101.伏せられし真実
ファデルが右足を後ろに引き、シャノンの目元が険しくなる。
二人の警戒に対し手をひらひらと振り、ダテがレナルドの傍へと屈んだ。
「よぉ神父、大丈夫かい?」
「……おかげさまで、動けはしませんが、体に問題は無いようです」
「派手に魔力削いじまったからな、魔力切れだ。明日は痛いぜ?」
ダテは笑い、もう一度回復魔法をかけてその場を離れる。横になったままのレナルドの首がアロアの向こう、身構えた様子のファデルへと向く。
「ファデル……」
「な、なんだ……」
レナルドが緊張を滲ませるファデルに対し、頬を緩ませる。
「ようやく…… 言えたな。よく、頑張った……」
腕を組み、ファデルは不愉快そうに目を逸らす。その様にレナルドは小さく苦笑した。
「レナルド、起きていたのですか?」
「ああ、イサ…… 面倒をかけた。途中からだが…… 聞いていたよ」
レナルドの目が一度閉じられ、地面に両手をつき、彼を見つめ続ける少女の顔へと開かれる。
「アロア……」
アロアの肩が、竦むようにわずかに動いた。レナルドの固い表情が、彼女にそうさせた。
「……私は、ファデルが言ったような…… 善意でお前を預かったわけではない」
低い声色が、彼女を打った。
「お前の母親は…… 高いレベルの聖なる魔力を秘めていた。そしてその子であるお前にも、その力が引き継がれていることを感じた。お前ならば、『選ばれし道士』と出来る。私はそれを見越した上で預かることに決めたのだ……」
アロアの眉が上がる。ファデルが何を言い出すのかという面持ちでレナルドを振り向いた。
「全ては…… お前の父親、ファデルを裏切れぬように、いいなりにするための打算だった。お前を『道士』にすれば、やつは合月にて、二人の娘のどちらかを失わなければならなくなる。そうなればやつは父として…… どちらも死なずに済む、私の計画の通りに動く以外に無い…… お前は、あいつに対して用意した…… 人質だったのだ……」
「な……! 何をバカなことを……!」
アロアの背後、ファデルが言った。
呆然と聞くアロアから目を逸らし、レナルドは空を見上げ、自嘲気味に笑った。
「だが…… もし私が計画通りに、邪悪の力を手に入れていたとすれば…… 私は迷うことなくお前達を殺していただろう。お前達にもう用は無い、利用価値はそこで終わるのだから……」
「なんだと……!」
ファデルが足を踏み出し、シャノンに抑えられた。
シャノンの目が、アロアの背中を見守る。
「己の目的のためになら、なんでもする…… 人の娘の命も、親の心も、その人生も…… 吸い尽くす…… そして用が無くなれば、あっさりと捨てる…… まるで、吸血鬼のようにな……」
レナルドの右の手が、力の入らない様子で握られる。
「……私はそんな、ロクでもない本性の男なのだよ……! どうしようもない、欲の塊なのだよ! ……だから、気にするな」
その声は、顔は怖くとも優しい――
「もう私のことは忘れて…… いなかったものとしなさい……」
いつもの神父の声だった。
誰もが身じろぎ出来ず、その光景を見守っていた。
言葉を差し挟める者はおらず、締められるような心とともに、彼女の答えが出る時を待った。
アロアの、拳が握られた――
「……ふざっけんな……!」
立ち上がったアロアが、勢いよくレナルドに進み――
「このっ!」
夜の庭に盛大に音を響かせ、レナルドの顔に平手を打った。
「あんためちゃくちゃだったよ! ほんと何やってんだよ! ヒトデナシだ! 何言ったってどうしようもない! とんでもないアホだ!」
衝撃に目を丸くするレナルドへと、たたみかけるようにアロアは続ける。
「法王だなんだ? いい年こいてアホじゃねーか? あんたなんか大したことないんだから、一生田舎で神父やってりゃよかったんだ! だいたい嘘ついたり騙したりはダメだってのは神様が一番言ってることじゃねーか! ねーちゃん達に普段教えてるクセにてめぇで破ってんじゃねぇよ! ドアホ!」
