにするダテに、シャノンがふわりと笑う。
「母なら健在ですよ。今も変わらず、元気です」
「え……!? あ、そう…… なの……?」
「はい、言われてみればアロアに良く似ていますね。気がつかなかったことが不思議なくらいです」
「あ、はは……」
会って欲しいのは墓標ではなかった。玄人らしい早とちりである。
「か、母ちゃんか……」
両手の指先を合わせ、もじもじとアロアが悩んでいた。
その様子を愉しみながら、クモがシャノンの肩に乗る。
「でも、こないだ行った時はお見かけしませんでしたよ? ひょっとして領域の外にいるっスか?」
「いえ、領域の中で、館の離れに住んでいます」
「はなれ? どうしてっスか?」
シャノンが真顔になり、ファデルを指差した。
「あの人が五年ほど前に他の女の人にうつつを抜かしやがりまして、大層お怒りになって出て行かれたのです」
「シャノンっ!」
「うわ……」「最低っスな」「わたしの父ちゃん最低だ」「不徳ですね」「ファデルよ……」と、口々に感想が漏れた。
戦いのラストにおける活躍から昔語り、レナルドの擁護に至るまでに高めた評価額が、一瞬にして底値を割った瞬間だった。
「はは…… まぁ、いいか。アロア」
「ん?」
「気持ちは複雑かもしれんが、母さんは母さんだ。近いうちに会いに行ってやれ」
「ダテ……?」
「ダンナも、変に今回のことを引きずるなよ。後悔するぞ」
ファデルは面白くなさそうな顔で、「フン」とそっぽを向いた。
「ああそれから、ダンナの親父の形見は教会の執務室だ。売ってはいないみたいだから返してもらうといい」
驚き、問い質すファデルに向け、ダテが軽く「多分な」と返した。
ダテの口振りに、アロアは違和感を覚える。
どこか急ぐように、一方的に話をされたような空虚な感覚。
「シャノンはどうだ? 突然に姉妹だって言われても、結構受け入れてるみたいだが……」
「複雑ではありますよ? でも…… 悪い気はしません。友達じゃなくなったということは少し残念ではありますけど」
肩をすくめ、シャノンはおどけてみせた。その仕草に、ダテは一息笑って返す。
「……こんなやつだが、変わらず仲良くしてやってくれ。そうだな、たまにメシでも一緒に食べて、テーブルマナーでも叩き混んでやるといい」
「大将がそれ言いますかね」
「俺はいいんだよ格好付けなくても。もうおっさんなんだから」
見慣れてきた妖精とのやりとりに、くすくすと笑うシャノン。しかし、彼女も違和感を覚える。彼の顔が彼女を離れ、レナルドとイサに向かっていた。
「神父、これから大変だとは思いますが……」
「……はい、覚悟はしています。私がやってきたことが消えるわけではありません…… 法王までもを欺き、聖杯を持ち出し、儀式を壊した私は…… 良くて破門でしょうな……」
アロアが息を呑む。ダテは彼女の様子に気づき、顔を向け、安心させるように首を振った。
「イサさん、俺の名前を出して法王にことの顛末を知らせてください。難しいかも知れませんが、今の法王ならば何がしかの力添えを貰えるかもしれません」
「そうですね、彼女なら…… ダテ様のご厚意に甘えることにします」
頭を下げるイサを、レナルドが不思議そうに見ていた。その顔へと、ダテは微笑を送る。
「今の法王はお若いだけに、老人達の不正がお嫌いな様子…… 期待は出来そうですよ」
レナルドが驚きの表情から、固く目を閉じて礼をした。
微笑は絶やさず、ダテも目を閉じて会釈を返した。
そしてダテは一度確かめるように皆を見回し、彼らに背を向け、歩み出す。
一歩、二歩、三歩―― 人の輪から、離れていく。
「これから」、「してやってくれ」。
彼の口から出された、それはまるで「置いた」ような言葉――
「ダテ……!」
ダテが、足を止めた。
「お前は…… お前は、どうするんだよ……! 『これから』!」
土を踏み出す音と、震えた声。
「な、なぁ! 帰るのか!? 都に……!」
もう一人分聞こえた靴音に、彼は首を後に向ける。
いつもより少し小さく見える距離に、彼を追い、輪を離れたアロアがいた。
そのわずか後ろには、何も言えずに留まっているシャノンの姿がある。
ダテは額に手をあて、前髪をくしゃりと掻き、困ったような笑顔で振り返った。
「……今回は気を遣ってくれたようだが、もう待ってはくれないようだ」
誰に言ったのかもわからない言葉に、二人の表情が疑問に揺れる。
「お迎えが、来た」
そして、彼の背後に光の柱が射す。
光は集まり、彼の背を越えて高く、長方形を描き――
『光の扉』が、そこに姿を現わした――