激昂に呆然となる一同が立ち尽くす中、彼女はそこまで叫び、糸が切れるようにへたり込んだ。
「ほんと…… なにやってんだよ…… ダテにやられて服もだらしない感じで…… どうしようもねぇよ……」
悪態の勢いは消え、俯いたアロアが言う。
「でもな…… あんたがどうしようもなくて、あんたが自分をどう思っていようとも…… 父親なんだよ……」
レナルドの瞳が、震えた。
「あんたは私にとって、父親でしかないんだよ……」
それ以上、言葉は降らなかった。
レナルドは空を見、息を一つ、小さく「そうか……」と漏らした。
顔を伏せたまま微笑を浮かべ、疲れに身を任せるように座り続けるアロア。目を閉じ、安らかな表情を見せるレナルド。
ファデルは眉を潜め、シャノンは微笑んでいた。イサは静かに、穏やかな表情を湛える。
――ダテが歩み寄り、レナルドの体に影を落とした。
「神父……」
「……はい」
ダテはレナルドの体を支えて座らせると、ジャンパーの内ポケットをまさぐった。へしゃげた金襟の白い箱を取り出した彼は、白い一本を引き抜くと、レナルドに差し出す。
「なんていうか…… 災難だったな」
「災…… 難……?」
レナルドは促されるままにそれを受け取りつつ、オウム返しに単語を呟いた。
ダテはもう一本と引き抜き、先端を発火させると自らの口に咥えた。
「……偏り過ぎた魔力は精神構造を変え、思考を狂わせる。暗黒の魔力に偏れば、人は自分の『欲望』に傾く。そして、聖なる魔力に偏れば、人は――」
それはダテが見抜いた、動機から繋がる先に置かれていた、最後の真実。
人々の安寧のために生まれた家を捨て、信じる者達のために今のドゥモを捨て、目的のために家族を捨てようとした男の、本人さえも気づくことはなかった、伏せられた真実。
「――『独善』に傾く」
煙を挟み、呆然とした表情がダテを見つめる。
「独善……」
ダテがレナルドに、頷きを返した。
「善いと思ったことを、独りよがりに強行する。他者でさえも、自身でさえも、犠牲に厭わない。そうなる」
「そんな…… 私は、私の意思で……」
「最初はそうだったのかもしれない。実家を捨てドゥモに走った、その時はまだ理性の方が強かったのかもしれない。でも二十五年前、合月を機にあんたは完全に魔力の呑み込まれ、偏った」
小さく、レナルドが息を飲んだ。
「あんたは最大の合月魔法の正体を知っていた。そのために、力を失うことが善いことではないと、まさに独善的に儀式の最後を変えてしまった。そして、大した消耗も無く合月が過ぎ、過ぎたあともその力はあんたの手元に残ってしまった。肉体の許容量、目一杯にまでに吸い込んだ『聖なる魔力』が」
パチンとダテが指先を鳴らす。レナルドの持つ一本の先端に火が灯った。
「それからは大きく吐き出すこともないままに、固定化されてしまったんだろう。魔力切れになった今のあんたが今までやってきたことを振り返り、恐ろしい、無謀だ、間違っている…… そう思うなら、俺の考えで正解だよ」
「……!」
目が覚めた直後、襲われることになった想い。
後悔とともに背筋を冷たく駆け抜け、凍らせた想い。
見透かされたレナルドに動揺が走った。
「古い勇者の家系っていうなら納得だ。要は今回のことは、先天的に聖なる魔力に恵まれていた頭のいい人間が、聖なる魔力ばかりが高まる修行を積んでしまった。そのために引き起こされた不幸な災難……」
ダテは立ち上がり、一服ふかした。
「……あんたは悪くない。ちょろっと運が悪かった、それだけだ」
レナルドの震える指が、受け取った一本を口に運ぶ。
「ありがとう…… ございます……」
伏せられたその顔から、紫煙が空へと立ち昇っていった。




